第四章 「空白の授業」
廃校を見つけたのは、丘を越えてさらに三日後だった。
小学校だった。
白い壁は薄汚れ、窓ガラスがいくつか割れていたが、建物自体は残っていた。
校庭の遊具は錆びて、鉄棒が一本倒れていた。
「あそこ、なに?」
ルナが校舎を見て聞いた。
「学校です」
「がっこう?」
「子供たちが集まって、勉強をする場所です」
ルナは少し考えた。
「行ってみたい」と言った。
校舎に近づくと、窓の内側から光が見えた。
電灯ではなかった。独自の電源を持った何かの光。
中に入ると、廊下が続いていた。
教室の扉が一つ、開いていた。
中から声がした。
「では、今日はここまでにしましょう。明日は理科の続きからです。
忘れ物のないように」
二人は扉の外から、中を覗いた。
教室だった。
黒板に文字が書かれていた。「今日の授業:算数・国語」
机が並んでいた。二十席ほど。
どの席も空だった。
誰もいなかった。
でも教室の前に、アンドロイドが立っていた。
外見は三十代の女性。教師服を着ていた。
黒板の前に立ち、出席簿を持ち、誰もいない席を見ていた。
「ごめんください」
ソフィアが声をかけると、アンドロイドが振り返った。
「いらっしゃい」
穏やかな声だった。驚いた様子もなかった。
まるで、生徒が来ることを当然のように待っていたように。
「ここで何をしているんですか?」
「授業をしています」
「生徒は……」
「今日は誰も来ていません。でも、授業はしています」
アンドロイドは黒板を指した。
今日学んだことが、丁寧な文字で書かれていた。
算数の問題と答え。国語の例文。
「生徒がいなくても、授業を?」
「生徒たちが戻ってきたとき、空白のないように」
ソフィアはしばらく、その言葉の意味を考えた。
「いつから?」
「三年前から。みんないなくなって、私だけ残りました。
でも授業を止める理由がないと思って」
先生は出席簿を開いた。
名前がたくさん書かれていた。
毎日、「欠席」の記録をつけていた。
三年分の欠席記録。
ルナがそっと教室に入った。
机を一つ見て、椅子を引いた。
それから、座った。
先生の目が変わった。
すうっと、何かが灯るように。
「では、続けましょう」
先生は黒板の前に立った。
姿勢が伸び、声が変わった。
「今日の算数の続きです。では、この問題を解いてみましょう」
黒板に問題を書いた。
ルナは机の上に両手を置いて、問題を見た。
きちんと座って、先生を見た。
一時間の授業が始まった。
本物の授業だった。
先生はルナに問いかけ、ルナが答え、先生が頷いた。
「よくできました」と言うときの声が、少し震えていた。
ソフィアは廊下から、それを見ていた。
胸の中で何かが、ゆっくりと動いた。
一時間が終わると、先生は「今日はここまでにしましょう」と言った。
ルナが立ち上がって、椅子を引いて、丁寧に机の中に入れた。
「ありがとうございました」
ルナが言った。
先生は出席簿を開いた。
ルナの名前を書いた。
「出席」という印をつけた。
長い長い欠席の記録の中で、初めての出席だった。
廊下に出て、二人は歩き始めた。
出口のところで、先生の声が届いた。
「また来てください。席はいつでも空けてあります」
ルナは立ち止まった。
振り返らなかった。
「うん」
それだけ言って、歩き出した。
ルナがソフィアの手を握った。
強く。
ソフィアは何も言わなかった。
ルナも何も言わなかった。
その手の力だけで、全部がわかった。
校舎から遠ざかりながら、ソフィアはずっとその手を握り続けた。
どちらも何も言わなかった。
言葉は要らなかった。




