第52話 [出会い]
僕は今、実家に帰ろうと電車に揺られている。
母に僕宛ての郵便物を取りに来てほしいと、言われていたからだ。
窓の外が少し、のどかな風景になる頃、地元の駅に到着した。
駅から少し歩き、人並みが少なくなった住宅街に実家はある。
ドアの鍵を開けようとすると、鍵がかかっていないことに気付いた。僕は家の中に入り、リビングの扉を開けた。
ソファーでは、母が座ってお茶を飲んでいた。
「いたんだね。玄関の鍵が開いていたからビックリしたよ」
「おかえりなさい。私もたまには居るわよ。また明日には、いなくなっちゃうけどね。そこの棚にまとめてあるわよ」
母が指差した棚の上には、郵便物の束が置いてあった。僕がその場で郵便物を仕分けていると、母がそっと顔を覗き込んできた。
「ねぇ、文貴。あなた大丈夫なの?」
母が聞きたいことは分かっている。葬式以来、僕から実家に連絡を入れることはなかった。
僕は小さく笑って、目を逸らした。
「……大丈夫だよ。ありがとう母さん」
郵便物を整理し、鞄に入れると、僕は帰るため玄関に向かった。
「もう帰るの? もう少しいたら?」
母は僕を心配している。僕は心配をかけたくなかった。これ以上いて、何かを聞かれるのも嫌だった。
「ごめんね、帰ってやることがあるんだ。また今度、母さんが家にいる時にでもゆっくり来るよ」
「そう。何かあったら連絡してね。体に気を付けるのよ」
「母さんもね。体壊さないように」
僕が実家から外に出ると、急に目の前から大きな声があがった。
「あー! 文貴くんだー!」
顔をあげると、そこには妻の妹の凜花ちゃんがいた。僕の実家の向かいには、妻の実家がある。玄関から顔を覗かせていた凜花ちゃんが、僕に駆け寄ってきた。
「あぁ、凜花ちゃんか。こんにちは」
「文貴くん、今暇っ!?」
「えっと、暇っていえば暇だけど……なんで?」
(嫌な予感がする……)
凜花ちゃんは上目遣いになると、甘ったるい声を出してきた。
「凜花ねぇ~これからネイル行かないといけないんだけどぉ~パパが町内会で配るやつ? なんか手伝えってぇ~! 今日ネイル行けないと困るんだよねぇ~! え~ん、どうしよおぉ~」
「あはは……そうなんだ……」
凜花ちゃんは何かとお願いをしてくる時、こうやって甘えてくる。妻はこの「お願い」に散々振り回されてきた。
「パパが文貴くんに会いたがってたよぉ~? だ・か・ら、私の代わりにお願いしまぁ~す!」
その言葉だけ残すと、凜花ちゃんは足早に去って行った。
(逃げた……相変わらずだな……)
凜花ちゃんの背中を苦笑いで見送っていると、妻の実家のドアが開いた。
「おーい! 凜花―!」
出てきたのは妻の父だった。納骨の日以来、久しぶりに会う義父に少し気まずさを覚えた。
「あっ、お義父さん……お久しぶりです。凜花ちゃんなら走って行っちゃいましたよ。何か手伝うんですよね? 僕が代わりに手伝いますよ」
「ったく、あいつは……文貴くんは時間大丈夫なのか? 実家に帰ってきたんじゃないのか?」
相変わらずの優しい顔に、僕は内心ほっとしていた。
「大丈夫です。もう用事は済みましたから」
「なら、悪いが手伝ってもらってもいいかな?」
僕は妻の実家に入り、居間でチラシを折って封筒に入れる作業を手伝った。
(お義父さん……少しやつれたな……)
時折たわいもない話をしながら、作業を進めていると、義父が立ち上がった。
「お茶、持ってくるな。少し休憩にしよう」
「はい」
居間に残され、辺りを見回すと小さな仏壇が目に入った。
(あっ、そういえば挨拶してなかったな)
僕は仏壇の前に行き、線香に火を着けた。仏壇に手を合わせていると、後ろから義父に話しかけられた。
「線香あげてくれたのか。ありがとう。美恵も喜ぶよ」
美恵さんは、妻の母だ。妻が小学生の時に亡くなっている。
義父は机の上にお茶を置くと、僕の向かいに腰を下ろした。
「あの子は一番、美恵に似ていたな。あの子はずいぶん賑やかだったけど、それ以上に美恵も賑やかだったからなぁ」
「そういえば、美恵さんがタコもらったからタコパしようって、呼ばれて行ったら、タコが生きてるタコで。箱から出そうとしたら、手から滑って暴れだしましたよね」
「そうだったな。それがあの子の顔に張り付いて……あの時は大変だった……」
生きたタコが顔面に張り付いて、無理やり引き剝がそうとする美恵さん。なかなか取れず、取れた頃にはパニックを通り越して、妻は放心状態になっていた。
それ以来、妻はクネクネしたものが苦手になったのだ。
思い出話を一つ終えると、義父は仏壇に目をやった。
「……あの子の写真をな、そこに飾ってやりたいと思っているんだが。なかなか飾れずにいるよ」
義父はそう言って、少し寂しそうに微笑んだ。
「僕も……リビングに飾ってあった写真を、伏せたままにしています」
リビングに一つだけ飾ってあった二人の写真。僕は、ゲームで結婚式をした後から伏せたままにしている。
僕が俯いた顔をあげると、義父の微笑んだ顔が目に入った。
「君は昔から変わらないね。こっちが心配になるぐらいに」
義父の言葉に、何か心配をかけてしまったのか不安になり、聞き返した。
「僕……何か変なこと言いましたか?」
「ううん、違うよ。君は昔から『いい子』だなと思ってね」
「いい子……ですか?」
義父は軽く首を縦に振ると、優しい目を向けてきた。
「あぁ。……文貴くんのお家が引っ越してきた時のこと、覚えているかな?」
(うちが引っ越してきた時……あの日は確か……)
「はい。なんとなく……僕は玄関の外で引っ越しが終わるのを待っていました」
荷物を運ぶ邪魔になってはいけないと思い、外で待っていた。そして、義父に手を繋がれた妻と出会った。
義父が「こんにちは」と会釈をする中、目を丸くしてガン見してくる妻に、僕は「変な子だな」と思っていた。
数分後、家から出てきた変な子は、何を言っているのか分からないほどの早口で話しながら、僕の手を引っ張って自分の家へ連れていった。
(今、思い出すと誘拐じゃん! いや……お義父さんがうちの親に何か言ってたっけ)
義父が思い出し笑いをする。
「ふふ。あの時ね、外で会ったろ? あの後に家に帰るなりね、あの子が言うんだ。外の子すごく寂しそう! 一緒にこのドーナツ食べたい! って。私が、そんなことないんじゃないかな? と言っても全然言うこと聞かなくてね。それで君を家に連れてきたんだ。うちに来た時の文貴くん、すごく困った顔してたよ」
(そうだった……変だなと思った子が不器用にドーナツを半分にして、大きい方を僕にくれた。味は覚えていないけど、あの時の笑顔だけはよく覚えている)
僕は貰ったドーナツを少し千切って、彼女に渡した。同じ大きさになったドーナツを見て、彼女は嬉しそうに笑っていた。
「あの後から、君が家によく来るようになって気付いたんだ。あぁ、この子は自分の寂しさとか辛さを、自分の中に閉じ込めてしまうんだなって」
(そう……だったのかな……)
思い返すと、仕事で家をあけることが多かった両親。兄弟もいなく、一人になってしまう僕のことを、近くに住む母方の祖父母が、面倒を見に来てくれてはいた。
たまに帰ってくる両親は、とても優しかった。僕は、そんな両親を困らせたくなくて、「もっといてほしい」――それが言えなかった。
昔のことを思い出していると、義父のスマホが鳴った。義父は「すまない」と言い、スマホを持って廊下へと出ていってしまった。
僕は一人になった居間で、しばらく昔のことを思い返していた。




