第53話 [おとうさん]
妻の実家で義父の昔話を聞きながら、自分の幼い頃を思い出していた。
(寂しさや辛さを、自分の中に閉じ込めてしまう……か)
意識したことはなかったけれど、思い返せば、いくつか思い当たる節はあった。
(そんな自分でも気付かなかった寂しさに、彼女は気付いてくれてたのか)
胸が締め付けられるのを感じた。僕がそっと深呼吸をしていると、電話を終えた義父が居間に戻ってきた。
「すまなかった。玲子からだったよ。夜遅くなるからってね」
玲子さんは、妻が中学生の頃に義父が再婚した相手だ。
「そうなんですね。お義母さんはお元気ですか?」
「あぁ。少しずつ元気を取り戻しているよ。自分も辛いはずなのに、私や凜花、伸二を懸命に支えてくれている」
僕は少しだけ驚いた。玲子さんは引きこもる妻のことを、疎ましく感じているのでは、と思っていたからだ。
「玲子さんもやっぱり……その……ショックを受けてたんですね……」
「そうだね。玲子は特に後悔が大きかったんじゃないかな。根がまじめだから、実の親ではない分、子供たちのことをしっかり見ないとって、ずっとプレッシャーを感じていたみたいだ」
(そう……玲子さんは厳しいイメージがある。だけど、確かに理不尽な厳しさではなかった)
義父は穏やかな口調で話を続けた。
「だからかな、あの子に対しては結構厳しいところがあったかもね。引きこもったあの子を心配して、せめて家事だけは身につけさせようと一生懸命だった。でも、あの子もね、それは分かっていたと思うんだ。ただ、まだ子供で弱い部分も多かったから」
(そういや家事は、割と手際良かったもんな……)
一週間ごとにあるメンテ時間で、彼女は家の中をサッパリ綺麗にしていたり、気付けば作り置きのご飯が冷蔵庫にいっぱい入っていたこともあった。
義父は遠くを見つめた。
「玲子はあの子が引きこもった原因を自分のせいだと思っていたから……実際は、私の再婚を反対した妹と兄を宥めるために、あの子はすごく頑張ったんだ」
(伸二くんと凜花ちゃん……二人とも結構クセあるもんな……大変そう)
妻が引きこもり始めた理由を、なんとなくは知っていた。けれど、妻も話してこなかったから、僕も深くは聞かなかった。
当時を思い返したように、義父は深いため息をついた。
「伸二は家に寄り付かなくなるし、凜花は癇癪がずっと続いた。その二人をずっと説得して、家族の輪に玲子を入れてくれたのは、あの子だ。……ただ、それで心が疲れてしまったんだろうね。あの頃から、部屋でゲームをしている時間が少しずつ増えていったよ」
「結局、高校も行けなかったですもんね……あっ、でも引きこもってばっかじゃなかったですよね? 裏の田中のおばあちゃんとか、たまに手伝ってるの見かけました」
「そうだね。学校は落ち着いた時にでも行けばいいから、とりあえず近所のお手伝いをね、あの子にお願いしたんだ。行ったらお小遣いもらえるよって」
(それでか! 引きこもってる割りに色んなとこで、ちょいちょい見かけるなと思った)
会えば、いつも通りの態度だった。だからこそ、気にしたことがなかった。けれど、僕はあんなに側にいたのに、妻の辛さに気付いてあげられていなかったのだろう。
(僕の寂しさには気付いてくれてたのに……)
義父は視線をまた僕に戻すと、そっと口を開いた。
「玲子は高校行ってほしかったみたいだけどね……文貴くんとの結婚が決まった時、実は一番喜んでいたのは玲子なんだ。安心にも近かったのかな」
(知らなかった……彼女は実家から逃げるように、僕と同棲を始めたと思っていたから)
結婚を決めてから報告に行った時も、玲子さんは最初反対していた。「こんな若くに結婚して大丈夫なのか」と。もちろん、僕らも考えた末での結論だったので、なんとか納得をしてもらい籍を入れた。
ふと、美恵さんの写真が目に入る。
(玲子さんは、美恵さんとはタイプが違う人だったな……)
「今さら、こんなことを聞くのもあれなんですけど……なんで再婚しようと思ったんですか?」
僕の視線の先に気付いた義父は、静かに微笑んだ。
「うん。子供三人を一人で育てるのは、思っていた以上に大変だった。それを理解したうえで、手伝ってくれると言ってくれた玲子に、私は少しずつ惹かれていったんだ。あの頃、玲子の優しさには、とても救われたよ。子供たちを支えるためにも、私も誰かに支えてほしかったんだね」
「そう……だったんですね……」
義父の言葉に、胸の奥で何かが静かに軋んだ。その正体に僕は……目を向けられなかった。
僕は気持ちを切り替えたくなって、立ち上がった。
「彼女の部屋……見てもいいですか?」
義父は少しだけ目を伏せて頷いた。
「……いいよ。物置になってしまっているけどね」
僕は彼女の部屋がある二階へ向かった。
彼女の部屋は北側にある一番小さな部屋だ。本当は手前のもう少し大きな部屋になる予定だったのだが、凜花ちゃんが泣くもんだから変えてあげたらしい。
昔はよく遊びに来ていた部屋。いつからか、彼女を呼びに行く部屋になっていた。
部屋のドアを開けると、彼女の部屋だった時の面影はなく、一面に荷物が積み上げられていた。
半分は凜花ちゃんの荷物だろうか、若い女性向きの服やバッグが置かれていた。
そして、視線を下へ向けた時――僕は思わず膝をついてしまった。
荷物の山の手前にあったのは、古いベビーベッド。
年季を感じさせる古びた色合い。薄く埃は積もっていたが、柵や寝台は丁寧に拭かれていた名残があった。
誰が使っていたものかは分からない。妻や凜花ちゃんが使っていたのかもしれない。細かい傷が、家族の思い出を見せているようだった。
たくさん並ぶ荷物の中、不自然に出されたベビーベッド。
きっと、いつでも使えるように、手前に出していたのだろう。僕は、そう感じてしまった。
叶えられない願いに、涙が溢れて止まらなかった。
僕は……こんな日がきてしまうのが、怖かった。
しばらく僕はその場から動けずにいた。しかし、あまり時間が経つと義父が心配すると思い、涙を拭い、一階へ下りていった。
居間へ戻ると、義父は静かにチラシを折っていた。僕も何も言わずに作業を続けるのだった。
作業が終わり、帰ろうと玄関で靴を履き、義父に挨拶をする。
「今日は久しぶりにお会いできて……良かったです」
「こちらこそ、急に手伝ってもらって悪かったね。助かったよ。ありがとう」
「それじゃあ、また」
僕がドアの方に体を向けると、義父の手が肩に乗った。
「文貴くん。辛い気持ちを自分の中だけで、しまいこんではいけないよ。自分の気持ちに蓋をすると、そのうちに開けることが怖くなって動けなくなってしまう。誰でもいい、少しでもいい。君の感じた気持ちを誰かに知ってもらいなさい」
振り向いた僕は、涙目だったかもしれない。必死に絞り出した言葉は「ありがとう、おとうさん」だった。
僕は妻と結婚した時に、おじさんのことを「お義父さん」と呼べるようになったこと、恥ずかしかったけど、同時に嬉しかったことを思い出した。
帰り道、僕の右手にはドーナツの箱がぶら下がっていた。
これにて、第四章終了です!
第五章の執筆に入るまで、少しお時間をいただく予定です。
気長にお待ちいただけると幸いです。
いつも『僕の妻はゲームに生きてます』を読んでくださり、本当にありがとうございます!




