彼の理由【後篇】
例え罰されることはないとしても、当然に、公開できる召喚ではない。
近衛すら排除し、フィオルナルと王のみで魔法を行うのは地下にある研究所である。
とはいっても、研究所とは名ばかりで、理論段階の魔法を実行に移すための、ただ、がらんとした広いだけのホールである。
成功すれば、その場は名誉や地位を手にする極楽となり、失敗すれば時として魔力の遣いすぎで自らの命までもを失う地獄にもなる。
フィオルナルは壊れた心を意識しないよう、けれども、己の持てる限りの魔力を使って魔法陣を書きこんだ。王との打ち合わせの結果、表向きに付与した制約は3つ。
『人間』
『女』
『決してヴァルモンドに対して害悪を為し得ないもの』。
それに加えて、フィオルナルは王が魔道語に精通していないのをいいことに、今まで誰にも明かさなかった、彼だけが可能とする4つ目の制約付与を行った。
『元の世界に執着しないもの』
そうして眩しい閃光のあと、魔力不足に朦朧とする意識の中で、彼自身が描いた魔法陣の上に座り込む少女を前にして、フィオルナルは正しく絶望した。
王が、決して自らの戯れで喚び出した娘に向けるものではない言葉を言い放ち、興味を無くして部屋からさって少し。
未だ座り込んだまま、様子を変えない娘に、言葉が通じていないのだと安堵した。
黒髪黒目。珍しい色ではあるが、国内でも見ない色ではない。
見た目も普通の女。どこからどう見ても自分と同じ人間で。けれども、フィオルナルは過去に自分が召喚に失敗したことなど無かったことを知っている。
これが初めての失敗だったなら。女が、この世界の違う場所から、ただ移動させられただけなら、どんなによかったか。そう思いながらも、彼女が正しく異世界の人間であると認識していた。
どうして王は彼女をモノのように扱えるのか。そう、自らの主君を責めようとして気付く。彼女を喚び出した自分も、王と同じ、彼女を人と扱わなかった同罪なのだと。
地下で座り込んでいるときも、医務室へ向かう時も、医務室で話をしているときも。
驚いている印象や、戸惑っている印象はあったが、決して取り乱しはしない彼女を見て、自らがなけなしの良心……否、臆病で行った4つ目の制約がうまく働いたのだと思った。
けれども。
彼女が自らの名前にこだわる理由を聞いて、それがただの自己満足に過ぎないのだと分かってしまった。
確かに、泣きわめいたり、激怒したり、絶望したりする様子はない。その点、前の世界に執着がなかったのは確かなようである。それでも。
彼女は確かに元の世界で生きた過去があり、それを奪ったのがフィオルナル自身だという事実に変わりがないのだということを思い知った。
その上で、前の世界に執着がないからと、彼女がこの世界に対し愛着を持っているわけでもなく、所詮、この世界は彼女にとって自らを謂れのない制約の中へ放りだした異世界でしか他ないのだと、そう気づいてしまった。
気付いて、そしてフィオルナルは決心した。
王の命令に半ばやけくそに、そして少しでも自らの罪悪感から逃れるために引き受けたアーガルの役目。
彼女にアーガルについて説明をした際、王の任命を追認こそされなかったが、罷免もされなかったその役目を、自らの意思で果たして見せようと。
彼女が自らをアーガルに望めば、受けるという言葉に嘘はなかった。
むしろ、この世界で頼るもののない彼女にとって、安息の場となれるよう、彼女の信頼を得、正式な アーガルになることを自ら望むのだ。
彼女が異世界からの来訪者だということは当然に伏せなければならない。その中で、この世界の常識がない彼女をジペットに置き、ボロが出た時のリスクや不自由を課すのと比べれば、過去などいくらでも繕えるリーリアとした方がよいだろう。
そう、咄嗟に判断したのはフィオルナル自身であり、その選択は間違いではないと思っているが、立ち居振る舞いや、その思考の成熟性から判断するに、それなりの教育を受けているだろう彼女が庶民の出ですらない、卑しい出身の妃として不当な扱いを受けることがあれば、その責任がフィオルナルにあることも認識していた。
だからこそ、自分だけは、彼女の中に異世界人であるスイを認めることを、彼女の別世界での過去を認めることを、決めた。
自らの許されざる罪悪から逃避するための忠誠ではなく、その罪を認め、背負い、その被害者に心から尽くすことを、フィオルナルは誓ったのだ。
「フィン、おはよう」
そうして今日も、穏やかな笑顔で彼の愛称を呼ぶ主を前に、彼は心から膝を折る。




