第387話 腐敗と発酵
「安心してくれ。これが通じなかったら、俺の方から負けを認めるさ」
だが、最初から楓との力の違いなんて研一は理解している。
楓が言っていたように負けイベでしかなくて、どんな策を練り、どんな攻撃を仕掛けたところで勝機なんて万に一つどころか、億に一つだって有り得ない。
(クエストさんの存在がバレてた時は終わったと思ったけど、この薬の事までバレてなくてよかった!)
ならば、攻撃以外の何かに勝機を見い出すしかなかった。
研一はクエストに密かに用意してもらっていた薬を、容赦なく楓の顔に振り掛ける。
「うわっぷ。ちょっ、ケン!? 何掛けたの!?」
空中に居た上に、プルケルを抱えて両手が塞がっていた事。
何よりも力の差を見せ付ける為に、あえて攻撃を受け止めようとしていた楓では避けられなかった。
瓶から零れ出た液体が楓の顔中に降り注ぎ、滴が口の中に侵入する。
「今の俺と楓の力の差は虫と人間以上だからね。それなら虫は虫らしく、毒にでも頼らせてもらおうと思ってね」
小さく非力な筈の虫が、単独で自分より大きい生物を倒してしまう事は往々にして存在する。
その最たる物が毒。
単純な物量ならば微量としか言えない毒でも、成分によっては人を殺すのに一ミリグラムさえ必要ない。
だが――
「もしかして、ケンって知らない? 魔力が高いと毒にも強い耐性を持つの。私に効く毒なんて、多分この世界にないよ?」
この世界では原則、魔力量の強さは、そのまま生物としての格の違いに直結する。
魔力量に大きく開きがある場合は、如何なる攻撃や毒でも相手を害する事は出来ず、そこに奇跡や下剋上が介入する余地はない。
「魔王に状態異常なんて効かない。そんなの私よりケンの方が詳しいでしょ?」
まるでゲームみたいだよね。
なんて、どこか寂しそうに楓が笑うと同時に下の階に着地する。
最後の切り札があまりにも期待外れだったのだろう。
勝負は決まったとばかりに佇む楓の姿は、どこか残念そうですらあった。
「ああ。確かに俺の方が、魔王のその辺の事情には詳しいね」
しかし、同じように着地した研一の顔に動揺はない。
魔力が高い者は毒を無効化するなんてのは、研一自身がよく知っている。
何せ、悪役ぶっていた頃に何度も食事に毒を盛られてきたのだから。
「そうそう、楓。腐敗と発酵の違いって知ってる?」
まるで世間話でもするように、突然、研一が楓に語り掛ける。
もう戦いは終わったと言わんばかりに戦闘態勢を解いて、リラックスした雰囲気で。
「えっと、身体に悪い菌が増えたら腐敗で、特に悪い影響のない菌が増えるのが発酵みたいな感じだよね」
あまりにも自然な口調で話し掛けられた上に、急過ぎたからだろう。
ほとんど何も考えず、反射的に楓も言葉を返した。
「俺さ。この世界の薬と毒って、それと変わらないと思ってるんだよ」
地球における薬と毒の関係性は、色々と複雑だと想いながら研一は言葉を紡いでいく。
薬だって使い過ぎたりタイミングを間違えば毒になるし、逆に普段は毒でしかない成分も、時と場合に拠っては、薬になり得る。
「その点、この世界の薬は解かり易いけど――」
例えば傷や怪我を治す薬は効果が高ければ高いほど良くて、欠損さえ回復させる。
勿体ないから誰もやらないが、効能が高い薬で小さな切り傷を治したって、何の副作用もない。
けれど――
「じゃあこの世界で薬と毒って、どこで判断されるんだろうね?」
「さっき言ってた腐敗と発酵みたいなモノって、ケンは言いたいの?」
だからこそ、逆に地球以上に薬と毒の差って曖昧なモノなんじゃないか、とも思うのだ。
事実、その推測は間違いではない。
魔力が高い者が毒を無効化するのは、無意識に魔力で毒性物質に攻撃しているからだ。
それならば、毒だと判断しているのは本人であり――
本人が薬だと思っていれば、どんな効果でも抵抗を無視して貫通する事になる。
はたして。
「け、ケン? 待って、本当に何を掛けたの……」
楓が突然顔を赤くして、震え始める。
目に見えて研一は自分が賭けに勝った事を確信すると、説明を始めていく。
「魔族との戦争の影響でどこの国でも人口不足が激しいらしくてね。夫婦の営みを円滑になるように、どこの国でも、ある種の薬が盛んに開発されているそうなんだ」
「待って待って待って!」
自分の身体に起きている反応。
そして、研一の説明に猛烈に嫌な予感を覚えた楓が必死で静止の声を上げるが――
「とはいえ、相手の同意もなく効いちゃったら色々マズイからね。あくまで夫婦同士を素直にさせたり、気分を盛り上げる為の薬として使われていて、薬としては効果抜群」
研一は止まらない。
何を飲ませたのか説明しろと言ったのは、楓の方だろうとばかりに、つらつらと言葉を並べていく。
「けれど、飲んだ人が毒だと判断した場合には、よっぽど魔力が低くても、即座に分解されるように作られているらしいんだ」
「それって――」
夫婦同士が仲良く励む為の、お薬。
本人に害を与える毒が通用しないのなら、有用な効能の薬を与える。
それこそが研一の最後の手段だった。
「確かに魔王には当たり前みたいに状態異常が効かなかったり、デバフを無効化する奴だって偶に居るけどさ、バフを無効化する魔王ってのは、あんまり知らないよ」
「こ、こんなの反則だよ! ズルイ!」
「きゃあ!?」
もうプルケルを抱えている余裕も、楓には無くなってしまったらしく。
予告もなく床に放り出されたプルケルが悲鳴を上げる。
だが――
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