番外編② 無関心なクズ
番外編②です。
この男も、ちゃんとクズですよ。
これは、夜霧とは知り合う前、瑞希が大学に入学する1年ほど前のお話。
夜霧と出会った瞬間、駄目だと思った。
あんな男、絶対に好きになってはいけない。
本能で分かるくらいには、雨宮夜霧は綺麗だった。
深緑の長い髪。
作り物みたいに整った顔。
細く光る金色の瞳。
そして、どこか人間っぽくない。
掴みどころがなくて、
妙に怖かった。
最初に声をかけたのは自分だった。
大学近くのバーで酒を飲んでいた夜霧は、やけに目立っていた。
「あの、隣いいですか?」
夜霧はゆっくりこちらを見る。
それから、微笑んだ。
「えぇ、どうぞ」
柔らかい声だった。
それだけで心臓が跳ねた。
我ながら馬鹿みたいだと思った。
隣同士で話しているうちに、
驚くほど会話が弾んだ。
頭が良い。
話題も尽きない。
それに、声が妙に心地よかった。
夜霧は、
人の懐へ入るのが上手かった。
気付けば、かなり長い時間話していた。
「もうこんな時間ですねぇ。」
夜霧がスマホを見て、
少し笑う。
「あ……ほんとだ」
終電の時間はとっくに過ぎていた。
「どうします?」
柔らかい声だった。
責めるでも、誘うでもない。
なのに、断るという発想が浮かばなかった。
その日のうちに連絡先を交換して、
気付けばホテルにいた。
ただ、目が覚めた時にはもう、夜霧はいなかった。
その後も何度か会った。
夜霧はずっと、恋人みたいに優しかった。
キスもする。
抱き締める。
名前も呼ぶ。
求めれば、ちゃんと応えてくれる。
『今日、お暇ですか?』
そう送れば、夜霧は普通に来る。
時々、デートもした。
映画を見て、適当に買い物して、ご飯を食べる。
夜霧は隣で穏やかに笑っていた。
でも、一度も「好き」とは言われなかった。
絶対に自分からは誘ってこない。
連絡も全部こちらからだった。
それでも、会っている時の夜霧は優しかった。
だから、自分も「好き」と言えなかった。
「夜霧くんって絶対モテるよね」
ある日、何気なくそう言った時だった。
夜霧は少し考える。
「まぁ、困ったことはないですねぇ」
「彼女とかいるの?」
「いませんよ。」
「好きな人は?」
「特には。」
あまりにも自然な返事だった。
だから、その時は深く考えなかった。
夜霧は、いつも朝になると消えている。
まるで夢の時間が終わったみたいに。
最初は少し寂しかったが、
だんだんとそれも夜霧らしいと感じ始めていた。
ある日、
シャワーを浴びていた夜霧のスマホが震えた。
何気なく画面を見てしまった。
罪悪感はあった。
でも、指が勝手に動いた。
『今日来れる?』
『会いたい』
『寂しい』
『次いつ空いてる?』
通知は女の名前ばかりだった。
一人どころか、
四人。
五人……
スクロールしても終わらない。
それに、ロックがかかっていなかった。
気付けば、メッセージアプリを開いていた。
セフレの名前がずらりと並んでいた。
知っている名前もあった。
その時だった。
浴室のドアが開いた。
夜霧が髪をタオルで拭きながら出てくる。
「あぁ」
こちらを見ると、少しだけ困ったように笑った。
「見たんですねぇ。」
「別に見られて困るようなことはないですが。」
怒っている様子は全くなかった。
「……何これ」
「何、とは?」
「この女の人達」
夜霧は少し考える。
それから、あっさり答えた。
「見ての通りですよ」
「暇つぶしの相手です。」
「全員。」
「……怒りましたか?」
呼吸が止まった気がした。
「こんなにいるの?」
「さあ。」
夜霧はスマホを覗き込む。
「数えたことがないので。」
体の距離は近いのに、ひどく遠い気がした。
「じゃあ、私も……?」
「えぇ。」
夜霧はあっさり頷く。
「特別なんてありません。」
「誰一人。」
その瞬間だけ、夜霧の目が妙に冷たく見えた。
「ワタシ達もそうでしょう?」
当たり前みたいな声だった。
「……期待してたんですか?」
その言葉が一番、苦しかった。
「でも、デートもしたし……!」
「しましたねぇ」
「恋人みたいなことも……」
夜霧は少し困ったように笑った。
「恋人みたい?」
くす、と喉で笑った。
「優しくするのは当然でしょう。」
「不快な思いをさせたら次がなくなる」
淡々と言った。
「デートも同じです」
「機嫌を取っていただけですよ」
残酷だった。
知っていて聞いたのに。
だから余計に、苦しかった。
夜霧は、何も言えないこちらを見て、
優しい声で続けた。
「演技に本気になるのは、一番愚かなことですよ。」
その言葉に息が詰まる。
「……夜霧くんって、好きな人いないの?」
やっと出てきた言葉だった。
「特には」
夜霧は静かに答える。
「そもそも"好き"という感情がよくわからないんですよ」
本音だった。
「抱きたいと思う。」
「一緒にいたいとも。」
「でもそれが愛なのかは知りません」
静かな声だった。
「……じゃあなんでこんなことするの。」
夜霧は少し考えた。
「求められるから。」
それから、不思議そうに首を傾げた。
「それ以上の理由がいりますか?」
当然みたいな顔だった。
「寂しいから抱いてほしい。」
「暇だから遊びたい。」
「お金が欲しい。」
「理由は人それぞれです。」
「ワタシはただ応じているだけ。」
その言葉で、ひどく寒気がした。
「……もう満足しましたか?」
それだけ言うと、夜霧は答えを聞く前に帰っていった。
それ以来、明らかに会う頻度が減った。
それでも、関係は切れなかった。
幸せだったから。
夜霧は優しい。
会えば笑うし、名前を呼ぶし、求めれば答えてくれる。
何度も会っているうちに、また期待してしまっていた。
自分だけは違うのだと。
でも、夜霧は初めて出会ったあの日から何も変わらない。
誰に対しても同じ。
優しくて、
柔らかくて、
何も残らない。
ある夜。
いつものように夜霧とバーにいた。
「最近、来る回数減ったよね」
夜霧はグラスを回しながら言った。
「そうですか?……気のせいでしょう」
気のせいではなかった。
最後に会ったのは二週間前。
以前までは週に1回は会っていたのに。
「最近少し忙しくて」
夜霧はそう言って、柔らかく微笑む。
「……寂しかったですか?」
その言葉に、少しだけ期待してしまう。
だから、聞いてしまった。
「他の人のところ?」
「えぇ、多分」
あっさりした声だった。
それから、夜霧は不思議そうに首を傾げる。
「どうしてそんなこと聞くんですか?」
「ワタシが誰と何をしようと貴方には関係のないことでしょう?」
正論だった。
同じ立場なのだから。
耐えられず、さらに言葉を重ねる。
「私、夜霧の特別になりたいな」
時間が止まった。
それから、夜霧は少し困ったようにこちらを見た。
「特別、ですか……困りましたね」
微笑んでいた。
でも目が笑っていなかった。
「でも、デートもしてますし、会えばちゃんと優しくしてます。」
「それは、あなたにとっては特別ではないんですか?」
「そうじゃなくて!」
声が震える。
夜霧は本当に分からない顔をしていた。
「……そうじゃない?」
「デートもしてますし」
「会えばちゃんと優しくしてますよね」
「連絡も返してますし」
「ワタシ、結構ちゃんとしてる方だと思うんですが」
本気で困っている声だった。
この男は本当に分かっていないのだ。
「……もういい」
気付けば泣いていた。
夜霧は少し眉を下げる。
「泣かれると困るんですが」
そう言って、ハンカチを差し出した。
それだけだった。
抱きしめも、慰めもなかった。
ただ困ったように眉を下げていた。
最後まで、声だけは優しかった。
その優しさがもう無理だった。
その日は結局、そのまま帰った。
連絡先も削除した。
夜霧は、追いかけてこなかった。
数時間後。
夜霧は人気のない公園のベンチに座っていた。
コンビニで買った酒を片手に、
ぼんやり夜空を見上げる。
春先の夜風が少し冷たい。
自分の何が駄目だったのか、いまいち分からなかった。
「ワタシ、結構優しくしてたんと思うんですけどねぇ。」
独り言みたいに呟く。
しばらく黄昏た後、
夜霧はスマホを取り出した。
数コール後。
『……何ですか』
理人の眠そうな声だった。
夜霧はベンチへ深く座り直した。
「今日、泊めてください。」
数秒沈黙。
『またですか?』
「えぇ。」
『……今月何人目です?』
夜霧は少し考える。
「今回で五人目くらいですかねぇ?」
電話越しに、
深いため息が聞こえた。
「いつもありがとうございます。」
『気持ち悪いのでやめてください』
「冷たいですねぇ」
そう言いながら、
夜霧はぼんやりと夜空を見上げた。
まだしばらくはきっと、
何が悪かったのか分からないままなのだろう。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
夜霧は人間の感情が欠落しているんです。




