番外編① 優しいクズ
瑞希がまだ入学していない頃。
神宮寺理人のクズさがわかるお話です。
瑞希が入学する約1年前。
背筋は真っ直ぐ、品行方正。
綺麗な白髪は丁寧に整えられていて、
無駄なく綺麗な顔をしている。
神宮寺理人。
何でもできて頼れるイケメンとして、
女子の間では有名だった。
「話しかければ優しい」
「紳士的で気遣いができる」
「でも、特定の恋人はいない」
そんな噂が自然と広がっていった。
実際、理人は優しかった。
少なくとも最初は。
「資料、落ちましたよ」
初めて話しかけられた時、
理人と同級生の佐々木美優は息が止まるかと思った。
振り返った先にいたのは、
ずっと遠くから見ていた憧れの彼だった。
「あ……ありがとう」
「いえ」
理人は優しく微笑んでいる。
美優はその笑顔だけで、胸が熱くなった。
それからしばらく、顔を合わせることが多くなった。
同じ授業を受け、勉強を教えてもらい、夜は通話しながら課題をする。
確かに理人は誰にでも優しい。
けれど美優は、自分だけは違うものだと勝手に思い込んでいた。
今思えば、あの瞬間から駄目だったのだと思う。
ある日の深夜一時過ぎ。
神宮寺理人は、ソファに腰掛けたままスマホを眺めていた。
『理人くん、駅着いたよ!』
『コンビニ寄るけど何かいる?』
『今日ちゃんとご飯食べた?』
『無理してない?』
次々と通知が流れていく。
理人はその画面を見ながら、紅茶で唇を湿らせた。
女は扱いやすくていい。
少し優しくしてやれば、
勝手に気を回し、
勝手に尽くし、
勝手に期待する。
弱みを握れればさらにいいとすら思っていた。
依存した人間ほど、扱いやすいものはない。
理人はスマホの通知をスクロールし、一人のトーク画面を開いた。
佐々木美優。
『今から来れますか』
数秒で既読が付く。
『行く!』
理人は小さく笑った。
早い。
十分後。
インターホンが鳴る。
ドアを開けると、美優がコンビニ袋を抱えて立っていた。
「こんばんは」
理人は柔らかく微笑む。
『こんばんは……!』
嬉しそうな声。
外は雨だったらしく、美優の髪が少し濡れていた。
「どうぞ入ってください」
『うん』
美優は慣れた様子でキッチンへ向かう。
『あ、紅茶切れてるじゃん。買ってくればよかった〜』
「別に構いませんよ」
『でも理人くん毎日飲むでしょ?』
「ええ」
『じゃあ次持ってくるね』
理人は返事の代わりに微笑んだ。
それだけで、美優の頬が赤くなる。
本当に分かりやすい。
理人は、自分の顔が武器になることを知っていた。
少し目を合わせ、名前を呼ぶ。
微笑み、優しくする。
それだけで、女は勝手に落ちる。
だからわざわざ誤解を解く必要もなかった。
「で、今日はどうしたの?」
美優がソファへ座る。
理人は机の資料を軽く叩いた。
「これ、まとめておいてもらえますか?」
『え?今から?』
「嫌ですか?」
責める色のない、穏やかな声だった。
けれど、美優は一瞬で視線を逸らした。
『……嫌じゃないけど。』
「では、お願いします」
理人は自然にパソコンへ視線を戻した。
まるで、美優が断わらないことが前提であるかのように。
それから数週間。
美優は理人の雑務のほとんどを引き受けるようになった。
講義のノート整理。
書類印刷。
食事の買い出し。
深夜の呼び出し。
書類整理。
送迎。
理人は、自分で出来ることすら美優にやらせ始めた。
その方が楽だから。
「理人くん、これまとめておいたよ」
「そこに置いといてください」
「今日ご飯食べた?」
「まだですが」
「じゃあ何か作る?」
「お願いします」
あまりにも自然なやり取りだった。
深夜でも関係なかった。
理人が頼み、美優が応える。
それが当たり前のようになっていた。
美優は、頼られることが嬉しいと思っていた。
必要とされている気がした。
他の女とは違うのだと、勝手に思い込んでいた。
理人は、その思い込みを否定しなかった。
時折優しく笑って、
「アナタだけが頼りです」
と口にするだけで、美優は簡単に満たされた。
まるで恋人のようだった。
理人にそのつもりは一切なかったが。
それから、美優はどんどん痩せていった。
隈が濃くなり、講義中も眠そうにしている。
友人付き合いも減った。
それでも理人に呼ばれれば何時であっても来る。
呼ばれること自体が、もう嬉しくなっていた。
「アナタだけが頼りです」
その一言のために。
その日も、美優は理人の部屋に来ていた。
時計は深夜二時を回っている。
「これ、今日中に直してください」
『……うん』
返事は明らかに遅かった。
理人はちらりと視線を向ける。
顔色が悪い。
「大丈夫ですか?」
『平気……ちょっと寝不足なだけ』
「自己管理くらいしてくださいね」
美優が苦笑する。
『理人くんのせいでもあるけどね』
冗談のつもりだったのだろう。
理人は笑わなかった。
「嫌なら断ればいいでしょう。」
静かな声だった。
責めるような口調ですらない、自然な言葉。
だからこそ、言い訳を許さない冷たさだけが強調され、空気が冷えた。
『ち、違っ……そういう意味じゃ……』
「なら続きを。」
理人はパソコンに視線を戻した。
数十分後。
背後で鈍い音がした。
理人が振り返る。
美優が床に倒れていた。
「……は?」
理人は立ち上がり、美優に近づく。
呼吸はあるが、顔色は酷い。
スマホを見ると、時刻は三時四十分。
理人は舌打ちした。
「面倒ですね……」
病院へ連れて行くほどではないと判断し、とりあえずソファへ寝かせる。
寝不足だろう、救急車を呼ぶほどでもない。
そう結論付けると、
理人は再びパソコンに向かい視線を戻した。
数時間後。
朝日が差し込む頃になってから、美優が目を覚ました。
『……あれ』
「やっと起きましたか」
理人は紅茶を飲みながら言った。
『ごめん……』
「倒れたんですよ」
美優は青ざめた。
「迷惑でした」
その言葉に、美優の顔が強張る。
『……ごめんなさい』
「最近、作業も遅いですし」
理人はカップを置いた。
「本当に使えなくなりましたね」
静かな声。
責めるような声音ですらない。
だからこそ、純粋な評価として突き刺さった。
美優の目に涙が浮かぶ。
『……理人くんって』
声が震える。
『本当は私のこと、好きじゃないよね』
理人は数秒黙った
否定を期待するように、美優が理人を見上げる。
それを見て、小さく笑う。
「当たり前でしょう」
あまりにも自然な声だった。
まるで、何を今更とでも言うように。
『だって、いっぱい頼ってくれて……』
「便利でしたから」
即答。
美優の呼吸が止まった。
理人は淡々と指折り数えながら言葉を並べる。
「呼べば来る」
「頼みを断らない」
「勝手に尽くす」
「正直、かなり助かってました」
人間ではなく、使い勝手のいい道具でも評価するような口調だった。
美優の頬を大粒の涙が伝う。
「……最低」
「そうですか?」
理人は本気で不思議そうに首を傾げる。
怒るでもなく、責めるでもなく。
ただ純粋に疑問そうだった。
「アナタ、自分が特別だと思っていたんですか?」
その言葉が決定的だった。
『……っ』
美優は何かを言おうとしたが、結局何も言えなかった。
理人はそんな彼女を見下ろす。
「重いんですよ、そういうの」
「勝手に期待して、勝手に壊れて」
「正直、面倒でしたよ」
そこには、これまで見せていた優しさの欠片も残っていなかった。
美優は泣きながら部屋を出ていった。
理人は引き止めなかった。
玄関の閉まる音がして、部屋には静寂が戻る。
理人はソファへ座り直し、冷めた紅茶を飲む。
スマホが震えた。
『神宮寺くん、今度ノート見せてもらえませんか?』
先日知り合った女からの通知だった。
理人は数秒画面を見つめる。
それから、何事もなかったように穏やかに微笑み、メッセージを返した。
『ええ、構いませんよ』
数秒後。
『本当!?ありがとう!』
理人はスマホを伏せる。
「本当に、単純ですね」
誰に聞かせるでもなく呟き、冷めた紅茶を飲み干した。
一見優しい人ほど、本当に優しいとは限らないですよね。
ちなみに、彼はこんなことばかりしているので素人童貞です。




