82.国境を越えて
なぜ、どうやって、という点は実に不可解だ。
「ただ国樹さんを始め皆さん地元の言語を使用しています。主だってその国の言葉を使うなら、帝国主義の側面は見当たりません」
「私もそう思います。となると出発点はどこなのか」
国家が存続していると仮定すれば、共通語を広める政治的リスクは凄まじい。それでも強引に押し切れたとなれば、トラブル後と考えるのが自然だろう。どさくさに紛れ広めたとしか思えない。問題は過程とトラブルの中身だ。
ヨシカも充希もここまでは容易にたどり着く。しかし証拠、事実関係を把握出来なければあらゆる推論が延々空回りし続けるだけだ。
「まるでメビウスの輪ですな」
やはり充希も同じ結論に至ったらしい。
「であるならば、我々はこれからなにを為すべきなのか」
続けて呟くと、
「それはまず日本に帰り……」
ヨシカが躊躇いがちに応じる。
「皆さんはそうされるとよいでしょう。私は蹉跌の塔とやらの住人に用向きがありますれば、そうもいきません」
会話を耳にしながら国樹は思う。充希め、わざと言わせたな。ヨシカも敢えて付き合ったか。アンドロイド同士一体どういうつもりだ。
「トランスペアレントダークとは嗤わせる」
充希はそう呟いて、それから押し黙った。
虫の音も聴こえない、ただ森閑としている。
茫漠たる闇と世界が広がっている。
我々はその中に生きている。ただひとり、ひとつの個人として存在する。そんな掴みどころのない水面に、小さな波紋が広がっていく。
グーシー、ヨシカ、充希は過去の遺産であり、同時にその時代を生きた証拠である。過去我々が栄華を極めた時代の住人が舞い戻った、もう隠し立ては出来ない。そんな気がするのだ。ついでだが、自分も一応関わっている。ゼスは未だによく分からない。
「"嗤わせる"と評するからには事情にお詳しいのでしょう。じっくりと趣意のほどをお聞きしたいものです」
充希の言葉を受け取り国樹は瞼を閉じた。
何事もなく翌朝を迎えた。午前五時、まだ暗い内からバギーでの移動を再開する。目指すはウイグル、カシュガルだ。大よそ十五時間の道のり、正直無茶なのは承知している。それでも国樹には秘策があった。
一度北にルートを取るのは時間の無駄ではないか。充希は疑問に思ったらしい。
バダフシャーン自然公園の東端ムルガブに行かず途中で南下し、ワハーン回廊を突っ切るルートがあるではないか。
確かに最短ルートは恐らく二つ、ワハーン回廊を突っ切りパキスタンに入る。以降インド西側を回るルート。
もうひとつはムルガブからウイグルとパキスタンを繋ぐカラコルムハイウェイを利用し、そのまま南下するルート。
どちらも採用出来ない理由は単純で、パキスタンに入りたくないからだ。カシミール地方を巡りまたぞろやらかしそうな両国間を行き来したくない。
一度インドに入ってしまった手前避けて通るべきだろう。
どこまでやるか知らないがこのご時世では疑われても仕方ない。
説明すると充希が懸念を示した。
「しかし山越えルートで十五時間以上ですぞ。日が暮れます」
「途中にブルンキョルって小さな村落がある。人はいるらしいからダメそうならそこで泊まる」
「なるほど。まあ構いませんが」
充希は興味をなくしたようで素っ気ない。
無理は承知だ。しかし前回通っているのでグーシーはルートを把握している。挙句本当に、夜道でもぶっ飛ばしていたらしい。やはり我ながら正気を疑う。今回は道中で休むことになるだろう。
タジキスタン、ウイグル、南下してチベットへ。パキスタンを外したルートはこれしかない。
「ワハーン回廊というものを見てみたかったですな。あとK2」
「それは、見たいだけなら見たいですけど……充希さん、観光ではありませんよ」
「知っております。でもどうせなら見たいでしょう?」
「いいえ、全く」
「今見たいと言ったばかりではないですか」
「言ってません。いえ、撤回します」
「左様ですか。残念です」
充希とヨシカの会話を国樹は完全に無視していた。
ウイグルに入りブルンキョルで一泊。カシュガルを経由しカルギリクに入る。そこから二日かけチベットのガリへと走った。
共通の目的地ガリに着くまで、六日を要していた。
「ここで一端お別れだ。一週間経って戻って来なかったら、先に日本に帰ってくれ」
ガリに着いた夜、国樹は三人にそう告げた。




