83.シ・プキラ
シプキ・ラ峠はチベット、インド両国の国境にある。所謂ヒマラヤ山脈にあたり、近くにはレオ・パーギーイルという標高6816メートルの険しい山がある。
シプキ・ラの標高は4720メートル。ふざけた話だが、チベット高原自体標高の平均は4500メートルだ。世界最高峰の山脈があるのだ、致し方ない。
国樹はひとり検問所に赴く予定だった。しかし――全員ついてきた。
「いいのか、ガリにいればいいのに」
溜め息交じり、国樹が尋ねるとヨシカが応じた。
「もしなにかあったら大変です。お見送り出来るまでお供します」
「帰りはバギーもないんだぜ」
呆れた口調で返すと、
「心配ありません。一週間も待つんです、ゆっくり歩きます」
ヨシカは朗らかに言い切った。一週間も待ってやるんだ感謝しろ、と聞こえなくもないが。
七日目昼、シプキ・ラ近くにたどり着く。充希が後部座席から身を乗り出し国樹の肩に手をかけた。
「打ち合わせ通り吾輩は検問所には寄りません。少し迂回するので後ほど合流しましょう。なに、常に視界に捉えておりますご心配なく」
頷くとにこりと笑みを浮かべ皆に一礼。そうして飛燕充希は姿を消した。
「さって、俺をぶん殴った奴の面でも拝みにいくか」
これ以上近づくと向こうから丸見えになりかねない。本当にここでお別れということだ。一週間、果たして足りるだろうか。
「グーシー、二人を頼む」
『所有者と離れるのは好ましくない』
「そうだな。すぐ戻る。戻ったらラサ観光でもするか?」
『興味深い。道中少し寄ってみよう』
拳と舌を合わせ、それから助手席の二人に視線を向ける。散々言い聞かせた。もう言うこともない。二人に頷いてみせ、
「行って来る」
国樹は皆がバギーを降りるのを待った。
……しかし誰も降りない。溜め息二つ、国樹は口を開く。
「どういうつもりだ。連れて行かんぞ」
「はあ、ですが国樹さん、ひとつ大切なことを見落としていませんか?」
ヨシカに問われ国樹は苛立った声を上げる。
「なんだ? はっきり言えよ」
「ルビーです」
国樹が視線を逸らし沈黙すると今度はゼスが口を開いた。
「僕がいないと地下に行けないよ。タガロ、二度手間はよくない。グーシーの中に入るからみんなで行こ」
なるほどそういうことね……。盲点、と言いたいところだが気づいたか。だがルビーは使わないし使えない。ひとつの理由はまた地震が起きたら困る。あれが最初の一回だけならいいが、激しい光も含め懸念は残る。
二つ目は恐らく必要ないからだ。
「最低でも僕がいないとダメだし、荷物はグーシーが運んでくれる。ヨシカいた方がテンション上がるでしょ?」
そう言われヨシカはきゅっと唇を結んだ。確かにゼスの言うことは一理も二理もある。その点も考えガリで待ってもらうことにしたのだ。まあ、充希の自信のほどを試す意味合いもあるのだが。
「分かったグーシーに聞け。なんかあったら迎えに行くから、とりあえず今は降りろ」
「本気なの? 二度手間は嫌って自分で言ってたくせに……」
機嫌を損ねるゼスをグーシーが促す。ヨシカも不承不承従い助手席を降りた。
「どうかご無事で。お帰りお待ちしています」
「僕もう行ってやんない」
『くれぐれも無茶はしないでくれ』
三人と目を合わせ、手を振り国樹はアクセルを踏んだ。サイドミラーに映る三人はやはり寂しげで不安そうだった。
シプキ・ラ検問所が見えてきた。インド側が責任を持っているようで、国境を越えると国道五号線と505号線が近くを走っている。
標高は5000メートルに近い。職場としては最悪の部類だろう。
カシミール地方での紛争、そのせいか国境警備隊は自動小銃を持っていた。さて、上手く切り抜けられるだろうか。
国樹は深く息を吐きゆっくりとバギーで近づいていく。
小銃を提げた警備隊員が身振りで停止位置を指し示す。
バギーを停車させ、共通語で挨拶を交わした。
隊員は些か興味深そうにしていたが、基本無表情だ。
車体のナンバーを確認、指示通り身分証を提示すると少し待てと言われた。その隊員は小屋のような検問詰所に歩いていく。まだ目的や目的地も訊かれていない。大丈夫だろうか。
唇を噛み息を大きく吸って呼吸を整える。なにもやましいことはないという顔をしなければ。
待っているともうひとり隊員が詰所を出てきた。二人でなにか話した後、もうひとりの方がこちらに歩いてくる。首を傾げ怠そうだ。
着いた途端、彼はバギーのフロントガラスを叩くよう手をかけた。
「ホントに戻ってくるとはね。お前そんなに死にたいのか?」
そして冷たく、呆れた視線をこちらに向けてきた。




