↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/7

第6話 先輩と、なりたい魔女

「私、毎日ここに来ているから。顔を覚えてくれたのかもね」


 子ヤギの柵の前で、マーレ先輩が答えた。

 淡い金色の三つ編みが、しゃがんだ膝の上へ落ちている。先輩は空いた手でそれを肩へ戻し、柵の隙間に出していた指を引っ込めた。

 子ヤギは鼻をもう少し伸ばしたあと、囲いの奥へ戻っていった。


「毎日来れば、私のところにも来てくれますか?」

「たぶん。いつも大きな音を立てて追いかける人だって覚えられなければ」


 チロルが、私の方を見た。


「……明日から、静かに来ます」

「今日、何かあった?」

「ウサギを追いかけそうになりました」


 隠す気はないらしい。

 先輩は笑ったけれど、笑われたチロルも、すぐに笑った。


「でも、待ってたら箱に入ってくれたんです」

「じゃあ、もう一つ覚えたね。私も最初は逃げられたよ」


 先輩が立ち上がり、スカートについた草を払う。

 私たちより少し背が高い。黒い上着の袖口には、何度も洗ったらしい柔らかな折り目がついていた。


「名前、聞いてもいい?」

「チロルです。こっちはヴィヴィで、この子はスズ」


 チロルが順番に示すと、先輩の目が私の腕へ下りてきた。

 スズは、白い胸元を私の袖へ押しつけている。


「寮にも連れてきているのね」

「はい。同じ部屋にいます」

「いいね。私、マーレ。寮も一緒だと思うから、帰り道、付き合ってもいい?」


 先輩は小屋の方へ向き直り、ルールさんに声を掛けた。

 子ヤギの水は替えたこと、戸も確かめたこと。

 ルールさんが手を上げて返事をすると、先輩は私たちと並んで門を出た。


     *


 校舎の裏から、庭の西側へ続く道を歩いた。

 木の葉の影が石畳に重なり、三人の靴がその上を順番に踏んでいく。

 スズの耳は、飼育場の方から聞こえる鶏の声に、まだ時々動いていた。


「先輩は、何年目なんですか?」

「三年目。ここは普通、三年通うの。私はこの学期の終わりに卒業の認定を受ける予定」


 チロルが歩調を緩めた。

 先輩の顔を見上げ、頭の中でその先を考えているみたいだった。


「先輩も、資格を取って魔女になるんですね」

「うん、その認定も受けるの。公認の資格が取れれば、学院の外でも魔法を使う仕事ができるから」


「資格を取った魔女は、魔女たちの財団に入る人が多いの。洪水のあとで井戸の水を調べたり、橋を直したりして、人を助けて回るんだって」

「どんな仕事がしたいですか?」

「私はまず、地元の催しで飾りを作る仕事がしてみたいな。広場を花でいっぱいにしたり、夜の屋台に灯りをつけたり」


 マーレ先輩が、道の横の花壇へ目を向けた。

 小さな白い花が、葉の間にいくつも咲いている。


「いつも通る場所が、今日はちょっと違うって思えるの、好きなのよ」

「分かります!」


 チロルの声が一段高くなった。


「お祭りの日、いつものお店に飾りがついてると、全部入ってみたくなるんです」

「そう。そういうの」

「帽子のお店も、お菓子のお店も」

「結局、買い物なの?」


 口を挟むと、チロルは胸を張った。


「お祭りだからね」


 理由になっているような、いないような。

 先輩は口元に手を当てて笑った。


 噴水が見えてきたところで、マーレ先輩が肩掛け鞄を開けた。

 小さな紙包みを取り出す。


「食堂まで少しあるし、一つどう? 昨日、家から届いたの」


 包みの中には、薄い黄色の砂糖菓子が入っていた。

 切った柑橘を、皮ごと煮て乾かしたものらしい。砂糖の粒が、夕方の光を受けて光っている。

 チロルは一つもらい、端をかじった。


「……甘い。あ、あとから、ちょっと苦い」

「皮のところがね。母はそれが好きで、いつも入れてくれるんだけど」


 先輩は眉の端を下げた。


「私、苦いのは駄目なの。手紙に書いても、まだ子供ねって返ってくる」

「卒業するのに?」


 チロルが聞くと、先輩は肩をすくめた。


「卒業しても、嫌いなものは嫌いでしょ」


 それには、私も頷いた。

 もらった一切れを鼻へ近づけると、果物の酸っぱい香りがした。

 腕のスズが鼻を背けたので、チロルに少しだけ抱いていてもらう。

 私は菓子の柔らかい中身をかじった。

 甘かった。皮まで食べると、確かに苦い。


「中だけ食べたいですね」

「でしょう。でも、それをやると皮だけ残るのよ」


 マーレ先輩は、包みの中の一切れを恨めしそうに見た。

 チロルが、それを覗き込む。


「私、皮も好きです。よかったら、もう一つください」

「助かる。どうぞ」


 先輩は嬉しそうに包みを差し出した。

 私が残りを食べ終え、ハンカチで指の砂糖を払うと、チロルは猫を私へ戻した。

 それから、もう一切れ取った。


「手紙って、どこから出せばいいんですか?」


 私が尋ねると、先輩は噴水の向こうの寮を指さした。


「一階の玄関に、郵便の籠があるよ。宛先を書いて、マイミーさんに見てもらえばいい。朝、駅へ運んでもらえるから」

「毎朝ですか?」

「列車がある日はね。届いた手紙も玄関で受け取るの。私、つい何度も見に行っちゃう」


 家から来るのは、苦いお菓子ばかりではないらしい。

 先輩は紙包みを閉じ、鞄の奥へ丁寧にしまった。


「じゃあ、明日は忘れずに、皮のないお菓子をお願いしますって書かないと」


 そう言って、また笑った。


     *


 寮の玄関でマーレ先輩と別れ、私たちは二階の部屋へ戻った。

 スズに水と魚を用意し、私たちも夕食へ下りた。

 私たちの夕食が終わった頃には、窓の外の花壇はすっかり暗くなっていた。


 食堂を出た廊下に、ローレンさんがいた。

 一昨日、台車を貸してくれた購買の人だ。長い木箱を台へ載せ、通りかかる新入生に、短い杖を一本ずつ渡している。


「明日の道具の授業で使う。忘れずに持ってこいよ」


 私たちも、足を止めた。

 木箱に並んでいる杖は、授業用の木の杖より短かった。先端には白い石、持ち手には、回せる金属の輪がついている。

 チロルが受け取った一本を、手のひらの上で転がして見る。


「これも、魔法の杖ですか?」

「光の杖。中に蓄えてある魔力で灯りをつける道具だ。輪を印に合わせて、先を見ながら『灯れ』。消すときは輪を戻す」

「誰でもつけられるんですか?」


 私が聞くと、ローレンさんは頷いた。


「自分の魔法を出す練習とは別だ。備えつけの灯りが使えないときにも役に立つ。説明の紙も読んどけ。部屋で使っていいが、点けっぱなしで寝るなよ」


 私の手のひらにも、一本が乗った。

 普通の木の杖より少し重い。

 ローレンさんは私たちの名前と、持ち手の底に刻まれた番号を帳面へ書いた。


「返すのは、明日の授業が終わってからな」


 チロルは杖と説明の紙を大事そうに持った。

 私は自分の一本を握り直す。

 道具の使い方なら、午前の授業よりは分かるかもしれない。


     *


 二〇三号室へ戻ると、チロルは机の灯りの下で、案内冊子を開いた。

 列車で見せてくれたものだ。

 空いたページには、今日も新しい線が増えていた。


「ほら。昨日のお水」


 丸い玉の絵の横に、『最初にヴィヴィに見せた』と書いてある。

 その下には、杖をまっすぐ出す女の子。

 次のページをめくると、なぜか大きな帽子が出てきた。


「これは今日、なかったよね」

「これからの予定」


 チロルは椅子を私の机の方へ寄せた。

 腰を下ろすと、栗色の髪が肩の上で揺れる。頭の桃色のリボンは外し、今は机の隅に置いてあった。

 緑の目は、絵を見ているだけなのに、外を走っているときより元気そうだった。


「この帽子、つばの内側に小さな星を縫いつけたいの。見上げたときだけ見えるんだよ」

「かぶってる本人には見えないんじゃない?」

「だから、見た人だけが分かるの。それで、上着の裾にも同じ星をつけて――」


 指が、別の絵へ移った。

 細い腰紐のついた上着に、ひらひらした裾。


「これは、箒に乗ったとき、後ろへ広がるようにしたい」

「邪魔にならない?」

「引っかからない長さにする。そこは大事」


 チロルは鉛筆を持ち、長すぎた裾の線を短くした。

 全部、見た目だけの話かと思ったら、飛びやすさも考えているらしい。


「町の時計塔くらいの高さを飛んで、下から見たら、星が通ったみたいに光って――」

「そんなに高いところへ行くの?」

「初めは屋根より少し上。慣れたらね」


 チロルが顔を上げる。


「ヴィヴィは、どんな格好がいい?」

「私は乗らないけど」

「もし乗るなら」

「風が入ってこない上着。それと、落ちない座り方」


 チロルは口を少し開けた。

 それから私の方へ身を寄せ、ページの端に新しい絵を描き始めた。

 襟を高くした、すとんとした形の上着。


「じゃあ、これ。留めるところを増やして、ポケットにも蓋をつけたら、物が飛んでいかないでしょ」


 今度は、私が少し驚いた。

 からかうために聞いたのではなかったらしい。


「……それなら、寒くはなさそう」

「星、一個だけつけてもいい?」

「一個だけなら」


 胸の辺りに、小さな星が描かれた。

 下の方の空いたところには、猫も描かれている。

 私は、スズの白い胸元が絵にもあることに気づいて、つい笑った。


「帽子は?」

「頭から飛んでいくと思う」

「それは紐で留めようよ!」


 チロルは真剣だった。

 真剣に、風で飛ばない帽子を考えている。


 私のベッドの上で、スズが大きくあくびをした。


『猫は高いところから帰るとき、足で降りるにゃ』


「私は屋根から足で降りないよ」


 チロルがベッドを振り返った。

 スズは前足を伸ばし、爪を布へ掛けている。


「スズも、一緒に乗れたらいいのにね。籠をつけたらどうかな」

「まず、乗る前に降りると思う」


 私が言うと、チロルは猫の絵の下に、小さな籠を描き足した。

 スズの顔は、それを見てもいなかった。


「マーレ先輩みたいな飾りも、作ってみたいな」


 チロルはページを戻した。

 帽子と上着の絵の横に、鉛筆で点を打っていく。


「お花もいいし、小さな光がいっぱい浮かんでてもいい。こう、ぱあっと散って、また集まるの」


 片手が開き、指先で空中に丸を描いた。

 もちろん、今は何も光らない。

 それでも、彼女の目を見ていると、その手の先に何があるつもりなのかは分かった。


「昨日のお水も、きれいだったでしょ」

「うん。丸かった」

「光も、もっといろんな色にしてみたい。使うとき、自分でも嬉しくなるようなの」


「卒業したあとも、その光を使いたい。封印されるのは嫌だもん」


 チロルは鉛筆を握り直し、帽子の横へ『明日も練習』と書き足した。


 机の端には、二本の木の杖がある。

 片方だけ、持ち手に桃色のリボン。

 その隣へ、今夜借りた短い杖が一本ずつ置いてあった。


「こっちは何色に光るのかな。明日の授業、楽しみ」


 チロルは光の杖へ手を伸ばしかけ、冊子の方へ戻した。


「でも先に、絵を描き終わりたい。家にも、この帽子のこと書くんだ」


 私は棚から、持ってきた便箋を取り出した。

 紙の束は、まだほとんど減っていない。


「おばあちゃんにも、手紙を書かないと」

「どんな人?」

「薬草に詳しくて、畑があって。近所の人が怪我をしたら手当てをしたり、相談に乗ったり」

「ヴィヴィ、そこを手伝ってたんだね」

「うん。あと、よく昔話をする。自分は魔女だって」


 鉛筆が止まった。

 チロルが顔を上げ、机の向こうから私を見る。


「おばあちゃん、魔女なの?」

「本人はそう言ってる」

「いいなあ!」


 羨ましがられるとは思わなかった。

 私は紙の端を揃えながら、少し首をひねる。


「帽子はかぶってないよ。いつも前掛け。箒も、普通に掃除に使ってる」

「薬草をいっぱい並べたおうちなんでしょ。それも、魔女のおうちって感じがする」

「乾かしてると、すごいにおいになるけどね」

「それも知ってみたい」


 チロルは、自分の描いた上着へ目を落とした。


「私だったら、着るときはちゃんと前掛けもするな。薬が跳ねたら、染みが落ちなさそうだもん」


 憧れの中にも、洗濯の心配はあるらしい。

 私はまた少し笑い、便箋に向き直った。


     *


 おばあちゃんへ。

 学院には、一昨日、無事に着きました。


 チロルという、十五歳の子と同じ部屋です。

 列車で会いました。


「私のこと、書いてる?」


 顔を寄せられたので、便箋を少し向けた。


「同じ部屋だって」

「魔女になりたいことも、書いて」

「それは自分の家にも書くんでしょ」

「ヴィヴィのおばあちゃんにも、知ってほしい」


 帽子の絵を指さすチロルを見て、続きを書いた。

 きれいな光を使う魔女になりたいそうです。

 水は一滴だけ、杖の先から落ちました。指に触れたら冷たかったので、拭きました。

 浮かべることはできません。同じようにしても、もう出ませんでした。

 光はまだ出せません。

 チロルの水は、丸い形がうっすら見えました。

 先生の水は、よく見えました。水盤へ落ちたとき、教卓も濡れていました。

 まだ、よく分からないことが多いです。


「難しい顔になってるよ」


 チロルに言われ、眉の辺りへ指を当てた。


「そう?」

「うん。帽子の絵、もう一回見る?」


 チロルが開いた冊子を、私の便箋のそばへ滑らせた。

 風が入らない上着と、紐で留める帽子。

 小さな星の横には、『ヴィヴィ』と書いてある。


「まだ乗らないからね」

「分かってる。もし乗るなら、の予定」


 私は絵を戻し、最後へもう一行足した。


 帰りたいという話は、今日はしませんでした。


 書いてから少し恥ずかしくなったけれど、消さずに残した。


「明日の朝、手紙を出してもいいか聞こう」

「うん。私のも」


 チロルは冊子の絵を仕上げ、ようやく自分の便箋を広げた。

 私は乾いた手紙を折り、封筒へ入れる。


 そのとき、机の灯りが一度、弱くなった。


 私は顔を上げた。

 ガラスの覆いの中で、光が揺れている。


「今の、風?」


 チロルが窓を見た。

 窓は、暗くなる前に閉めてある。

 カーテンも、動いていなかった。


 廊下の向こうで、小さな声がした。

 次に、机の上の灯りが消えた。


 紙も、鉛筆も、チロルの顔も、暗がりへ沈む。


「ヴィヴィ?」

「いる。机のところ」


 ベッドの上で、スズが鳴いた。


『まだ、目を閉じてないにゃ』


 私は手を机へ置き、立ち上がった。

 廊下の様子を見ようと、扉まで壁を伝って歩く。

 少しだけ開けると、隙間から入ってくるはずの明かりもなかった。


「こっちも消えてる」


 さっきまで並んで見えていた壁の灯りが、全部暗い。

 どこかの部屋で、椅子を引く音がした。


 後ろで、チロルが言った。


「ヴィヴィ。さっき、灯りを借りてきたよね」


 私は、机の上に置いた短い杖を思い出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。