第2話
夜が白み始めるまで、俺はマウスを握り続けていた。
画面上には、赤や青の極太フォントが所狭しと配置されている。銃声の反響、薬莢がコンクリートに落ちる乾いた響き。そのすべてを視覚的な情報に変換し、タイムラインに並べていく。
「……できた」
エンコードを開始し、背もたれに深く体重を預けた。目の奥が熱く疼いている。
ドアが控えめにノックされ、少しだけ隙間が開いた。ひょっこりと顔を出したのは結衣だった。昨夜、心ないコメントを見て部屋を飛び出していったきりだったから、少し気まずそうな表情をしている。
「おはよう、お兄ちゃん。また徹夜?」
結衣は手話と口の動きを交えて尋ねてきた。俺は小さく頷き、手招きする。
彼女はとてとてと歩み寄り、モニターに映る完成したばかりの動画に視線を落とした。画面いっぱいに明滅する文字の群れを見て、結衣は小さく吹き出した。
「やっぱり、お兄ちゃんの編集センスってダサいね。色がチカチカして目が痛くなりそう」
それは明らかな照れ隠しだった。昨日の自分の態度を気にして、わざと明るく振る舞っているのだ。
「うるせえ。これが俺のスタイルだ。誰が何と言おうと、このやり方は絶対に変えねえよ」
俺がぶっきらぼうに返すと、結衣は嬉しそうに目を細めた。
「うん。わたしは、このダサい動画が好きだよ」
結衣のその言葉だけで、徹夜の疲労が少しだけ軽くなった気がした。世間がどれだけ俺を「うるさい」と嘲笑おうと、たった一人のリスナーが笑ってくれるなら、それでいい。
俺は動画の公開ボタンを押し、ベッドに倒れ込んだ。
◆ーーーー◆
「なんだよこれ、どうなってんだ……」
鉄平は、散らかった部屋の中でスマホの画面を食い入るように見つめていた。
いつもなら、あの「日本一うるさい実況者」の動画が上がれば、真っ先に低評価を押して『画面見えねえよカス』とコメントを書き込むのが日課だった。だが、今日のタイムラインの様子はおかしい。
彼がフォローしている大手実況者のKANAが、突如としてその動画を引用し、長文の解説を投稿していたのだ。
『みんな、この人の動画を音無しで見てみてほしい。ただうるさいだけじゃない。足音の方向、敵との距離、環境音の反響まで、文字の大きさと色で完全再現してる。これ、音のない世界の人間に音を伝えるための神編集だよ』
「は? 神編集だぁ?」
鉄平は鼻で笑い、半信半疑で動画を再生した。KANAの言う通り、スマホの音量をゼロまで下げる。
画面には、相変わらず極彩色のテロップが乱舞している。だが、音がない状態でそれを見ると、不思議なことにゲーム内の状況が手に取るようにわかった。
『右後方・乾いた土を踏む足音(小)』という青い文字が出た直後、プレイヤーは的確に右後ろへ振り向き、敵を撃ち抜く。文字の大きさが距離を、色が音の性質を表している。
「マジかよ……」
鉄平の口から、間の抜けた声が漏れた。
ただの自己満足だと思っていた過剰な装飾は、すべて緻密に計算された視覚化のルールに基づいていたのだ。ゲームを愛する者として、その異常なまでのこだわりに圧倒された。
鉄平は無意識のうちにキーボードを叩いていた。
『お前ら、これただのノイズじゃねえぞ。音消して見てみろ。マジで神編集だから』
今まで散々叩いていた自分の過去を棚に上げ、鉄平は熱心な擁護コメントを送信した。
◆ーーーー◆
「は? 意味わかんないんだけど」
リナは、ベッドの上でクッションを抱きしめながらスマホを睨みつけていた。
彼女の推しであるKANAが、どこの馬の骨ともわからない底辺実況者を絶賛している。それがどうしても許せなかった。
「音を伝えるための神編集? ただ目立ちたいだけでしょ、こんなの」
リナは苛立ちに任せて画面をスクロールする。KANAの影響力は絶大で、あの「うるさい」動画の評価は一瞬にして反転していた。コメント欄は称賛の嵐に変わり、再生数は見たこともない勢いで伸び続けている。
「絶対になんか裏があるはず。あんたの化けの皮、私が剥がしてやるんだから」
リナは目を血走らせながら、過去の動画を一つ残らずチェックし始めた。推しを騙しているに違いないこの実況者を、炎上させて引きずり下ろすための粗を探すために。
◆ーーーー◆
数日後、俺のチャンネルは異様な熱気に包まれていた。
登録者数は桁違いに跳ね上がり、通知欄は滝のように流れていく。KANAという大手実況者のたった一つの投稿が、状況を根底から覆してしまったのだ。
『音を消して見てみろ』という検証動画が次々と上がり、俺の編集意図は完全に暴かれていた。
「お兄ちゃん、すごいことになってるね……」
結衣がスマホを見せながら、不安そうに眉を寄せた。
「ああ。正直、気味が悪いな」
俺はため息をつき、DMの受信箱を開いた。そこには、テレビ局やネットメディアからの取材依頼が山のように届いていた。
『耳の聞こえない妹さんのために動画を作り続ける兄。その素晴らしい兄弟愛に密着させてください』
『バリアフリー実況の先駆者として、ぜひインタビューを』
胃の奥が冷たくなるのを感じた。
連中は俺たちを「感動の美談」として消費しようとしている。障害を持つ妹と、そのために頑張る健気な兄。そんなわかりやすいテンプレートに当てはめて、お涙頂戴のコンテンツに仕立て上げようとしているのだ。
「結衣、お前はどうしたい?」
俺が尋ねると、結衣は首を横に振った。
「わたし、かわいそうな子になりたいわけじゃないよ。お兄ちゃんの動画は、わたしがゲームを楽しむためのものだもん」
「そうだな。俺も、見ず知らずの連中に同情されるためにやってるわけじゃない」
俺はマウスを操作し、届いていた取材依頼のメールをすべてゴミ箱に放り込んだ。
世間がどれだけ俺たちを持て囃そうと、それに乗っかるつもりはない。俺たちは沈黙を貫く。それが、無理解な連中に対するせめてもの抵抗だった。
だが、評価が反転し、称賛の声が集まる一方で、新たな火種がくすぶり始めていた。
俺が取材をすべて無視し、一切の素性を明かさないことで、一部の視聴者が別の角度から動画を検証し始めたのだ。
『てか、この実況者、プレイ中に時々コントローラーから手離してない?』
『手元カメラの動き、なんか不自然じゃね?』
『もしかして、チートツールでも使ってんのか?』
画面の端に映る、俺の不自然な手の動き。
称賛の裏側で、その奇妙な動作に対する新たな憶測が、ネットの海に広がり始めていた。




