第1話
放課後の教室。西日が差し込む中、俺は机に突っ伏して眠気と戦っていた。連日の深夜に及ぶ作業のせいで、頭の芯がぼんやりと痺れている。
「おい蒼太、起きろって! これ見たか?」
耳元で響く大輔のバカでかい声に、俺は重い瞼をこじ開けた。大輔はスマホの画面を俺の顔の前に突きつけてくる。
「今、ネットでめっちゃバズってるやつ。『日本一うるさい実況者』って知ってるか?」
画面の中で再生されているのは、人気FPSゲームのプレイ動画だった。だが、肝心のゲーム画面はほとんど見えない。赤や青、極太のフォントや細字が入り乱れ、画面の四方八方を埋め尽くしているからだ。
『右後方・乾いた土を踏む足音』
『遠くでくぐもった銃声・二発』
『自身の荒い息遣い』
そんな文字が、過剰なエフェクトとともに次々と明滅している。
「画面見えねえし、テロップのセンスやばすぎだろ。何考えてこんな編集してんだか」
大輔は腹を抱えて笑っている。彼の言う通り、一般の視聴者からすれば、ただの視覚的暴力でしかないだろう。
「……そうだな」
俺は適当に相槌を打ち、目の下のクマを指でこすった。大輔が笑い転げているこの動画の投稿主が、目の前にいる俺だとは夢にも思っていないはずだ。
「お前もゲーム好きなら、こういうの見て笑っとけって。マジで狂ってるから」
「帰って寝る。じゃあな」
俺はカバンを掴み、大輔の声を背に教室を後にした。足取りは重かったが、早く帰らなければならない理由があった。
◆ーーーー◆
帰宅後、俺は制服も着替えずに自室のPCの前に座った。
編集ソフトを立ち上げ、昨晩録画したゲームの素材を読み込む。ここからが本番だ。
ヘッドホンをつけ、音量を極限まで上げる。ゲーム内の足音、風の音、遠くの銃声、キャラクターの息遣い。そのすべてを拾い上げ、方向や距離、材質によってフォントや色を変えて画面に配置していく。
「右斜め前、鉄板を踏む足音。フォントはゴシック、色は赤。距離は近いから文字サイズは最大……」
数分の動画に対し、タイムライン上には何百ものテキストクリップが重なっている。一つずつ再生しては止め、表示タイミングを1フレーム単位で微調整していく。
コンコン、と控えめなノックの音がして、ドアが開いた。
妹の結衣が入ってくる。手には湯気の立つマグカップが二つ握られていた。結衣の耳は聞こえない。
俺はヘッドホンを外し、手話と口の動きで「ありがとう」と伝えた。
結衣はマグカップを机に置くと、PCのモニターを覗き込んだ。
「お兄ちゃん、これ、昨日のゲーム?」
彼女の手話は滑らかで、表情は好奇心に満ちている。
「ああ。今、音をつけてるところだ」
俺がスペースキーを押してプレビューを再生すると、画面いっぱいに極彩色の文字が躍った。
結衣の目が輝く。彼女は画面の文字を追い、ゲーム内の状況を正確に把握していく。背後から忍び寄る敵の足音を示す赤いテロップが出た瞬間、結衣はビクッと肩を揺らし、直後に俺のキャラクターが振り向いて敵を倒すと、パァッと花が咲いたように笑った。
俺にとって、この笑顔がすべてだった。
「無理しないでね、お兄ちゃん」
結衣は俺の目の下のクマを指さし、心配そうに眉を下げる。
「大丈夫だ。お前が笑ってくれるなら、いくらでも作るさ」
結衣の頭を撫でると、彼女は嬉しそうに目を細めた。
リビングに下りると、母さんが夕食の準備をしていた。
「蒼太、また寝不足なんじゃない? 目の下、真っ黒よ」
エプロン姿の母さんは、フライパンを振りながらため息をつく。
「平気だよ。ちょっと編集に時間かかってるだけだから」
「結衣のために頑張ってくれるのは嬉しいけど、あなた自身の時間も大切にしなさいよ」
母さんの言葉には、温かい心配が込められていた。俺が無理をしているのではないかと、密かに気を揉んでいるのだろう。
「わかってるって」
俺は短く返し、麦茶を一気に飲み干した。
◆ーーーー◆
数日後。
俺のチャンネルに異変が起きていた。普段は数十回しか回らない再生数が、一気に跳ね上がっている。数万、十数万と、見たこともない数字がカウンターに刻まれていた。
通知のアイコンが鳴り止まない。大輔が言っていた「バズり」というやつだ。
だが、コメント欄を開いた俺の目に飛び込んできたのは、称賛の言葉ではなかった。
『画面がうるさい』
『文字でゲーム画面見えねえよ』
『自己満足の極み』
『こんなん誰が見るんだよ草』
見知らぬアイコンからの心ない言葉が、滝のように流れている。その中に、鉄平というアカウントからの長文コメントがあった。
『FPSで画面見えないとか致命的だろ。音の表現にこだわってるつもりか知らんが、ただのノイズ。センスなさすぎ。自己満足の偽善者』
俺はマウスを握る手に力を込めた。心の奥底に隠していた恐れを抉り出されたようで、胃の奥が冷たくなる。
ふと、背後に気配を感じて振り返った。
結衣が立っていた。彼女の視線は、PCのモニターに向けられている。漢字の多いコメントでも、そこに込められた圧倒的な敵意は伝わってしまう。
結衣の表情が、みるみるうちに青ざめていく。
「……わたしのせい?」
手話でそう尋ねる結衣の指先が、わずかに震えていた。
「違う。お前のせいじゃない」
俺は即座に立ち上がり、モニターを体で隠した。
「でも、みんな怒ってる。お兄ちゃんが、わたしのせいで……こんな言われ方して……」
結衣の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「違うんだ、結衣。これは俺が勝手にやってることだ。お前は何も気にするな」
結衣は両手で顔を覆い、部屋を飛び出していった。
「待て、結衣!」
追いかけようとしたが、足が動かなかった。
俺は再びモニターに向き直る。画面には、容赦のない批判の言葉が増え続けている。結衣を傷つけるくらいなら、こんな動画作りはやめたほうがいいのか。
世間の言う通り、俺のやっていることはただの「うるさい」ノイズでしかないのか。
いや、違う。
俺はキーボードに手を置いた。
なぜ、俺はRPGではなく、音による状況判断が不可欠なFPSやホラーゲームばかりを選ぶのか。なぜ、手元カメラに映る俺の手は、プレイ中に時折不自然な動きを見せるのか。そしてなぜ、どれだけ批判されても、この過剰な編集スタイルを崩そうとしないのか。
その理由を、画面の向こうの連中に説明するつもりはなかった。ただ、結衣に「音の世界」の豊かさを届けるため。
俺は、新たな動画の録画ボタンを押した。
批判の嵐の中で、俺は一つの決意を固めていた。だが、モニターの光に照らされた俺の顔は、自分でも驚くほど冷たく、そして険しいものになっていた。
この過剰な字幕の裏に隠された真の意図に、気づく者などいるのだろうか。




