第12話
解決の糸口は見えない。ただ、重苦しい夜だけが、どこまでも深く更けていく。
深夜の自室で、俺は再びパソコンのモニタに向き直った。マウスを握る手にじっとりと汗が滲んでいる。
結衣が動画を見るのを避けるようになった理由。それはきっと、俺の編集がまだ不十分だからだ。音の情報を視覚化しきれていないせいで、ゲームの状況が正しく伝わっていないに違いない。
そう思い込んだ俺は、字幕のルールをさらに緻密に設定し直すことにした。
高音は赤、低音は青。環境音は細字のフォントを使い、敵の足音は極太の明朝体で強調する。距離に応じて文字の透明度も変え、空間の奥行きまで視覚的に表現する。
キーボードを叩く音が、静まり返った部屋に響き続ける。
数時間後、完成した動画をプレビュー再生した。ディスプレイを埋め尽くす極彩色の文字が、激しく明滅している。一般の視聴者が見れば、ただの視覚的暴力にしか見えないだろう。
だが、これでいい。結衣に音のすべてが伝わるのなら、世間の評価などどうでもよかった。
動画のアップロードボタンを押し、俺は泥のように眠りに落ちた。
◆ーーーー◆
翌日の昼休み。教室の自分の席で突っ伏していると、大輔がスマホを片手に近づいてきた。
「なあ蒼太、起きろって。例の配信者のやつ、最近アンチのおもちゃにされすぎてて、さすがに可哀想になってきたわ」
悪気のない友人の言葉が、胸の奥をチクリと刺す。
俺は顔を上げ、適当に相槌を打ちながら目をこすった。昨夜投稿した動画のコメント欄は、予想通り酷評の嵐だった。『センスが壊滅的』『目がチカチカする』『視覚的テロ』といった言葉が並び、低評価のバーが真っ赤に染まっていた。
「けどよ、今日になってすげえ動きがあんだよ」
大輔は興奮した様子で、俺の鼻先にスマホの液晶を突きつけてきた。
「あの大手配信者のKANAが、こいつの動画を取り上げててさ。ちょっとこれ見てみろよ」
再生された動画から、落ち着いた低い声が流れてくる。登録者数数百万人を誇るトップクリエイター、KANAの声だ。
『みんな、この動画をミュートにして見てみてほしい』
KANAの言葉に従い、動画内のゲーム音声が消される。無音の状態で、俺の過剰なテロップだけが激しく点滅を繰り返していた。
『この異常な文字の量、ただの嫌がらせやウケ狙いじゃない。足音の方向、距離、銃声の反響まで、全部文字で完全再現してるんだ』
大輔が息を呑む気配がした。KANAの解説は続く。
『赤い文字は近距離の高音、青い文字は遠くの低音。環境音は細字で邪魔にならないように配置されてる。これ、音のない世界の人間に、音の情報を全部伝えるための編集だよ。狂気じみた執念だ』
「マジかよ……」
大輔が震える声で呟いた。
「これ、とんでもない神編集じゃん。ただの荒らしだと思ってたけど、全然違うじゃねえか」
KANAの検証動画をきっかけに、ネット上の空気は急速に変わり始めていた。コメント欄には『鳥肌が立った』『天才すぎる』といった称賛の声が次々と書き込まれ、再生数は爆発的な勢いで伸びていく。
隠されていた真価の発見。世間の評価は完全に反転しようとしていた。
「すげえな、こいつ。一気にバズるぞ」
大輔は自分のことのように喜んでいる。
だが、俺の心は冷え切ったままだった。胃の奥に重たい鉛を飲み込んだような感覚が居座っている。
何百万人から称賛されようと、意味がない。俺が動画を作っている理由は、ただ一人の視聴者を笑顔にするためだけなのだ。
その肝心の結衣が、俺の動画を避けている。その事実が、称賛の言葉をすべて虚ろなものに変えていた。
◆ーーーー◆
その夜。
午前二時、寝苦しさに目を覚ましてベッドを抜け出した。
喉の渇きを覚え、部屋を出て廊下を歩く。ふと、結衣の部屋の前で足が止まった。
ドアの下の隙間から、かすかな光が漏れている。
平時であれば、結衣はとっくに寝ている時間だ。胸騒ぎを覚え、俺は音を立てないようにドアの隙間から中を覗き込んだ。
暗い部屋の中、ベッドの上に結衣が座っていた。
彼女の手にはスマホが握られている。液晶の青白い光が、結衣の顔を淡く照らし出していた。
結衣の指が、画面をゆっくりとスクロールしていく。映っているのは、俺の動画のコメント欄だった。
KANAの動画の影響で称賛が増えたとはいえ、過去の悪意がすべて消え去ったわけではない。心ない誹謗中傷や、障害者をダシにしているという冷酷な言葉が、まだそこかしこに残っている。
結衣の肩が、小刻みに震えていた。
彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ち、シーツに黒い染みを作っていく。声を殺し、誰にも気づかれないように、結衣は一人で泣いていた。
息が止まりそうになった。
自分が結衣を苦しめているという残酷な事実が、鋭い刃となって胸を突き刺す。
俺は結衣にゲームの楽しさを伝えたかっただけだ。音の世界の豊かさを、一緒に分かち合いたかっただけだ。
だが、俺の独りよがりな行動がネットの悪意を引き寄せ、結果として結衣を深く傷つけていた。
ドアノブに伸ばしかけた手が、空中で凍りつく。
今すぐ部屋に入り、結衣からスマホを取り上げたい。謝って、もう二度と悲しい思いはさせないと伝えたい。
しかし、足は一歩も前に出なかった。
俺にそんな資格があるのか。自分のエゴで妹を矢面に立たせ、泣かせている俺に、どんな言葉がかけられるというのか。
結衣の震える背中を見つめながら、俺は暗い廊下に立ち尽くすことしかできなかった。
自分の信じてきたものが、足元から崩れ去っていく音がする。
手のひらにじわりと嫌な汗が滲む。静かな不安と、底知れない無力感が、冷たい水のように全身を満たしていった。




