13.『急く心』
「これ、あんたに渡してくれって頼まれてね」
氷煉に連れられて町に下りて来ていた舞は、そう言って見知らぬ女から文を渡された。
無用心だったかも、と後で思った舞だが、だからといって危険を察知するような力も、それを避ける能力も自分にはないのだった。
氷煉はといえば、舞の着替えを選ぶといって、呉服屋の中で店主と顔を突き合わせ、真剣な表情で生地を見ていたところだった。
普段は掃火の追跡を避けるため、山の中に隠れてすごしている舞と氷煉だったが、最近はその追っ手の姿も見えず、それをいいことに氷煉は頻繁に舞を連れて町に下りていた。
町に来るたびに氷煉は舞に、いろんなものを買い与えようとする。かんざしや櫛、鏡や首飾りなど、舞にとってはどれも目を剥くような値段で、舞としては嬉しいというよりただひたすら心臓に悪い。どれがいいかと問われたら、ただただ全力で首を振るばかりの日々だった。
それでもお菓子や食べ物なんかは比較的素直に受け取ってしまい、「まだ花より団子かな」と氷煉に笑われ、頬を染めたりもした。
今日は、舞の着替えを買うという名目をだしてきて、服を買いにいくことになっていた。
氷煉が入っていったのは町の名士や貴族たちが使う様な呉服屋で、孤児だった舞などは軒先に立ち止まることすらはばかられた店だ。
火車の出現によりこの国は荒廃していっているが、掃火たちの基地があり火車たちの被害のまだ少ない北部では、こういう店もまだまだ残っていた。
「できるだけ普通のお店にしてください」と事前に伝えていた舞の氷煉へのお願いは、今日も儚く露と消えていったのだった。
そんな場所にはいっていく氷煉を舞は慌てて止めたのだが、氷煉はそんな舞の抵抗などどこ吹く風で、縋り付く舞ごとそのまま店に入ってしまった。それからは真剣な表情で店主と布を選び始めた氷煉に気後れして、声をかけることもできず、高級な店構えに居心地をわるくしてしまい、そろそろと呉服屋の軒先の氷煉の姿が見える位置に移動し体を落ち着けたのだった。
こんな高級な店でも上客扱いを受ける氷煉の連れということもあってか、舞の脇にはお茶が差し出されていた。それもなんだか慣れてないので、非常に申し訳ない気がしてくる。
舞は先ほど渡された文をしげしげと見て裏返し、書かれている差出人を見て驚く。
そこに書かれているのは、京也の名前だったからだ。京也は運動だけでなく、勉学にも優れた子供だった。孤児のでなのに近くの和尚に特別に見込まれ勉強を習い、字の読み書きまで出来るようになっていた。それを舞も京也から教えてもらい、字の読みと簡単な書きぐらいならできるようになれたのだ。
いわば、京也は舞の字の先生だ。
だから見間違いようが無かった。手紙は確かに京也の字で書かれていた。
舞は慌てて手紙を開く。
そこには、簡素な文が書かれていた。
『今日の夜、鈴山の滝で待つ。二人っきりで話しがしたい』
その文章を読んで舞の心が揺れる。
鈴山はこの町のすぐ近くにある山だ。舞の足でも行くのに支障は無い。行きたい、そう思った。
でも、ここに書かれていることが、本当のことであるはずが無かった。
きっと、罠だ…。
掃火はそんなに甘い組織ではない。京也だって自分のことをどう思っているのか、何度も会ってわかっている。
(でも…、もしかして京ちゃんなら…)
斬りかかられたのに、舞はそう胸に湧き上がる思いを消せなかった。もう自分は火車になってしまったというのに、京也も決して舞を人としては見てくれてないというのに…。
それでも舞の心に残る優しい笑顔が、手を握ってくれた時の暖かい温もりが、わずかな希望を舞に残し続ける。
もしかしたら、もしかしたら…、わかってくれるのかもしれない…。
「舞、こんなところにいたのかい?」
後ろからかかった声に、舞は咄嗟に懐に手紙を隠してしまった。
「あ、氷煉さま。終わったのですか?」
「終わったの、は酷いなぁ。舞のための服を選んでいたのに」
「ご、ごめんなさい」
手紙を隠してしまった舞は取り繕うように、座っていた腰掛けから立ち上がり氷煉へと歩み寄る。
隠してしまったのは反射的にだが、いまさら出すのもやりにくい。それに手紙の言うとおり、京也のもとへ行くとするなら、氷煉に手紙は見せられない…。
氷煉はそんな舞の挙動を不審に思った様子はなかった。
舞はほっとした。
火車とその主人という繋がりのせいか、舞と氷煉の感情はどこか深くでつながってしまっている気がするのだ。
だから、氷煉に隠したことを察知されてしまうかもと思った。
そう考えて舞は自分が氷煉を騙そうとしていることに気づく。
(こんなに良くしてくれる人なのに、私はいま隠し事をしようとしている…)
自己嫌悪と罪悪感があふれ出し胸が痛む。
舞の唇が震えた。言うべきか、言わざるべきか。
たぶん、この手紙は掃火たちの罠だ。行く以上、罠に自分から飛び込んでいくことになる。そんなものに氷煉を巻き込むわけにはいかない。
それに舞がひとりで行くとなったら、氷煉はきっと嫌がるだろう。
氷煉が自分のことをとても大切に思ってくれていることは、この数日で舞にもわかっていた。理由はわからないけど、それは真実として感じられた。舞にとっても、氷煉はいまや大切な人だ。
だから、偽っていいのだろうか…。
「ひょ…」
「う~ん、あの店はそんなにいい布は置いてなかったね」
心は迷ったまま、口を開きかけた舞の小声は、氷煉の言葉に被せられるように消えてしまった。
何を言おうとしたのか自分でもわからなかった舞は、そのまま出かけた言葉を引っ込めてしまう。
「じゃ…じゃあ、何も買わなかったんですね?」
ほっとしたような、でも胸にしこりが残ってしまったような微妙な心境で、舞は氷煉の言葉に返答を返した。
実際、今日は氷煉が何も買わなかったらしいことには、ほっとしたのは事実だった。しかし、現実はそんなに甘くなかった。
「いや、三着ほど注文したよ。出来るのに二週間ほどかかるみたいだけど。はやく出来るといいなぁ」
「三着!?しかもわざわざ仕立てたものなんて!氷煉さま、わたしは普通のものでいいと言ったじゃないですか!」
胸にしこりを残したままの舞だったが、それでも氷煉の言葉を見過ごすことはできなかった。しかも仕立て服なんて、舞にとっては一生縁が無いものだ。それを三着もだなんて…。
「なるべく、普通に良い物を選んだつもりだけど?」
そう不思議そうに返答した氷煉に、舞はため息をつくしかなかった。氷煉と舞では感覚が違いすぎる。
火楽ともと人間だというより、おもに金銭感覚や生活感のほうで…。舞はここ数日をもって、ついに何かをいうのを諦めた…。
それから茶屋により、軽く食事をとってから二人は町を立ち去ったのだった。
***
夜、木立だけが静かにささやく森の中。
舞は氷煉の腕に収まるように眠っていた。
その目が唐突にぱちりと開く。
舞は顎を少しだけあげ氷煉の顔を上目遣いに確認すると、小さく慎重に体を動かし慎重にその腕を抜け出す。そしてもう一度、氷煉の顔を覗き込んだ。氷煉のまぶたは閉じられていて、規則正しく息吐いている。
舞がそっと肩口に手で触れても、起きる気配はない。
舞はそんな氷煉の顔をしばらく見つめ続けた。
舞を火車にして、優しく助けてくれる不思議な火楽。舞なんかよりずっと、町のお店に詳しかったり、人間の知識も知っていたりする。優しくしてくれる理由は自分が火車だからなのかもしれない。それでも舞にとっては恐ろしい化物ではなく、人だと感じられる。
そういえば火楽も寝るということを知ったのも、氷煉と出会ってからだった。それからいろんなことを教えてもらった。それらは火楽や火車の知識よりも、人間としての暮らしのことについてのほうが多かった。食べたことのなかったお菓子の味や、北方から伝わる宝飾類の雑学、着物の着方や知らない地方に伝わる寓話。
それはたぶん舞がまだ生きてたときよりも、楽しい時間だった気がする。ずっと氷煉のそば一緒にいれば、舞は幸せに暮らしていけるのかもしれない。
でも、舞の心が急かすのだ。
はやく…。はやくっ。はやくっ!間に合わなくなるっ…。
蘇ってくる死の恐怖とともに…。
京也の顔が浮かんでくる。ずっと自分を守ってくれた大切な幼馴染。たとえ人間と火車として袂を分かつとも、大切な…。
「氷煉さま、ごめんなさい…」
舞は氷煉に触れていた手をそっと離すと、夜の森へと駆け出した。




