第8話裏切り者と地獄の激辛麻辣麺
帝国ヴィクトリア貴族学院の追放執務室。
「スカーレット様! 許しがたい裏切り者が発覚いたしましたわ!」
ミリアが怒りに頬を染め、机の上に一通の羊皮紙を叩きつけた。
そこに記されていたのは、スカーレットの取り巻きの一人である子爵令嬢クラリッサによる、セレスティーヌ様への密告状の草案だった。
『スカーレットは追放業務にかこつけて私腹を肥やし、派閥の私物化を目論んでいる』という、事実無根の讒言がびっしりと並んでいる。
(ひ、ヒィィィィッ!?)
スカーレットは内心で悲鳴を上げた。
クラリッサはスカーレットを蹴落とし、自分がセレスティーヌの直属側近に成り代わろうと画策していたのだ。
(こんなものがセレスティーヌ様の目に触れたら、事実確認すらされる前に『あら、言い訳は灰になってから聞きましてよ』と、私ごとアグニス伯爵家が消し炭にされますわぁあああ!)
「……処罰対象。秘密裏の排除を推奨」
レムが淡々と指関節を鳴らす。
だが、スカーレットは深呼吸をして冷汗を拭い、扇子をパチンと鳴らした。
「いいえ。下っ端とはいえ、わたくしもアグニス家の看板を背負う悪役令嬢ですのよ。裏切り者には、派閥の掟として直々に『落とし前』をつけさせて差し上げますわ!」
◆
放課後、王都の最果ての裏路地。
スカーレットがクラリッサを呼び出したのは、赤黒い看板に髑髏のマークが描かれた激辛ラーメンの聖地『麺処・地獄閻魔亭』だった。
店に入る直前、スカーレットは路地の物陰で、レムから渡された小瓶を一気に喉へ流し込んだ。
「……特製・胃腸粘膜超絶コーティング薬。牛乳と魔導生薬の濃縮エキス。これで胃壁の崩壊は三十分防げる」
「恩に着ますわレム……!」
覚悟を決め、スカーレットは店内へ足を踏み入れた。
店内には唐辛子と花椒の暴力的な刺激臭が充満し、空気そのものが肌をチクチクと刺す。
カウンターの隅でガタガタと震えていたクラリッサを見つけると、スカーレットは極悪非道な笑みを浮かべてその正面に腰を下ろした。
「ごきげんよう、クラリッサさん。ずいぶんと立派な密告状をお書きになっていたようですわね?」
「ひっ……! ス、スカーレット様……!」
青ざめるクラリッサの前に、店主が無言で二つの丼を叩きつけるように置いた。
ドォォォン……!
着丼したのは、地獄閻魔亭の最凶メニュー『天獄・ハバネロ麻辣麺(辛さ十倍)』。
血の池地獄のように真っ赤に煮えたぎるスープの上には、山盛りの激辛唐辛子パウダーと、真っ黒な激痛花椒油の分厚い油膜が張っている。
立ち上る湯気を吸い込んだだけで、喉が焼けつくような感覚に襲われる。
スカーレットは冷酷に目を細め、扇子を卓上へ置いた。
「わたくしを裏切ろうとしたその度胸、実に感服いたしますわ。……もし命が惜しくば、そのスープを最後の一滴まで飲み干し、貴方の忠誠を証明してごらんなさいな?」
「そ、そんな……! こんなの、人間が食べるものじゃ……!」
「あら? できなければ、今すぐセレスティーヌ様に突き出して、貴女のご実家ごと破滅させて差し上げますけれど?」
有無を言わせぬ宣告に、クラリッサは震える手で割り箸を割った。
そしてボスの威厳を保つため、スカーレット自身も優雅な所作で箸を取り、スープと麺を口へ運んだ。
ずぞっ。
(――ぎゃ、ぎゃあああぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!)
事前のコーティング薬などまるで意味を成さないほどの、純粋な炎の暴力。
舌の上の味蕾が全滅し、口内に小型の爆弾が炸裂したような激痛が走る。
(辛い! 痛い! 薬を飲んでいても喉の粘膜が爆発四散しそうですわぁあああっ!!)
内心で七転八倒し、今すぐ冷水を浴びるように飲み干したい衝動に駆られながらも、スカーレットは伯爵令嬢のプライドで完璧な『冷徹な鉄面皮』を維持し続けた。
「……ふふ、この程度の刺激、アグニス家にとっては白湯も同然ですわ。さあ、貴女の番ですことよ?」
涼しい顔で麺を咀嚼するスカーレットを見て、クラリッサは絶望しながら真っ赤な麺を啜った。
「ヒ、ヒィィィッ! か、辛い! 舌が、喉が焼けますわぁぁぁッ!」
クラリッサは涙と鼻水をボロボロと垂らし、汗だくになりながら、悶絶と痙攣を繰り返して丼に食らいついた。
スカーレットもまた、胃袋が業火に焼かれる痛みに耐えながら、無表情の仮面の下で血涙を流しつつ完食した。
「……ごちそうさまでしたわ。さあ、貴女も飲み干しなさい」
「ぐ、うぅぅ……ゲホッ……飲み干し……ましたわ……!」
十五分後。クラリッサは空になった丼を前に、床へ崩れ落ちた。
◆
(ふぅ……これで少しは懲りて、二度と裏切ろうなどとは思わないはずですわ……)
スカーレットが心の中で安堵のため息をついた、その時だった。
「ハァ……ハァ……ッ!」
床に倒れていたクラリッサが、カッと目を見開いて跳ね起きた。
全身から滝のような汗を噴き出し、限界を超えたカプサイシンの過剰摂取によって脳内に大量のエンドルフィンが駆け巡っている。
激辛の向こう側に到達した彼女の瞳には、かつてない異常な光が宿っていた。
「す、スカーレット様……! 私、分かりましたわ……!!」
「……は?」
クラリッサは這いつくばるようにスカーレットの足元へすがりつき、恍惚とした表情で叫んだ。
「私のような浅はかで生ぬるい野心に溺れていた愚者を……あなた様は、この業火の洗礼によって、魂の底から焼き清めてくださったのですね……!!」
(ちょ、ちょっと待ちなさいな!?)
「あの凄まじい激痛を平然と涼しい顔で平らげる、あなた様の底知れぬ器の大きさ……! 本物の支配者とは、あなた様のようなお方を言うのですわ! 私、目が覚めました! 生涯、スカーレット様の忠実なる狂犬としてお仕えいたしますわぁぁぁッ!!」
「ひっ、狂犬!?」
脅迫して排除するはずが、脳内麻薬で完全にトリップした特大の狂信者を爆誕させてしまった。
「お、お待ちなさい! わたくしは単なるお仕置きのつもりで――」
「言わずとも分かっております! 明日からスカーレット様に仇なす不届き者は、このクラリッサがすべて噛み殺して差し上げますわ!!」
「だ、誰か助けてくださぁぁぁいっ!!」
◆
翌朝。
アグニス伯爵邸の個室トイレに何時間も籠城し、「お腹が……私のお腹が爆発しますわぁあ!」と涙目で唸り声を上げるスカーレット。
そして追放執務室の扉の前では、「スカーレット様万歳! 近寄る不届き者は成敗いたしますわ!」と、ギラついた目で警備を始めるクラリッサの姿があった。
下っ端悪役令嬢の胃腸と日常は、またしても激辛の炎に包まれるのだった。
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