第6話再就職先と煮干しそば
「むぅ……」
アグニス伯爵邸の私室にて、スカーレットは腕を組み、深々と唸り声をあげていた。執務机の上には、王都の商業ギルドや冒険者ギルドから取り寄せた分厚い求人広告の束が所狭しと散乱している。
「求人票をめくるだけで日が暮れてしまいますわ……」
再就職先を探すのは、言うほど簡単な作業ではない。そもそも、学園を追放されるような生徒は基本的にどこかしら致命的な欠陥を抱えている。
だからといって、あまりに無能な者を適当な現場へ送り込めば、就職先の雇用主に甚大な迷惑がかかり、ひいては帝国の経済活動を停滞させることになる。
完全なる『適材適所』を見極めて斡旋しなければ、あのセレスティーヌに『無能を右から左へ横流しにするとは、貴族としての怠慢ですわね』と冷酷に断じられ、何をされるか分かったものではないのだ。
「……ああっ、もう! 完璧な就職コンサルタントになれとでもおっしゃる気かしら!」
頭を抱えるスカーレットの隣、天蓋付きの豪奢なソファでは、取り巻きの一人であるミリアが優雅に足を組み、フォークを揺らしていた。
「――それでね、スカーレット様! 昨日いただいた王都西街の『青い果実亭』のリンゴのタルトタタンが、もう本当に絶品でして! キャラメリゼされたリンゴの酸味とパイ生地のサクサク感が……」
「ねえミリア」
「はい?」
「薬草採取とスライム討伐って、どちらが業務難易度が高いかしら?」
「……へ?」
突拍子もない質問を投げかけられ、ミリアはフォークを止めて目を丸くした。
「薬草と、スライム……? ええと、わたくしにはさっぱり分かりませんけれど……魔導薬の原料と、下水清掃の魔物ですわよね? それが何か……?」
「いえ、いいのよ。少し気になっただけですわ」
スカーレットはため息をついて額を押さえた。普通の令嬢が冒険者ギルドの初級クエストの難易度差など知るはずもない。
そんなスカーレットの様子を見て、ミリアは心配そうに眉を寄せた。
「スカーレット様、ここ最近ずっと難しそうなお顔で書類ばかり睨んでいらっしゃいますわ。お仕事のしすぎではありませんこと? そんなに根を詰められては、お身体を壊してしまわれますよ」
「……お気遣いありがとう、ミリア。ですが、こればかりは仕方のないことですの」
(万が一にも手を抜いて、あの悪魔の逆鱗に触れることだけは絶対に回避しなければならないのよ……!)
胃の痛みを押し殺し、スカーレットは再び求人票の束へと視線を落とした。
「……よし。次のターゲットは、実技で魔力暴走ばかり起こすあの子にしましょう。破壊力だけは無駄にあるから、外郭の岩盤掘削部隊の求人にねじ込めば完璧な適材適所ですわ!」
なんとか次なる排除と再就職の筋道を立て終えた頃には、窓の外はすっかり深い夜の帳に包まれていた。
◆
深夜。王都の裏通りをとぼとぼと歩く、フード姿のスカーレットの姿があった。
昼間の人事査定で精神エネルギーを使い果たし、足取りは鉛のように重い。
「……疲れましたわ。魂が抜け出そう……」
だが、重い足取りの中にも、胸の奥底には小さな期待の火が灯っていた。
最近、この薄暗い路地裏に、新しいラーメン屋がひっそりとオープンしたという情報を風の噂で仕入れていたのだ。
どんな過酷な人事案も、未知なる極上のスープさえあれば乗り越えられる。
これこそが、下っ端悪役令嬢の過酷な日常を支える唯一の生命線だった。
曲がり角の先、白木の格子戸の前に、控えめな藍色の暖簾が掲げられていた。
『麺処・青銀の雫』
漂ってくるのは、豚骨の獣臭とはまるで異なる、香ばしくも力強い魚介――煮干しのビターな薫香。
「ふふ、いい香り……。今夜は一人静かに、煮干しの深いコクに癒やされて差し上げますわ」
期待に胸を膨らませ、スカーレットは引き戸を静かに開けた。
「いらっしゃいませ」
低く、耳に心地よい、だがどこか氷のように透き通った声が店内に響く。
白木の一枚板で設えられた清潔なカウンター。
その厨房の奥、白い前掛けに三角巾を締め、巨大な寸胴から立ち上る灰汁を真剣な眼差しですくい取っていたのは――
「……は?」
スカーレットの思考が完全に凍結した。
無駄に整った彫刻のような美貌。涼しげで冷徹な切れ長の瞳。数日前、校舎裏で推薦状を冷たく突き返し、学園を去っていったはずの男。
「れ……レイン・クロイツ……!?」
(な、な、なんであいつがここにぃいいいっ!? やりたいことって、ラーメン屋の下働きでしたのぉおおおおっ!?)
内心で絶叫しながら硬直するスカーレット。
一方のレインは、手元の作業を止め、スカーレットのフリル付きのドレス姿を一瞥した。
だが、驚きで狼狽える様子は微塵もなく、相変わらずのポーカーフェイスを崩さない。
「……ご注文は、特製濃厚煮干しそばでよろしいですか。」
「え、ええ……それで、よろしくてよ……!」
逃げ出すこともできず、スカーレットは引き攣った笑みを浮かべたまま、カウンターの端の席へと恐る恐る腰を下ろした。
気まずい。気まずすぎる。
自分が「無能な怠け者」として学園から追放した相手が、新規開拓したラーメン屋の厨房で寸胴をかき混ぜているのだ。
数分後、無言のまま目の前に差し出されたのは、銀色に濁った濃厚そうなスープを湛えた一杯だった。セメント色をしたスープの上には、低温調理された薄切りのレアチャーシュー、刻みタマネギ、そして細身のメンマ。
(……すごい。見た目はまるで液状化した鉱石ですわね)
スカーレットは緊張で震える手でレンゲを取り、銀色のスープをすくって口に運んだ。
ずずっ……。
「……っ!?」
一口含んだ瞬間、強烈な煮干しの旨味と、独特のエグみ、そして心地よい苦味が波のように押し寄せてきた。
だが、動物系の白湯スープがしっかりと下支えしているため、苦味の後に圧倒的なコクが広がる。
続いて、パツパツとしたストレート細麺を啜る。
「ずるるっ……んん……!」
歯切れの良い麺を噛み締めるたびに、煮干しのビターな香りが鼻腔を心地よく刺激する。刻みタマネギのシャキシャキとした清涼感が、濃厚なスープに見事なアクセントを添えていた。
(苦い……けれど、深い……! ただ甘やかされるだけではない、このビターな旨味……まるで、理不尽な現実と戦い続ける私の人生そのものですわ……!)
気まずさも忘れ、スカーレットは無我夢中で麺を啜り、スープの最後の一滴まで飲み干した。
「……ごちそうさまでしたわ」
代金をカウンターに置き、スカーレットは逃げるように店を飛び出した。
◆
「ふぅ……美味しかったけれど、心臓に悪すぎますわ……!」
夜風を浴びながら路地を急ぎ足で歩いていると、背後から足音が追いかけてきた。
「アグニス様」
振り返ると、エプロンを外したレインが息を整えて立っていた。
「な、何ですの? 文句なら受け付けませんことよ!」
身構えるスカーレットに対し、レインはいつもの冷徹な表情を少しだけ崩し、真剣な眼差しで頭を下げた。
「お願いがあります。……私がこの店で修行していること、学園や誰にも他言しないでいただきたいのです」
「……は? そんなこと?」
拍子抜けしたスカーレットが眉を上げると、レインは静かに続けた。
「父親に居場所を知られれば、連れ戻されて別の見合いや学園に押し込められます。私は……この店で、一から道を極めたいんです」
あの万年最下位の劣等生が、こんなにも真剣な目で夢を語っている。
「……まあ、いいですわよ。わざわざ他人の進路を言いふらすほど、わたくし暇ではありませんもの」
スカーレットが扇子を広げてそっぽを向くと、レインの顔にパッと光が差した。
「本当ですか……! ありがとうございます、アグニス様!」
その瞬間、レインが見せたのは――普段の冷徹さからは想像もつかない、満開の花が咲き誇るような、極上の笑顔だった。
(――っっっ!?)
街灯の光に照らされたその美貌の破壊力に、スカーレットの心臓がトクンと跳ねた。(な、何ですの今の破壊兵器のような笑顔は……!? 顔がいい! 無駄に顔が良すぎますわ……!!)
「では、仕込みに戻りますので。……また、いつでも食べに来てください」
レインは再びペコリと一礼し、軽やかな足取りで店へと戻っていった。
一人残された夜道で、スカーレットは熱くなった頬を手で押さえた。
「……なるほど。これがミリアを一瞬で骨抜きにした、魔性のイケメンスマイルというわけですわね……。恐ろしい男ですわ……」
少しだけドキドキと高鳴る胸を落ち着かせながら、スカーレットは夜空を見上げた。
「……でも、まあ。ラーメンの味は間違いなく本物でしたわね」
煮干しのビターな余韻を唇に残しながら、下っ端悪役令嬢は軽やかな足取りで屋敷への帰路につくのだった。
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