第4話イケメン追放と深夜のインスタント袋麺(濃いめ)
「スカーレット様、本当に……本当に感謝いたします!」
放課後の校舎裏。冷たい夕風が吹き抜ける中、元男爵令息のスネカージは地面に両膝をつき、深々と頭を下げていた。
親の脱税が暴かれ、爵位も財産も失って無一文となったはずの男の顔には、なぜか絶望の色は微塵もない。
それどころか、親の過保護という名の呪縛から解き放たれ、むしろ憑き物が落ちたように晴れやかな表情を浮かべていた。
「いただいた推薦状のおかげで、辺境開拓地の現場監督補佐として雇ってもらえることになりました。これまでの放蕩を恥じ、一から汗を流して帝国のために尽くす所存です。……スカーレット様が不正を暴いてくださらなければ、私は一生、親の脛をかじるだけの無能で終わるところでした!」
「え、ええ……。まあ、精々泥にまみれて働きなさいな……」
扇子で口元を隠し、引き攣った笑顔でスネカージを見送った瞬間、スカーレットは膝から崩れ落ちそうになった。
(……嘘でしょう!? あいつ、親に甘やかされてグレてただけで、根はめちゃくちゃ真面目で優秀だったんじゃないの……!?)
顔面が急速に蒼白になっていく。
スカーレットが手引きした「開拓地の監督補佐」は、元貴族の教養と計算能力があれば十分に立ち直れるポジションだ。
真面目に働けば、数年後には立派な地方官吏として帝国に多大な富を還元するだろう。
だが、それはセレスティーヌの求める「帝国の膿の排除」とは真逆の結果ではないか。
(どうしましょう……! 本来なら学園内で更生させて帝国中枢で働かせるべき有用な人材を、私の独断と誤認で地方へ追放してしまった……!? )
(もしセレスティーヌ様に『無能な貴族ではなく有用な人材を間引いた』なんて判断されたら、重大な失態として一族ごと消されてしまいますわ……!!)
冷や汗が背中を伝う。早く次のターゲットを見つけ、完璧な「真の無能貴族」を排除して実績を上書きしなければならない。
「スカーレット様ぁあああああッ!!」
突如、引き裂くような悲鳴とともに、回廊の角から一人の令嬢が飛び込んできた。
スカーレットの取り巻きの一人、ミリア嬢である。彼女はハンカチをびしょ濡れにし、マスカラを崩しながらスカーレットのドレスにしがみついてきた。
「どうなさいましたの、ミリア! 淑女がそんな無様な姿を晒すなんて!」
「うぅ……っ、スカーレット様、聞いてくださいまし! わたくし、先ほどレイン様に想いをお伝えしたのですけれど……あんな、あんな酷い振られ方をするなんて……!」
「……レイン?」
スカーレットの脳内で、学園の名簿データが高速で検索される。
レイン・クロイツ。
下級貴族の三男坊。彫刻のように端正な美貌を持ち、その冷ややかな美しさは学園内でも一部の女生徒を狂わせている。
だが――勉強には一切身が入らず、授業はサボりの常習犯で成績は万年最下位。
おまけに貴族としての社交性も皆無の、絵に描いたような劣等生だ。
「わたくしが勇気を出して手紙をお渡ししましたのに、手紙を一瞥もせず『邪魔だ』と捨て置かれたのですわ……! あんな冷酷無比な男、許せませんことよ!」
大号泣するミリアを撫でながら、スカーレットの瞳の奥で青い炎がバチバチと音を立てた。
(……見つけましたわ! 顔だけが良く、学費という名の尊い血税を貪る怠惰な寄生虫! あまつさえ、私の大事な取り巻きの純情を踏みにじる極悪人……!)
大義名分はこれ以上ないほど揃っていた。
(友人のために害悪を討ち、帝国の税金を無駄にする無能貴族を排除する……! これぞ完璧な正義! これならセレスティーヌ様も『貴族の鑑』と私を絶賛してくださるはずですわ!)
先ほどの失態の恐怖を塗り替えるべく、スカーレットはすぐさま行動を開始した。
持ち前の情報網と知略を駆使し、レインの過去のサボり記録、提出物の未提出、単位不足の証拠を完璧に揃えて理事会へ提出。わずか三日で、レイン・クロイツの退学処分を決定づけたのである。
◆
放課後。夕暮れの校舎裏。
スカーレットは勝ち誇った笑みを浮かべ、呼び出したレインの前に立ちはだかった。
夕日に照らされたレインは、相変わらず無駄に整った美貌をしていたが、その双眸は冷たく凍りついている。
「お聞きになって? レイン・クロイツ。度重なる怠惰と規律違反により、あなたの退学が決まりましたわ」
スカーレットは懐から分厚い封筒を取り出し、突きつけた。
「我がアグニス家のコネで用意した、王都下層の下級官吏の推薦状ですわ。顔だけが良い怠け者でも、書類運びくらいは務まるでしょう。身の程を知り、泥水でも啜って生き延びなさい!」
完璧な悪役令嬢の高笑いを添えて、慈悲の進路を叩きつける。
だが――レインは眉ひとつ動かさなかった。
「気持ちは嬉しいのですが、それは必要ありません。」
冷徹で、抑揚のない声。
「は……? いらない、ですって?」
スカーレットが呆気に取られていると、レインは懐から紙切れ一枚受け取ることなく、冷淡な瞳でスカーレットを見下ろした。
「私は、以前からどうしてもやりたいことがありました。しかし父親のくだらない見栄のせいで、この退屈な学園に無理やり縛り付けられていた」
「な、何を言って……」
「あなたが退学処分に持ち込んでくれたおかげで、父親も私を勘当せざるを得なくなった。都合よく自由になれましたよ。……背中を押していただき、感謝します。アグニス様」
「か、感謝……!?」
レインはそれ以上何も語らず、冷たい美貌のまま踵を返した。夕闇の中へと消えていくその背中には、挫折した者の悲哀など微塵もなく、ただ冷徹な決意だけが漂っていた。
「な……なんなのあいつはぁああああッ!?」
一人残された校舎裏で、スカーレットの叫びが木霊した。
◆
その後、失恋のショックで過呼吸になりかけたミリアに付き合わされ、高級サロンで何杯もの紅茶とケーキを胃袋に流し込みながら、夜遅くまで愚痴を聞き続ける羽目になった。
ようやく解放され、アグニス伯爵邸の自室に戻った時には、時計の針は深夜零時を回っていた。
「……2回も連続で感謝された……? なんで……?」
ドレスを脱ぎ捨て、部屋着に着替えたスカーレットは、ベッドに倒れ込むこともできずに頭を抱えていた。いびり倒して追い出したはずなのに。
あんな冷徹な男の、望み通りの道を切り拓いてやったみたいになっている。
おまけにミリアの失恋の傷はちっとも癒えていないし、甘ったるいお茶会のせいで胸焼けは最悪だ。
「なんで私が……あんな奴らに感謝されなきゃいけないのよ……! 全然、ちっとも、腑に落ちませんわ……!!」
モヤモヤする。怒りと不条理感と、甘いケーキの油分で胃がねじ切れそうだ。
だが、こんな深夜に外へラーメンを食べに行く気力など残っていない。
スカーレットはよろよろと立ち上がり、部屋の隠し棚を開けた。
そこから取り出したのは、王都の庶民街で密かに買い溜めておいた、四角い紙包み。
『特製・濃厚味噌ラーメン(乾麺)』
「……これしかありませんわ」
自室の小さな魔導コンロに火をつけ、真鍮の小鍋に湯を沸かす。
沸騰した湯の中に、縮れた乾燥麺を放り込む。
ぐつぐつと泡立つ湯の中で、麺がほぐれていく。
適当に刻んだ長ネギを放り込み、棚から取り出した生卵を一つ、ぽとりと鍋の中央へ落とす。
最後に、付属の粉末味噌スープと特製アブラを投入した。じゅわっ、と部屋中に広がる、チープで強烈な味噌とニンニクのジャンクな香り。(サロンの上品なアールグレイなんてクソ喰らえですわ……!)
スカーレットは器に移すことすら省略し、鍋敷きの上に置いた小鍋から、直接割り箸で麺を引き上げた。
ふーっ、ふーっ、と雑に息を吹きかけ、口の中へ放り込む。
ずずっ、ずずずずっ――!
「……あふッ、んぐ……ッ!」
熱々の麺が舌を焼く。
高級店の洗練された味とは程遠い、化学調味料と濃厚な粉末味噌がダイレクトに脳を殴りつけるような、強烈なうま味。続いて、鍋の端からレンゲで熱々のスープをすする。
ずずっ……。
舌にビリリとくる塩分。暴力的な旨味。
そして長ネギの辛味と、少し固まりかけた半熟の卵黄が絡み合い、荒みきったスカーレットの胃袋を無理やり温めていく。
「……美味い……。体に悪そうな味ですけれど……今の私の腐った心には、このチープなジャンクさが一番効きますわ……」
ずずずっ、と音を立てて麺を啜り、卵を崩してスープと一緒に飲み干す。
小鍋の底が見える頃には、額にじんわりと汗が滲んでいた。
「ふぅ……」
スカーレットは空になった鍋を見つめ、長いため息をついた。スネカージ の件も、レインの件も、何もかもが思い通りにいっていない。
だが、お腹の底から湧き上がるジャンクな熱量が、縮こまりそうだった心を少しだけ持ち上げてくれる。
「……感謝されたって何だっていいですわ。結果的にあの二人は学園から消えたのだから、セレスティーヌ様への報告書は『任務完了』で押し通しますわよ」
割り箸を置き、スカーレットは不敵に口元を拭った。
「明日こそ……明日こそは、誰もが絶望するような完璧な悪役令嬢を演じて、そして夜にはもっと美味いラーメンを食ってやりますわ!」
深夜の自室、チープな味噌の匂いに包まれながら、下っ端悪役令嬢は明日への闘志を静かに燃やすのだった。
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