第3話貴族と大辛汁なし担々麺
アグニス伯爵邸の自室にて、スカーレットは羽根ペンを置き、深々と息を吐き出した。
特待生枠の怠け者・クソーカスを「魔導器具の整備不良による自爆未遂」から素行不良による強制退学へ追い込み、即日運送ギルドの荷担ぎとして放逐する――その一連の業務をまとめた『排除顛末書』は、先ほどセレスティーヌの従者へと無事に手渡された。
だが、安堵の時間は一秒たりとも続かなかった。
「……まずいわ。非常にまずいですわよ……!」
スカーレットは冷や汗を流しながら、過去のレポート控えをめくった。
第一号、平民の真面目な女生徒(図書館へ斡旋)。
第二号、平民の怠惰な特待生(運送ギルドへ斡旋)。
「平民……平民……! 私、二連続で平民ばかりターゲットにしていますわ! これではセレスティーヌ様に『身分の低い者ばかり狙う小心者』『業務の怠慢』と判断されて、今度こそ私のアグニス伯爵家ごと消されるのではなくて!?」
(※なお、セレスティーヌ本人は実績さえ上がっていれば順番など1ミリも気にしていない)
恐怖に震えるスカーレットの脳裏に、かつてセレスティーヌが氷のような微笑みを浮かべて語った【役に立たない貴族論】が鮮明に蘇る。
『スカーレット様。血統の上にあぐらをかき、領地経営も学ばず、納税を滞納しながらサロンで威張り散らすだけの無能貴族など、帝国の膿です。学園から排除した上で、過酷な地方の開拓地へ労働力として寄越すのが真の慈悲というものですわ』
「次は下級貴族……! 無能な貴族を排除しなければ、私が膿として摘出されてしまいますわ……!」
だが、貴族を追い落とすのは平民とは訳が違う。
背後には親の権力、貴族法、学園理事会への根回しなど、幾重もの防壁が存在するのだ。
ターゲット候補はすでに決まっている。
親の威光を傘に着て放蕩を尽くす男爵令息、スネカージ。
彼を合法的に学園から追放し、開拓地送りにするには決定的なスキャンダルが必要だった。
「……いっそ、私が色仕掛けをして、個室で襲われそうになったところを風紀委員に踏み込ませる……!?」
スカーレットは鏡に映る自身の艶やかな黒髪と豊満な肢体を見つめた。
だが、次の瞬間に激しく首を横に振る。
「ダメよ! 万が一本当に手を出されたら私の純潔と婚期が消滅しますわ! それに失敗してセレスティーヌ様に『下品な手段で醜態を晒した』と知られたら、それこそ即日処刑台行きですわよ!!」
諸刃の剣どころか、ただの自爆特攻。
精神的プレッシャーと恐怖で胃が激痛を訴え、頭から湯気が出そうだった。
「もう嫌……! 誰か助けて……! こんな極限状態、優しい中華そばじゃ私の狂いそうな脳を鎮められませんわ……!」
今夜求めているのは、安らぎではない。恐怖を塗り潰すほどの圧倒的な劇薬。
スカーレットはマントを羽織り、夜の街へと飛び出した。
◆
王都の裏手、怪しげな赤提灯が灯る路地にその店はあった。
『担々麺・炎獄閣』
扉を開けた瞬間、熱気とともに鼻腔を直撃する、唐辛子と花椒(山椒)のツンとした刺激臭。店内は赤と黒を基調とした無骨な造りで、カウンターの客たちは皆、汗だくになりながら無言で丼と対峙している。
スカーレットは迷わずカウンターの端に座り、卓上の注文票にペンを走らせた。
「……『汁なし担々麺』。辛さレベルは……【大辛】でお願いいたしますわ」
店員が一瞬令嬢を見つめたが、スカーレットのただならぬ気迫に押され、厨房へと下がっていった。
数分後。
「お待ちっ。『汁なし担々麺・大辛』です」
目の前に現れたのは、真っ赤なラー油の海に浸かった極太麺。その上には香ばしく炒められた肉味噌、青梗菜、砕いたピーナッツ、そしてこれでもかと振りかけられた赤黒い花椒の粉末。
(……見るからに危険な赤。まるで処刑台の血飛沫ですわね)
スカーレットは割り箸を手に取り、丼の底から麺と具材、タレを一心不乱にかき混ぜた。立ち上る湯気だけで目がシパシパと痛む。
覚悟を決め、真っ赤に染まった太麺を口の中へ放り込んだ。
ずずっ――。
(――ッッッ!?!?!?)
瞬間、口腔内で爆弾が炸裂した。
舌を無数針で突き刺すような唐辛子の猛烈な辛み。そして次の瞬間、脳天を突き抜ける花椒の痺れ(麻)。舌の感覚が急速に麻痺していく。
「か……辛ッッッ……!? 口の中が……燃えて……!」
だが、ただ辛いだけではなかった。
噛み締めるほどに、濃厚な芝麻醤(胡麻ダレ)のコクと、肉味噌の甘辛い旨味、ナッツの香ばしさが波のように押し寄せてくる。
(辛い……痺れる……! でも、美味しい……! この痺れが、セレスティーヌ様への恐怖で縮こまっていた私の脳細胞を無理やり叩き起こしていく……!!)
「ふーっ……はーっ……ずずずっ!」
額から汗が噴き出し、涙目になりながらも、スカーレットは箸を止められなかった。
強烈な刺激が全身の血流を加速させ、恐怖で麻痺していた思考回路が急速にクリアになっていく。
(色仕掛け? そんな安っぽい手を使う必要など微塵もありませんわ……!)
麺を平らげたスカーレットは、卓上の冷水を一気に喉へと流し込んだ。
ぷはぁ、と息を吐き出す。
口内の熱気配が引いた後、頭の中には冷徹で完璧な『計略』が組み上がっていた。
「……そうですわ。あの男爵家の領地、毎年の税収報告と実際の収穫高の計算が合っていませんでしたわね。親の脱税帳簿を風紀委員会ではなく帝国監査局へ直接突き出し、一族ごと合法的に資産凍結――そして息子は借金返済のために開拓地へ強制送致……!」
これならば自身の名誉を傷つけることなく、セレスティーヌの『役に立たない貴族論』を完璧に具現化できる。
スカーレットは銀貨を置き、優雅に立ち上がった。琥珀色の瞳には、辛味によって極限まで研ぎ澄まされた冷酷な光が宿っていた。
「ふふ……覚悟なさい、スネカージ男爵令息。明日、あなたを開拓地の特級労働者へ仕立て上げて差し上げますわ!」
激辛の刺激で覚醒した悪役令嬢は、燃えるような闘志を胸に夜の街へと消えていった。
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