第2話マンネリ打破と大衆中華そば
深夜のアグニス伯爵邸、スカーレットの私室。
執務机の上には、帝国ヴィクトリア貴族学院に在籍する全生徒の個人記録と、分厚い成績表の束が高々と積み上がっていた。
「……違う。この生徒はダメですわ。実技試験で失敗続きとはいえ、座学の魔力制御論は学年上位。放逐するには惜しい……」
スカーレットは唸り声を上げながら、羽根ペンで名簿にチェックを入れていく。
平民の生徒なら誰でも適当にいびり倒して追い出せばいい、というわけではない。
元ボスであるセレスティーヌ=ル=デポンには、排除基準が存在した。
『平民がこの学院で学ぶ費用は、我が帝国の尊い血税から賄われています。勤勉に学び、将来国に富を還元できぬ怠け者は、税を食い潰すただの寄生虫。即座に排除し、現場労働へ回しなさい』
徹底的なまでの能力主義と合理主義。
「税金を無駄にしている寄生虫」を正確に見極め、かつ退学させた後に「その者が納税者として機能できる現場」まで算定して斡旋しなければならないのだ。
「誰がどう見ても帝国税務署と人事部がやるべき仕事でしょうが……っ!」
机に突っ伏し、スカーレットは頭を抱えた。早くも胃がキリキリと悲鳴を上げ始めている。
◆
「……よし。ターゲットは決まりましたわ」
選んだのは、商家の三男坊で特待生枠のクソーカス。
実技も座学もサボり倒し、貴族の取り巻きに媚びを売って単位を融通してもらっている筋金入りの怠け者。彼ならセレスティーヌの定める「血税の寄生虫」に完璧に合致する。
追放後は王都外郭の運送ギルドで荷担ぎとして鍛え直させればいい。だが、スカーレットの前にさらなる高い壁が立ちはだかった。
「……嫌がらせのレパートリーですわよ……!」
スカーレットは床に散らばる『悪役令嬢物』の大衆小説の山を、狂ったようにめくり始めた。
セレスティーヌへの業務報告には、詳細な『排除報告書』の提出が義務付けられている。そして、スカーレットは、【嫌がらせ手法のマンネリ化は貴族としての怠慢】と判断されるのではないかという恐怖があった。
「第1話の『教科書を紅茶で汚す』はもう使えませんわ……! では次は? 服を破く? いえ、制服の弁償代が我が家の経費から落ちないから却下! 階段から突き落とす? 骨折の治療費と治癒魔法師の手配で赤字ですわ! 試験用紙の盗難冤罪……? 試験官への買収工作と証拠偽造の手間が膨大すぎる……!」
知恵熱が出そうだった。
なぜ悪役令嬢が、深夜に大衆小説を読み耽りながら「コスパと安全性を両立した嫌がらせの新規企画案」を練らねばならないのか。
「うぅ……誰か助けて……セレスティーヌ様、怖すぎる……」
◆
翌日の放課後。
思考の袋小路に迷い込み、青白い顔で廊下を歩いていたスカーレットの腕を、取り巻きの令嬢たちが華やかに絡め取ってきた。
「スカーレット様! 中庭のサロンで、新作のローズティーと三段スタンドのスコーンをいただきに行きませんこと?」
「あら……ええ、よろしくてよ」
完璧な貴族の微笑みを貼り付け、スカーレットは優雅に頷いた。だが、サロンの白いテラス席はスカーレットにとって別の意味での拷問空間だった。
「ねえスカーレット様、お聞きになって? 先日の夜会で、あそこの伯爵令息が身分違いの令嬢に言い寄ったんですって!」
「まあ、浅ましいことですわね。おほほほ」
砂糖がたっぷり入った甘ったるい紅茶を口に含み、中身ゼロのゴシップに相槌を打つ。
だがスカーレットの脳内は、100%のフル稼働でセレスティーヌへの提出レポートをシミュレーションしていた。
(クソーカスの怠惰を暴くための罠……そう、実技の魔導具をあらかじめ細工しておき、本人の過失で暴走させ……いや、周囲への延焼被害が出たら減点対象……。ならば、単位不足を理由とした査問委員会をでっち上げ……)
「スカーレット様? このクリーム、とっても濃厚で美味しくってよ?」
「ええ、本当に……至高の舌触りですわね(レポートの起承転結をどう整えるか……セレスティーヌ様は結論ファーストを好む……嫌がらせの動機付けに3行、実行プロセスに5行……)」
表向きは淑女のティータイム。頭の中は深夜残業の企画会議。
甘ったるいスコーンの糖分が、疲弊しきった脳をじわじわと圧迫していく。
(限界……! 頭が割れそうですわ……! 今すぐこの砂糖と優雅さの檻から抜け出したい……!!)
◆
アフタヌーンティーが終わり、取り巻きたちを巧みに撒いたスカーレットは、日没の王都繁華街へと疾走していた。
フリルの裾を翻し、フードを目深に被って飛び込んだのは、大通りに面した黄色い看板の店。
『大衆麺処・目高亭』
王都の大手商人ギルドが帝国内に数十店舗を展開する、
庶民の味方たる中華チェーン店である。前回の決死の覚悟は要らない。
ここは、ただ疲れた人間を無条件で受け入れてくれるノスタルジーの聖域。
「へい、カウンターどうぞー!」
機械的で心地よい店員の案内。
スカーレットはカウンター席に滑り込み、迷うことなく卓上の呼び鈴を鳴らした。
「中華そばと、焼き餃子を一皿。……大至急お願いいたしますわ」
「あいよっ、中華セット一丁!」
数分と経たずに、銀のトレイに乗った黄金のセットが目の前に運ばれてきた。
澄み切った琥珀色の鶏ガラ醤油スープ。
綺麗に整えられた中細の縮れ麺。トッピングはメンマ、ナルト、海苔、そして薄切りのチャーシューが一枚。横には、こんがりときつね色に焼き目のついた小ぶりの餃子が六個。
(……これですわ。凝った細工も、気取った駆け引きも何もない……完璧なる原点……!)
スカーレットは割り箸を割り、レンゲで澄んだスープをすくい、口へと運ぶ。
ずずっ……。
「……んぅ……っ」
思わず喉から細い吐息が漏れた。鶏ガラと香味野菜の素朴で優しい出汁が、キレのある醤油の風味とともに、アフタヌーンティーの砂糖漬けになっていた舌をじんわりと洗い流していく。
続いて、中細の縮れ麺を優雅に、だが素早く啜り上げる。
「ちゅるるっ……んんっ……!」
ぷつんと歯切れの良い麺の食感。小麦の飾らない香りが鼻腔を抜ける。
すかさず小皿に酢と醤油、そしてラー油をたっぷりと垂らし、焼き立ての餃子をダイブさせる。
ぱくり。
パリッとした薄皮が弾け、中から豚ひき肉とキャベツ、そしてガツンとした生姜とニンニクの餡がジュワリと口いっぱいに広がる。
(生き返る……! スコーンの甘ったるさで死にかけていた私の魂が、醤油と酢とラー油で蘇っていく……!!)
気取ったサロンの会話も、恐ろしいセレスティーヌの顔も、この琥珀色のスープの前ではすべて些細な雑音に過ぎない。
麺を啜り、餃子を放り込み、スープを飲む。その完璧な三角食べのループを無我夢中で繰り返し――
ぷはぁ、とスカーレットは丼を置いた。綺麗にスープまで飲み干していた。
「……ふぅ。大変、結構なお味でしたわ」
小銭入れから銅貨を数枚取り出して卓上に置く。
重く曇っていたスカーレットの琥珀色の瞳には、すでに知的な輝きが戻っていた。
「……閃きましたわ。嫌がらせは『実技試験の器具整備不良による自爆未遂』。
そこから『素行不良による強制退学』へ持ち込み、即日『運送ギルドの肉体労働』へ配置転換……! 完璧な筋書きですわ!」
胃袋を満たし、脳の疲労を完全にリセットした下っ端悪役令嬢は、夜風にドレスを揺らしながら再び不敵に微笑むのだった。
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