第20話本生月大葉そばと推薦状の決断
命がけアナスタシアのお茶会を乗り切り、さらにレムの異次元の胃袋を見せつけられて削られた精神も、数日間の睡眠によってようやく回復した。
平穏を取り戻したスカーレットの脳裏に、ふとあの夜のやり取りがよぎる。
(……そういえば、あの男の試作はどうなりましたかしら)
スカーレットが助言した「月大葉を直接煮出さず、低温の鶏油に香りを移す」というアプローチ。
レインが屋台を引いてもってきた夜鳴きそばでは、かなりの完成度になっていた。
あれから、レインがさらに、どこまであの味を形にできたのか。
気付けばスカーレットの足は、夜の王都の裏路地へと向かっていた。
◆
『麺処・青銀の雫』の引き戸を開けると、店内にはいつもの煮干しとはまるで違う、澄んだ鶏の出汁と爽やかなハーブの薫香がふわりと満ちていた。
「いらっしゃいませ……お待ちしていました、スカーレット様」
厨房の奥、寸胴の前に立つレインの目には、迷いが完全に消え去っていた。
研ぎ澄まされた料理人の顔つき。
「座ってください。……私のすべてを注ぎ込んだ一杯です」
スカーレットがカウンターの端へ腰を下ろすと、ほとんど待つこともなく、静かに白い丼が差し出された。
「――『本生・月大葉そば』です」
目の前に置かれた一杯に、スカーレットは思わず息を呑んだ。
黄金色に透き通った極上の鶏清湯スープ。
その水面に、エメラルドグリーンの特製香味油が薄く、美しく膜を張っている。
具材はしっとりとした鶏チャーシューと細切りの白髪ネギ、そして仕上げに添えられた瑞々しい月大葉が一枚。
(……なんて、澄んだ美しさですの……)
スカーレットはレンゲを手に取り、表面の緑の油と黄金のスープをすくい、口元へ運んだ。
ずずっ……。
「……っっ!」
口に含んだ瞬間、舌の上で奇跡のような調和が起きた。
丸鶏をじっくり煮出した雑味のない芳醇な旨味。
そして次の瞬間、月大葉の気品ある爽快な柑橘の薫香が、青臭さや渋みを一切伴わずに、春風のように鼻腔を突き抜けていく。
続いて、綺麗に整えられた全粒粉入りのストレート細麺を啜る。
「ずずずっ……んん……っ!」
しなやかな麺が、薫り高いスープを完璧に持ち上げてくる。
噛み締めるたびに小麦の甘みと月大葉の清涼感が重なり合い、飲み込むのが惜しいほどの余韻を残す。
(美味しい……! 雑味も、エグみも、何一つありませんわ……! 濃口醤油で無理やり誤魔化していたあの店の味とはまるで違う……これが、クロイツ領の『本物の味』……!!)
批評家《先生》として文句をつけてやろうと粗を探すものの、どこにも隙がない。
スカーレットは無我夢中で麺を手繰り、最後の一滴までスープを飲み干した。
カタン、と丼を置く。
緊張した面持ちでこちらの反応を待つレインに対し、スカーレットは優雅に扇子を広げ、口元を隠しながらツンと顎を上げた。
「……合格点を差し上げますわ」
「……っ!」
「ですが、勘違いしないでくださる? これはようやく、料理人としてのスタート地点に立っただけに過ぎませんわよ! 日々の気温や湿度による味覚のブレをなくすため、今後も血の滲むような精進が必要不可欠ですわ!」
厳しい言葉。だが、それはスカーレットがこの一杯を完全に「本物」と認めた証だった。
「……っ、ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます、スカーレット様……!」
レインの切れ長の瞳に、じんわりと涙が滲んだ。
いつも冷徹だった少年が、子供のように目元を拭いながら深々と頭を下げる。
その様子を見ていた厨房の奥から、ドワーフの大将が太い腕を組んでガハハと笑った。
「へへっ、よかったなレイン坊主! なんとか間に合ったじゃねえか!」
「……間に合った?」
スカーレットは眉をひそめ、大将とレインを交互に見つめた。
「何のことですの? 何に間に合ったとおっしゃるの?」
レインは顔を上げ、少し照れくさそうに、だが真っ直ぐな瞳で告げた。
「……この完成した月大葉ラーメンを引っ提げて、来月の『帝国ヴィクトリア貴族学院・学園祭』の模擬店に出店するつもりなんです」
「……は?」
スカーレットの思考が一瞬停止した。
だが、持ち前の明晰な頭脳が、瞬時にレインの意図を完璧に弾き出す。
「……なるほど。学園を素行不良で追放された身であるあなたが、一般枠で学園祭の敷地内に出店許可を通すのは不可能。つまり……我がアグニス伯爵家の『特別推薦状』を書いてくれということですわね?」
「……ご迷惑なのは重々承知しています。ですが、帝都の貴族や商人たちが一堂に会する学園祭こそ、父の濃口ラーメンを超えるチャンスなんです。どうか……力を貸していただけないでしょうか」
レインが再び深々と頭を下げる。
(まったく……! 退学させた生徒の出店を元凶の悪役令嬢が推薦するなんて、意味が分かりませんわ! もしセレスティーヌ様に『余計な茶番に肩入れしている』と見咎められたらどうする気ですの!?)
内心で盛大に頭を抱え、胃のあたりをさするスカーレット。
だが――口内に残る、あの完璧で清らかな月大葉の余韻が、スカーレットの背中を強烈に押し上げた。
スカーレットは扇子をパチンと閉じ、不敵な笑みを浮かべた。
「ふふ……よろしいでしょう!」
「スカーレット様……!」
「このスカーレット・フォン・アグニスが直々に『合格』を出した味ですもの。帝都の舌の肥えた連中に見せつけておやりなさいな! 推薦状くらい、いくらでも用意して差し上げますわ!」
「ありがとうございます……!」
満面の笑みを浮かべる元劣等生の美男子を前に、スカーレットは高笑いを響かせた。
(さあ、どうせやるなら徹底的にですわ! 学園祭を私の『最高の人事プロデュース(と極上ラーメン)』で埋め尽くして差し上げますわよ!)
◇
帝国ヴィクトリア貴族学院の敷地内は、色とりどりの旗と華やかな飾り付けで彩られていた。
目前に迫った年に一度のビッグイベント、学園祭。
回廊を行き交う生徒たちは皆、模擬店の準備や演劇の打ち合わせに浮き足立ち、華やいだ笑い声を響かせている。
だが、アグニス派閥が拠点とする談話室の空気は、真冬の湖のように研ぎ澄まされていた。
「学園全体が学園祭の準備モードで浮かれていようと、私たちのお仕事は一切変わりませんわ」
執務机の中央、スカーレットは扇子を机にトンと置き、鋭い視線を二人の取り巻きに向けた。
「ターゲットの確認ですわよ。……次なる標的は、後輩たちの模擬店準備金をピンハネして着服しようとしていた、下級貴族のコモーノ。帝国の将来を担う学徒の資金を私腹に肥やすなど、言語道断の害悪ですわ」
「任せてくださいまし、スカーレット様! あんな卑劣な男、絶対に許せませんわ!」
ミリアがフリルの袖をまくって意気込む。その隣で、レムが感情の読めない青色の瞳をわずかに細めた。
「……手順は」
「完璧な連携で片付けますわよ。――ミリア、あなたはヘンリーに『模擬店の看板デザインを相談したい』と持ちかけて中庭に誘い出し、最低十分間は世間話で完全に足を止めなさい」
「承知いたしましたわ! わたくしの華麗なトークで骨抜きにして差し上げます!」
「レム、その隙に彼の部室へ潜入し、魔法記録具で不正な裏帳簿の証拠を完全に押収。その後、風紀委員会へ直接データを流しなさい」
「……了解」
「そしてわたくしが、風紀委員会が踏み込んだ瞬間に現場を押さえ、退学届への署名と同時に――我がアグニス家のコネで作った『王都資材管理ギルド・荷運び部門』への就職推薦状を叩きつけますわ!」
「「はい!」」
作戦は、秒速かつ完璧に遂行された。
ミリアの完璧な陽動で足止めされたコモーノは、レムの音なき証拠確保によって逃げ道を完全に塞がれ、スカーレットの冷徹な断罪と慈悲の再就職斡旋により、誰一人傷つくことなく、わずか一時間足らずで学園から綺麗サッパリ排除されたのである。
◆
放課後。
談話室の豪奢なソファに腰掛け、スカーレットは優雅に紅茶を啜った。
「ふぅ……今日も完璧な連携でしたわね。セレスティーヌ様への提出レポートも無事に書き上がりましたわ」
「スカーレット様の指揮が素晴らしいからですわ!」
ミリアが紅茶を片手に、楽しそうに笑い声をあげる。
「そういえばスカーレット様、今年の学園祭の衣装、もう決められました? わたくし、西街の仕立て屋で特注した淡いピンクのドレスを着る予定なんですけれど……」
「あら、良いですわね。あなたの肌の色によく映えそうですわ」
世間話に花を咲かせる二人の横で、ふとスカーレットの視線がテーブルの中央へと向いた。
「…………」
レムが無言で、猛烈な速度で動いていた。
三段重ねのアフタヌーンティースタンドに盛られていたはずの焼き菓子、色とりどりのマカロン、クロテッドクリームたっぷりのスコーン、そしてホールサイズのリンゴタルト。
それらが、まるで掃除機に吸い込まれるかのような凄まじい勢いで、レムの小さく開いた口の中へと消えていく。
もぐもぐ、ごくん。もぐもぐ、ごくん。
咀嚼と嚥下が一切の淀みなく繰り返され、皿の上が目に見える速度で更地になっていく。
(……相変わらず、あの華奢な細い身体のどこに消えているのかしら……)
スカーレットは内心で盛大に引きつつも、何も見なかったことにして窓の外へと視線を移した。
中庭では、生徒や外部の商人たちが模擬店のテントを組み立てている。
その光景を眺めながら、スカーレットの脳裏に、あの真剣な眼差しをした少年の姿が浮かんだ。
アグニス伯爵家の特別推薦状を正式に提出し、無事に一般枠での出店許可を勝ち取ったレイン。
『学園祭当日までに、さらに月大葉の香りを引き立てる改良を加えるつもりです。……楽しみにしていてください、スカーレット様』
あの夜、誇らしげに微笑んでいたレインの顔。
(……ふふ。あいつのことですから、きっと妥協のない最高の一杯を仕上げてくるはずですわ)
あの澄み渡った鶏清湯と、月大葉の気品ある柑橘の薫香。
普段は味にうるさい貴族たちや、帝都の肥えた舌を持つ商人たちも、一口啜れば間違いなく腰を抜かすに違いない。
自分が合格を出した味が学園祭を席巻する光景を想像し、スカーレットはどこか誇らしい気持ちで胸を満たしていた。
「――そういえば、スカーレット様」
ふと、紅茶をおかわりしていたミリアが、思い出したように口を開いた。
「今年の学園祭には、午後からあのセレスティーヌ様が特別視察としてお越しになるそうですわよ」
――ぶふっっっっっっっっっっ!!!!!!
スカーレットは口に含んだばかりの最高級アールグレイを、中庭のテントに向かって噴水のように盛大に吹き出した。
「ゲホッ、ゴホッ……!? な、何ですってぇええええええええっ!?」
「きゃあっ、スカーレット様!? だ、大丈夫ですか!?」
慌ててハンカチを差し出すミリア。その横でレムは一切動じることなく、巨大なシュークリームを丸呑みしている。
スカーレットは咳き込みながら、血相を変えてミリアの肩を掴んだ。
「せ、セレスティーヌ様が……直々に、この学園祭に見回りに来るんですの!?」
「え、ええ……。帝国貴族の模範たる学園祭の風紀と成果を確認するため、午後から中央広場を視察される予定だと、生徒会から通達が……」
(し、死ぬ……! 私の命日が、学園祭の当日に設定されてしまいましたわぁあああああっ!!)
脳内で最悪のシミュレーションが超高速で展開される。
もし、視察に来たセレスティーヌが模擬店エリアに立ち寄り――。
そこで、自分が『素行不良で排除したはずの元劣等生』が堂々とラーメン屋を出しているのを見つけたら?
『あらスカーレット様。排除したはずのゴミが、なぜ学園祭で麺を茹でていますの? ……あまつさえ、アグニス家の推薦状まで使って? ふふ、私を欺くとは、いい度胸ですわね?』
氷のような冷酷な笑顔とともに、処刑宣告が下される未来が鮮明に見えすぎる。
「ひ、胃が……! 私の胃が燃え盛る火山のようですわぁああああっ!!」
「スカーレット様!? 本当にどうされたんですの!?」
華やかな学園祭は一転、一歩踏み外せば一族全員が灰塵と化す、地獄の超危険地帯へと変貌を遂げていた。
下っ端悪役令嬢の悲痛な叫びが、秋晴れの青空へと虚しく木霊するのだった。
評価、ブックマークお願いします☆
スカーレット嬢が恐れる、悪役令嬢セレスティーヌ様の活躍を描く「性悪悪役令嬢の怪獣防衛収支報告書 ~王子を囮にし、萌え(ウサギさん)を害する怪獣は筋肉ワンパンで超黒字ですわ!~」もよろしくお願いします☆




