第15話その後の彼ら彼女らと秘密の彼
「……眠れませんわ。一睡もできませんことよ……!」
深夜二時、アグニス伯爵邸の自室。
スカーレットは寝台の上で頭を抱え、シーツをぐしゃぐしゃに掴んで身悶えていた。
目の下にはくっきりと青黒い隈が刻まれ、胃のあたりは雑巾を全力で絞り上げられたかのような痛みを訴え続けている。
脳裏を巡るのは、これまでに学園から放逐した生徒たちの顔だった。
図書室の雑務係へ押し込んだ平民のミリー。
筋肉プロテイン教団の運送ギルドで丸太を担がせたクソーカス。
親の脱税を暴いて開拓地の監督補佐へ追放したスネカージ。
(みんな、現場で虐げられていないかしら……? クソーカスは筋肉痛で倒れていない? スネカージは開拓民にいじめられていないかしら……!?)
もし斡旋先で不祥事を起こしたり、耐えかねて野垂れ死にでもして、それがセレスティーヌの耳に入ったらどうなるか。
『あらスカーレット様、民を路頭に迷わせるのは貴族の恥と申し上げたはずですのに……わたくしの顔に泥を塗るなんて、一族ごと消去ですわね?』
「ひ、ひぃぃぃっ! 考えただけで胃液が逆流しそうですわ……!」
責任感と恐怖の二重苦に苛まれ、スカーレットは朝を迎えるまでベッドの上でのたうち回り続ける羽目になったのだった。
◆
「スカーレット様! そんなお顔で登校なさるなんて、わたくし見ていられませんわ!」
翌日の放課後。追放執務室の豪奢なデスクに突っ伏し、幽霊のように青白い顔でため息を吐くスカーレットに対し、ミリアがバンッと両手を机に突いて詰め寄ってきた。
「お顔が土色ですわ! 昨夜も一睡もなさっていないのでしょう? ……どうせまた、追放した生徒たちが現場で上手くやれているか心配で、一人で胃を痛めていらっしゃったんじゃありませんこと!?」
「うっ……そ、それは……」
痛いところを突かれ、スカーレットは扇子で視線を逸らした。
そんな主の姿を見て、ミリアは怒りを通り越して心底もどかしそうに地団駄を踏む。
「スカーレット様! あなた様はご自身の能力と影響力を過小評価しすぎていらっしゃいますわ! 今やあなた様は、帝国の最大権力であるあのセレスティーヌ様の学園派閥の全権を預かる頂点に君臨していらっしゃるのですよ!?」
「ちょ、ちょっとミリア、声が大きいですわ……!」
「いいえ、言わせていただきます! 傘下には何十人もの優秀な貴族令息・令嬢が控えているというのに、なぜ全部ご自身の手足だけで片付けようとなさるのです!? 追放した生徒の再就職先まで手配して心を砕くその高潔さは尊敬申し上げますけれど、もっと派閥の人間を顎で使えばよろしいのですわ! ……ですから、このミリアがスカーレット様の代わりに、追放生徒たちの現場へ追跡調査を買って出ます!」
「えっ……? ミリアが、ですの?」
目を白黒させるスカーレットに、ミリアはフリルの袖をまくって胸を張った。
そして、部屋の隅で直立不動の姿勢を保っていた一人の令嬢へビシッと指を差す。
「わたくし一人では心許ないですから、護衛役としてクラリッサを連れて参りますわ!」
「……ハッ! お呼びでしょうか、ミリア様!」
以前の激辛ラーメンの洗礼によって脳内麻薬が限界突破し、スカーレットの「忠実なる狂犬」へと覚醒したクラリッサが、血走った瞳をギラリと輝かせて飛び出してきた。
「さ、流石はスカーレット様……! 絶大な権力を握りながらそれに一切驕らず、自らの手を汚して弱者を救おうとなさる孤高の精神……! ミリア様、私も命に代えて同行いたします! スカーレット様のご負担を減らすためなら、この身が粉微塵になろうとも完璧な調査レポートを仕上げてご覧に入れます!!」
「ひっ、狂犬……!」
(い、いや、派閥の人間を使えないのは……万が一不手際があった場合セレスティーヌ様に筒抜けになったら即処刑されるからなんですけれど……!!)
喉元まで出かかった本音を必死で飲み込むスカーレット。
だが、連日の激務と不眠で胃壁はもはや限界領域だ。
「……分かりましたわ。ではミリア、クラリッサ。くれぐれも目立たぬよう、様子だけ見てきてくださる?」
「お任せくださいまし、スカーレット様!」
「行って参ります、我が主!!」
◆
翌日の昼下がり。
王都の喧騒の中、ミリアとクラリッサは平民風の外套を羽織り、各所の調査を順調に進めていた。
王立中央図書館の裏手では、ミリーが司書たちに囲まれ「君が整理してくれると本当に助かるよ」と笑顔で褒められていた。
運送ギルドでは、筋肉プロテイン教団の男たちに混ざり、クソーカスが逞しい二の腕で巨大な木箱を担ぎ「今日もいいパンプだぜ!」と爽やかに汗を流していた。
開拓地の連絡事務所でも、スネカージからの活動報告書に『現場監督補佐として誠心誠意尽力中』と太鼓判が押されていた。
「……ふふ、見事なものですわね!」
手帳に羽ペンを走らせながら、ミリアは誇らしげに鼻を鳴らした。
「あの方たちの適性を完璧に見抜き、誰一人路頭に迷わせることなく更生させてしまう……やっぱりスカーレット様は天才ですわ!」
「まさに神の采配! 悪を討つと見せかけて全員を帝国の真の礎へと仕立て上げる、これぞ至高の慈悲ですわ!!」
感極まるクラリッサの腹から、ぐぅ〜、と大きな音が鳴り響いた。
ミリアもまた、恥ずかしそうに頬を染める。
「あら……午前中から歩き回ったせいで、お腹が空いてしまいましたわね」
「周囲を警戒しつつ、手早くエネルギーを補給できる場所を探しましょう。」
二人が足を止めたのは、下層街の路地裏に佇む一軒の店だった。
白地に墨で力強く書かれた暖簾――『大衆麺処・川奈亭』。
ガラガラと引き戸が開くたびに、鶏ガラと節系の香ばしい出汁の匂いがふわりと漂ってくる。
「……ラーメン、ですわね」
ミリアは少しだけ眉を寄せた。
「普段のわたくしたちのような深窓の令嬢が入るような店構えではありませんけれど……」
「しかしミリア様! スカーレット様のお心を少しでも早く安んじるため、早く帰還しませんと。」
「ええ、そうですわね! スカーレット様のためですもの、ここは庶民の味とやらに挑戦してみましょう!」
意を決して引き戸を開け、カウンターの端へと腰を下ろす。
注文したのは、お品書きの先頭に並んでいたベーシックな二品――「琥珀醤油ラーメン」と「淡麗塩ラーメン」。
数分後、銀のトレイに乗せられて二つの丼が運ばれてきた。
湯気とともに立ち上る、どこまでも素朴で、澄み切った芳香。
「……いただきますわ」
ミリアはレンゲを取り、塩ラーメンの透き通った黄金スープをそっと口に運んだ。
ずずっ……。
「――まあ……っ!」
ミリアの瞳がパッと見開かれた。
「なんて……なんて優しいお味ですの……!? 鶏ガラと魚介の繊細なお出汁が、角のないお塩の風味と一緒に、疲れた身体へじんわりと染み渡っていきますわ……!」
続いて、中細の縮れ麺を上品に啜る。小麦の飾らない香りと、ぷつんと心地よい歯切れ。
「サロンの甘ったるいケーキセットとは全く違う……飾らない、けれど力強い温もりですわね!」
一方のクラリッサは、濃褐色の醤油ラーメンのスープを豪快に飲み干し、カッと目を見開いていた。
「お、美味しいッ! このキレのある塩分と、鶏油の香ばしさ……! まるでスカーレット様の苛烈なる断罪と、その裏に秘められた深い慈悲のコントラストのようです!!」
「……クラリッサ、何でもかんでもスカーレット様に結びつけるのはおやめなさいな」
苦笑しつつも、二人は無我夢中で麺を手繰り、最後の一滴までスープを堪能したのだった。
◆
放課後、夕暮れ時の追放執務室。
「……はぁ。胃が痛いですわ……」
机の上で胃薬の瓶を睨みながらため息を吐いていたスカーレットの元へ、バァン!と勢いよく扉が開け放たれた。
「スカーレット様! ただいま戻りましたわ!」
ミリアとクラリッサが、誇らしげな笑顔とともに執務机の前へ歩み寄り、きれいに清書された分厚い羊皮紙の束をドンと差し出した。
「これをご覧になってくださいまし! スカーレット様が手配された生徒たちのその後を、わたくしたちが直々に追跡調査して参りましたの!」
「全員、涙を流してスカーレット様に感謝しつつ、現場の模範囚……ゲフン、模範的労働者として汗を流しておりました! これぞ完璧なる人事采配、流石はスカーレット様ですわッ!」
「えっ……!?」
スカーレットは驚きながらレポートをめくった。
ミリーの図書館での奮闘、クソーカスの運送ギルドでの覚醒、スネカージの真面目な報告書――そこには、スカーレットが懸念していたようなトラブルなど何一つなく、全員が立派に社会復帰を果たしている事実が克明に記されていた。
(よ、よかった……! みんな、ちゃんと真面目にやってくれているのね……!!)
重くのしかかっていたプレッシャーから解放され、スカーレットの胃の痛みがスッと引いていく。
「ふ、ふたりとも……本当にありがとう。よくやってくれましたわ」
心からの安堵を込めて微笑むと、ミリアはパッと顔を輝かせ、さらに誇らしげに手帳を広げた。
「ふふっ、喜んでいただけて何よりですわ! 最初の追放生徒の調査は大成功でしたので……次の『追放された生徒たち』の現場にも突撃調査に向かう予定ですの! すでに次の調査対象リストを作成しておきましたわ!」
「あら、次のの……?」
スカーレットは何気なく、ミリアが机の上に広げたリストへ視線を落とした。
その瞬間――。
スカーレットの全身から、文字通りすべての血の気が引いた。
羊皮紙の最上段。
太いインクで、デカデカと記されたその名前。
*調査対象:レイン・クロイツ(アグニス家斡旋による下級官吏への就職状況の確認)】
(――っっっっっっ!?!?!?!?)
脳内で帝国の滅亡を告げる鐘が全力で乱打された。
レイン・クロイツ!
あの男は、わたくしの渡した下級官吏の推薦状などその場で突き返し、父親に勘当されて裏路地のラーメン屋で寸胴をかき混ぜているのだ!
もし、ミリアとクラリッサが調査に向かったらどうなるか。
下級官吏の役所にはおらず、裏路地の『青銀の雫』でエプロン姿で麺を茹でているレインを発見してしまう。
さらに「夜な夜な二人きりで密会してラーメンの試作を食べている」ことまで露見したら――!
ミリアは『わたくしを振った男と裏で抜け駆けデートして密会していたんですのね!?』と発狂して大号泣し、クラリッサは『スカーレット様を誑かす不浄の男め、八つ裂きにしてくれる!』と店ごと物理的に粉砕しかねない!
「――っっっ、こ、これは没収ですわぁああああッ!!」
「きゃあっ!?」
扇子を放り投げ、スカーレットは淑女にあるまじき猛烈なダイビングキャッチでミリアの手から羊皮紙を強奪した。
そして電光石火の早業で、自らのドレスの胸元の奥深くへとねじ込んだのだ。
「す、スカーレット様!? いきなり何をなさいますの!?」
目を丸くして驚愕するミリア。
スカーレットは引き攣った笑顔を顔面に張り付けながら、滝のような冷や汗をダラダラと流した。
「え、ええと……! こ、これ以上の雑務をあなた方に押し付けるのは、アグニス家の名折れですわ! そうです、ここから先の調査は……わたくし自らが直々に! 極秘裏に行いますことよ……!!」
「は、はぁ……? ですが、スカーレット様のご負担を減らすためにわたくしたちが――」
「だ、ダメですわ! レイン・クロイツは……そう、極めて危険な思想を持った不穏分子! あなた方のような深窓の令嬢を近づけるわけにはまいりませんの! わたくしが一人で、徹底的に、その、現場の監査を行いますわ!!」
目を激しく泳がせ、上ずった裏返り声でまくし立てるスカーレット。
そのただならぬ動揺と、異様な焦りっぷりを――ミリアはすっと目を細め、じっと値踏みするように見つめた。
「……スカーレット様?」
「な、何かしらミリア!?」
「なんだか……レイン様のお名前を見た瞬間から、やけに挙動不審でいらっしゃいませんこと……?」
「め、滅相もありませんわぁぁぁ〜〜〜っ!!」
追放生徒たちの心配が解消されたその直後に訪れた、身内からの浮気疑惑(?)という特大の修羅場警報。
下っ端悪役令嬢の胃壁は、本日何度目かの完全崩壊の悲鳴を上げるのだった。
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スカーレット嬢が恐れる、悪役令嬢セレスティーヌ様の活躍を描く「性悪悪役令嬢の怪獣防衛収支報告書 ~王子を囮にし、萌え(ウサギさん)を害する怪獣は筋肉ワンパンで超黒字ですわ!~」もよろしくお願いします☆




