第12話コルセット限界と罪悪感ゼロ麺
帝国ヴィクトリア貴族学院の追放執務室。
午後のお茶時を過ぎた室内には、羊皮紙をめくる音と、異様な呼吸音だけが重苦しく響いていた。
「ハァ……ッ……ハァ……ッ……くっ、ふぅ……ッ!」
羽根ペンを走らせるだけのデスクワークであるはずなのに、スカーレットは肩を激しく上下させ、額からじっとりと脂汗を流していた。呼吸をするたびに、胸元のコルセットのボーン(骨組み)がミシミシと軋んだ音を立てる。
手元が狂い、ポトリと羊皮紙の上に落ちた羽根ペンを拾おうとするが――腰がミリ単位も曲がらない。
(い、息が……吸えませんわ……! ここで無理に前屈みになろうものなら、金具が弾け飛んでミリアの額に直撃しますことよ……!)
「スカーレット様、お顔が真っ赤ですわ! 息も上がっていらっしゃいますし、もしや過労で高熱でもおありなんじゃ……!?」
駆け寄ってくるミリアに対し、スカーレットは引き攣った笑みを浮かべた。
(言えませんわ……ッ! 『ここ数日、レイン・クロイツの自作ラーメンに始まり、深夜の背脂ニンニクカップ麺、大盛りマシマシトッピング、さらには意識高い系の和え玉を連日キメ続けたせいでウエストが限界突破し、ドレスのコルセットが骨折寸前まで圧迫して酸欠を起こしていますの』なんて、伯爵令嬢のプライドが裂けても言えませんことよ……!!)
「だ、大丈夫ですわミリア……! 少し……少し業務に熱中しすぎて疲れただけですことよ……ッ!」
「……カロリー補給。特製バターシュガースコーン」
横からレムが無表情のまま、ずっしりと高カロリーの焼き菓子を差し出してくる。
「ひっ……! い、いりませんわ! 結構ですことよレム!」
必死の形相でスコーンを押し戻しながら、スカーレットは不摂生を心の底から後悔した。
このままでは、来週控えている宮廷夜会でドレスのファスナーが爆発四散し、社交界から物理的に永久追放されてしまう。
「本日の追放査定業務はここまでといたしますわ! わたくし、これから運動をして参ります!」
「まあ、スカーレット様が運動だなんて珍しいですわね?」
「美と健康を保つのも悪役令嬢の嗜みですことよ! それでは!」
スカーレットは逃げるように執務室を飛び出した。
◆
王都の夕暮れ。
シルクの訓練用ジャージに着替えたスカーレットは、王都外郭の遊歩道にいた。
「吸って、吐いて……! 走りますわよ! 蓄積された背脂と炭水化物を、この華麗なステップで一滴残らず燃焼させてみせますわ!」
腕を振り、颯爽と駆け出す。
――だが、開始わずか五分後。
「ハァッ……ゴホッ……! 足が……鉛のように重いですわ……!」
優雅なランニングフォームは瞬く間に崩壊し、ドタドタと重い足音を響かせ、十五分後には道端の石造りベンチにボロ雑巾のようにへばりついて白目を剥いていた。
すれ違う王都の衛兵たちが「あのお嬢様、大丈夫か……?」と哀れみの視線を向けてくるが、恥じる余裕すら残っていない。
「だめ……完全にエネルギー切れですわ……。お水……誰かお水を……」
荒い息を吐きながら天を仰いだ、その時だった。
ふわ……と、夜風に乗って、あまりにも凶悪で香ばしい匂いが漂ってきた。
煮干しと昆布の上品な出汁、そして醤油ダレの焦げた芳醇なアロマ。
「――っ!?」
スカーレットの嗅覚がピクリと跳ね上がった。ふらふらと顔を上げると、路地の角に赤提灯を揺らす一軒のラーメン屋がある。
(い、いけませんわ……! ここでラーメンの誘惑に屈したら、今までの苦しい有酸素運動がすべて無に帰してしまいますことよ……! 前を向いて走り続けなさいスカーレット……!)
理性を総動員して踵を返そうとした瞬間、店先の立て看板に踊る【鮮烈な魔導文字】が、スカーレットの瞳に飛び込んできた。
『罪悪感ゼロ! こんにゃく&大豆胚芽仕立ての特製・超低糖質ロカボ麺使用』
『糖質80%カット・脂質ゼロ・驚異の食物繊維レタス十個分』
「……と、糖質八割……カット……?」
スカーレットの足がピタリと止まった。
疲弊しきったスカーレットの脳内で、都合の良すぎる悪魔の超理論が爆速で組み上がっていく。
(糖質が八割カットということは……実質的に四杯食べてようやく普通の一杯分。そして脂質がゼロで食物繊維がたっぷりということは、食べれば食べるほど体内の毒素が排出される……実質サラダ! さらに熱々のスープの熱気でカロリーはすでに気化していますわ! 完全なるノーギルティ(無罪)ですわ……!!)
「ふ、ふふふ……運動後の適切な栄養補給ですもの! 健康のためには仕方がありませんわよね!」
完璧な論理武装を完了したスカーレットは、吸い寄せられるように暖簾をくぐった。
「いらっしゃい! 何にしましょ!」
「低糖質麺の特製醤油ラーメンをお願いしますわ! あ、それと麺が極めてヘルシーでカロリーゼロですから――特大豚バラチャーシュー五枚乗せに、味玉二個、煮込み角煮トッピング、あと揚げたての唐揚げセットも付けてくださる!?」
「へい、毎度ッ!!」
数分後、着丼したのは極めてグロテスクなコントラストの光景だった。
透き通るような極細のこんにゃくロカボ麺の上に、分厚い豚角煮とチャーシューが地層のように積み重なり、別皿の唐揚げからはパチパチと暴力的な油が跳ねている。
「いただきますわ……!」
ツルツルとした淡白な麺を啜り、すかさずジューシーな角煮を口へ放り込む。
(――っっあぁああっ! 麺が軽やかだからこそ、濃厚な肉汁と油が無限に進みますわ! 唐揚げは鶏肉だから実質プロテイン、角煮の脂は運動後の筋肉の潤滑油……! 完璧な完全食ですわぁあああ!!)
麺で削ったわずかな糖質を、山のような動物性油脂とタンパク質で軽々と倍返しにする至福のディナー。スカーレットは最後の一滴まで完食し、満面の笑みで店を後にした。
(これなら完璧ですわ! 明日の朝にはウエストもスッキリ元通りですわね!)
◆
翌朝。アグニス伯爵邸の寝室。
「ぐ、ぎぎぎ……ッ! ミリア、もっと引っ張りなさいな! 息を吐きますから、その瞬間に紐を一気に……ッ!」
「スカーレット様、無茶ですわ! あと五センチ……いえ、七センチ足りませんことよーっ!」
寝室では、ベッドの柱にしがみつくスカーレットと、後ろから全体重をかけてコルセットの紐を全力で引っ張るミリアの、地獄の着付けの儀式が繰り広げられていた。
そこへ、部屋の扉が開き、レムが無表情のまま魔導体重計の測定結果のメモを掲げて入ってきた。
「……測定結果。前日比、プラス一・五キロ」
「嘘をおっしゃいぃいいいいっ! わたくしは昨日、完璧なロカボ麺と有酸素運動でノーギルティだったはずですのにぃいいいいっ!!」
早朝のアグニス邸に、下っ端悪役令嬢の魂の絶叫が木霊するのだった。
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スカーレット嬢が恐れる、悪役令嬢セレスティーヌ様の活躍を描く「性悪悪役令嬢の怪獣防衛収支報告書 ~王子を囮にし、萌え(ウサギさん)を害する怪獣は筋肉ワンパンで超黒字ですわ!~」もよろしくお願いします☆




