第11話徹夜残業と駆け出しの味見
「――ダメですわ! 月大葉の青臭さが出過ぎています!」
閉店後の『麺処・青銀の雫』。静まり返った店内に、スカーレットの容赦のない美声がピシャリと響き渡った。
カウンターに置かれた試作の丼を指差し、スカーレットは扇子をパチンと鳴らす。
「熱湯に近いスープへ直に放り込んだせいで、月大葉の繊細な柑橘系の香りが飛び、葉のえぐみと渋みだけが強調されてしまっていますわ! これでは高級な香草ではなく、ただの雑草を煮出した泥水ですことよ! リテイクですわ、リテイク!」
「……くっ、温度が高すぎたか……」
厨房でエプロン姿のレインが、悔しそうに眉根を寄せた。
あの休日のお茶会で意識を失いかけたまま承諾して以来、スカーレットは毎晩のようにこの店の片隅へ通い詰めていた。
持ち前の鋭敏な味覚と貴族としての教養をフル活用し、レインが試作する「本物の月大葉ラーメン」に辛口の批評を下し続けているのだ。
「へへっ、いいぞいいぞ! 厳しい嫁さんだぜ!」
厨房の奥で寸胴を磨いていたドワーフの大将が、腕組みをしながらニカッと白い歯を見せて笑った。
「大将、茶化さないでください……」
「何を照れてやがる! 身分違いの貴族の令嬢と駆け落ちして、将来二人で独立して店を持つために必死こいて修行してるんだろ? 男なら惚れた女のために最高の一杯を作って見せな!」
「よ、嫁ぇえええええええっ!? か、駆け落ちぃいいいっ!?」
スカーレットは顔面を真っ赤に沸騰させ、カウンターから身を乗り出して絶叫した。
「誰が嫁ですの!? 誰が駆け落ちですの!? わたくしはただの通りすがりの、極めて公正なる味覚の外部監査役ですわよ!!」
「おうおう、照れちまって可愛いねえ! レイン、嫁さんのためにも負けんなよ!」
「人の話を聞きなさいな、この筋肉髭ダルマはぁあああっ!」
必死に抗議するスカーレットの横で、レインは苦笑いしながらも、寸胴の火を見つめて小さく肩を落とした。
「……すみません、スカーレット様。私の力不足で、毎晩付き合わせてしまって。……本当に、濃口ラーメンを超える一杯なんて作れるんだろうか」
ポツリと漏らされた弱音。
いつも冷徹で人を寄せ付けなかった少年が、自分の夢の前で無防備に傷ついている。
スカーレットはフッと息を吐き、扇子を静かに畳んだ。
「……弱気を吐く暇があるなら、油の抽出温度を調整なさい。月大葉をスープに直接入れるのではなく、低温の鶏油に香りをじっくり移した『特製香味油』として仕上げに回せば、熱で香りが飛ぶのを防げるはずですわ」
「……香味油……!」
「あなたの腕なら、必ず再現できますわ。私が認めた味覚の持ち主なのですから……あまり私を失望させないでくださる?」
ツンとそっぽを向いて告げると、レインはハッと目を見張り、やがて心底嬉しそうに微笑んだ。
「……はい! ありがとうございます、スカーレット様!」
街灯のような温かい笑顔。その破壊力に、スカーレットの心臓がトクンと跳ねる。
(……あ、危ないですわ。無駄に顔が良い……)
胸を押さえて呼吸を整えようとした、その時だった。ふと、スカーレットの視界の端に、壁に掛けられた古びた日めくりカレンダーが飛び込んできた。
(……あら? 今日って、何日でしたかしら?)
頭の中で、今週のスケジュールが高速で再生される。
月曜、レインの試作(塩ベース失敗)。
火曜、レインの試作(麺の加水率調整)。
水曜、レインの試作(チャーシューのタレ見直し)。
木曜、レインの試作(月大葉の温度問題)。
そして、明日――金曜日。
(……はて? 何か、とてつもなく……この世の何よりも重大な用事があったような……?)
金曜日。
週末。
帝室への使者がアグニス伯爵邸へやってくる日。
「――っっっ!!!!」
スカーレットの全身から、一瞬にしてすべての血の気が引いた。
「せ……セレスティーヌ様への……定期報告書の提出期限……明日じゃありませんことぉおおおおおおおおっ!?」
頭の中で警報が鳴り響く。ウーウーと鳴り響くどころの騒ぎではない。帝国の破滅を告げる鐘が全力で乱打されていた。
ここ数日、ラーメンの味見とイケメンの笑顔に現を抜かしていたせいで――
次なるターゲットの選定:ゼロ!
嫌がらせの手法と企画書作成:ゼロ!
退学後の再就職先の根回し:ゼロ!
提出用レポートの執筆:白紙!
もし明日、報告書を出せなければどうなるか。
『あらスカーレット様、私への報告を怠るなんて……貴族失格、いえ、生存資格剥奪ですわね?』と、あの冷酷な笑顔で一族全員が文字通り『消去』される。
「ひ、ひぃいいいいいいっ! 命日が! 私の命日が明日ですわぁああああああっ!!」
「ス、スカーレット様!? どうしたんですか急に!?」
立ち上がって頭を抱えるスカーレットに、レインが驚いて駆け寄る。スカーレットは血相を変え、マントをひるがえして店の引き戸へと突進した。
「ごめんなさいレイン! 私、今夜中に奇跡を起こして誰か一人を合法的に破滅&救済させないと、明日この世から消されますのぉおおおおおっ!!」
「は、破滅!? 消される!?」
「また来週ですわーーーっ!!」
引き戸をガラガラと開け放ち、スカーレットは深夜の王都の闇の中へと脱兎のごとく飛び出した。
甘い恋の雰囲気など一瞬で吹き飛んだ。
夜風を切り裂きながら、下っ端悪役令嬢は自らの首と一族の存亡を賭けた、地獄の徹夜残業へとひた走るのだった。
◇
アグニス伯爵邸の自室へ転がり込んだスカーレットは、マントを脱ぎ捨てるなり執務机へ飛びついた。
「時間がない……! 朝日が昇るまでに、すべてを終わらせなければ私の首が飛びますわ……!!」
羽根ペンをインク壺へ突き刺し、学園の生徒名簿を狂ったような速度でめくる。
「誰……!? 今すぐ排除すべき、言い逃れのできない悪徳貴族はどこ……!?」
血走ったスカーレットの瞳が、ひとつの名前にピタリと止まった。
カーツアゲ・バルツ。中堅貴族の次男坊。
実家の権力を笠に着て、実技試験前の下級生や平民生徒を裏庭へ呼び出し、魔導触媒や金を巻き上げている札付きの放蕩息子。
「見つけましたわ……! 後輩を恐喝して小銭を巻き上げる帝国のダニ! 排除した後は……規律の厳しい『帝立警備隊・最前線新人訓練所』へ叩き込んで、泥水を啜りながら根性を叩き直させますわ!!」
◆
ターゲットが決まれば、そこからのスカーレットの動きは迅速だった。
「作戦は『恐喝現場の魔法録音具による現行犯確保』および『風紀委員会への直接告発』! これ一択ですわ!」
朝までに証拠収集の段取り、被害生徒への根回し、退学届の雛形、警備隊への就職推薦状、そしてセレスティーヌへの提出レポートを火の出るような速度で書き上げた。
登校直後、裏庭で後輩を脅していたカーツアゲの前に颯爽と現れ、録音具を作動させながら悪役令嬢の高笑いと共に風紀委員会を突入させる。
昼休み前にはカーツアゲの退学処分と警備隊への送致が完了。
正午きっかりにアグニス邸へやってきたセレスティーヌの使者へ、分厚いレポートを無事に手渡すことに成功したのである。
◆
「……はぁ、はぁ……」
放課後。静まり返った学園の回廊で、スカーレットは壁に手をついて肩で息をしていた。
極度の緊張から解放された瞬間、猛烈な疲労が全身を襲う。昨夜から一睡もしておらず、おまけに水の一杯すら飲んでいない。
「だめ……。視界が……チカチカしますわ……。カロリーが、完全にゼロ……」
膝の力が抜け、床へ崩れ落ちそうになったその時――。
すっと、冷たい細い手がスカーレットの腕を支えた。
「……スカーレット様、限界ですね」
現れたのは、長い青髪を揺らした無口な取り巻き・レムだった。
いつもの感情の読めない、冷ややかに澄んだ瞳でスカーレットを見つめている。
「レ、レム……? どうしてここに……」
「顔色が白いです。……久しぶりに、行きますか」
「え?…ええ……」
◆
レムに連れられてやってきたのは、王都の外れにある、脂の匂いが立ち込める無骨な大衆店だった。
看板には大きく『麺処・野獣山』と殴り書きされている。
「……っ、生き返りますわぁあああっ……!」
運ばれてきた豚骨醤油ラーメン(並盛り)を、スカーレットは夢中で啜った
。濃厚な豚骨スープとニンニクのパンチが、枯渇していた身体に染み渡る。
「ふぅ……なんとか人心地がつきましたわ……。ごちそうさま……」
息を吐き、隣の席へと視線を向けた瞬間――スカーレットの箸がピタッと止まった。
レムの前に鎮座していたのは、もはや丼と呼ぶのも憚られる超巨大な鉢だった。
スープの海の上にそびえ立つ、茹でモヤシとキャベツの巨大タワー。その周囲を分厚い豚バラチャーシューが幾重にも取り囲み、麺は優に5玉分。さらにその脇には、山盛りのメガ盛り炒飯と、三人前のギョーザが整然と並んでいる。
「……すぅーっ」
レムは小さな口元をわずかに開けると、彫刻のように整った美貌のまま、淡々と箸を動かし始めた。
ずぞぞぞぞぞぞぞっ――!
まるで掃除機のような吸引力。山の如き野菜がみるみるうちに消え、太麺の塊が次々とその華奢な喉仏を通り抜けて胃袋へ吸い込まれていく。
咀嚼の音が一切途切れない。息継ぎすら怪しい超高速ペースで、鉢の山が平地へと変わっていく。
(……な、何ですのあの食べっぷりは……!?)
スカーレットは背筋に冷や汗を流した。
出会った当初、スカーレットはレムのことを「同じくラーメンを愛する大食い仲間」だと思っていた。
だが、それは完全な誤認だった。
レムの胃袋は異次元のブラックホールであり、人間離れしたフードファイターの領域に達していたのだ。
あまりの圧倒的な光景に、スカーレットの胃が急激に満腹感を訴え始める。
(……うっ、見ているだけで……お腹がいっぱいに……というか、胃がもたれてきましたわ……!)
レムの食べっぷりは凄まじすぎて、一緒に来るとこちらの食欲まで胸焼けで削られてしまう。
だからこそ、スカーレットも本当に命の危機を感じた時にしかレムの誘いには乗らないようにしていたのだ。
わずか十分後。ラーメン鉢のスープまで綺麗に飲み干したレムは、紙ナプキンでちょこんと口元を拭った。
「……ごちそうさまでした」
「……あ、圧巻でしたわね、レム……」
引き攣った笑顔で代金を支払うスカーレット。
二人は店を出て、夕暮れの路地へと歩き出した。
「スカーレット様、少しは元気が出ましたか」
「ええ、おかげさまで……。本当に助かりましたわ」
スカーレットが礼を言うと、レムは小さく首を傾げ、何事もなかったかのように平然と告げた。
「良かったです。……では、私は角の定食屋で『カツ丼』を食べてから帰りますので。ごきげんよう」
「……は?」
スカーレットが硬直する中、レムは長い青髪をなびかせ、隣の定食屋の暖簾を迷わずくぐっていった。
夕闇の中、一人取り残されたスカーレットは、震える手で額を押さえた。
「……本当に……あの子だけは、底が知れなさすぎてやばすぎますわ……!」
ラーメン5玉と炒飯を平らげた直後にカツ丼へ向かう怪物の背中を見送りながら、下っ端悪役令嬢は別の意味での恐怖に身震いするのだった。
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スカーレット嬢が恐れる、悪役令嬢セレスティーヌ様の活躍を描く「性悪悪役令嬢の怪獣防衛収支報告書 ~王子を囮にし、萌え(ウサギさん)を害する怪獣は筋肉ワンパンで超黒字ですわ!~」もよろしくお願いします☆




