第五話 悪役令嬢は顔がいい男に弱い
それからも、私たちはいくつかの作戦を実行した。
ただし、ヴィオレッタ様に新しい趣味を覚えさせるだけではない。
殿下の前で、完璧な婚約者をやめさせた。
狩りの途中、殿下に獲物を横取りされたときには、
「ちょっと、それは私が狙っていたのよ」
と敬語を忘れて抗議した。
殿下は驚いたあと、声を上げて笑ったらしい。
盤上遊戯で対戦したときには、接待をせず、本気で殿下を負かした。
「もう一度だ」
「嫌よ。負けを認めなさい」
「次は私が勝つ」
「では、賭ける?」
最後には二人とも時間を忘れ、夕食に遅れたという。
未来の王と王妃としてではない。
ただの負けず嫌いな少年と少女として、二人は少しずつ仲良くなっていった。
殿下はヴィオレッタ様を誘うことが増えた。
ヴィオレッタ様が他の男性と話していれば、あとから何の話をしていたのか尋ねるようにもなった。
順調だった。
だから、そろそろ何か起きると思っていた。
ヴィオレッタ様の周囲にいた令嬢たちが、リリア様を呼び出した。
殿下に近づかないように。
身分をわきまえるように。
ヴィオレッタ様をこれ以上傷つけないように。
本人たちは主人を守ったつもりだった。
しかし当然、リリア様は泣いた。
そして乙女ゲームのヒロインは、人目のない場所で泣くのが下手である。
すぐに殿下に見つかった。
ヴィオレッタ様が命じたわけではない。
それでも、令嬢たちが彼女のために動いたことは事実だった。
殿下はヴィオレッタ様を責めなかった。
ただ、誘わなくなった。
手紙の返事も短くなった。
以前の距離へ戻ってしまった。
すると、周囲の人々までヴィオレッタ様から離れ始めた。
茶会への招待が減り、廊下で話しかけてくる令嬢も少なくなった。
私はヴィオレッタ様が落ち込んでいると思った。
そこで夜、菓子を持って彼女の部屋を訪ねた。
「意外と元気そうですね」
ヴィオレッタ様は鏡の前で髪を梳かしていた。
泣いた様子はない。
「失礼ね」
「殿下との距離が開いて、周りの方までいなくなったので」
「殿下のことは気になるわ。でも、ほかの方々は別に」
ヴィオレッタ様は髪をまとめながら言った。
「殿下との婚約が危うくなっただけで離れるなら、あの方たちが好きだったのは私ではなく、未来の王妃だったのでしょう」
強い。
以前なら、全員に嫌われたのではないかと悩んでいたはずだ。
今は、去る者を追う気もないらしい。
「それに、離れていく方ばかりではなかったわ」
「誰か残ったんですか?」
「騎士団長よ」
王都でも有名な若い騎士団長だった。
金髪。
長身。
剣術大会で何度も優勝している。
そして、顔がいい。
本人もそれを知っていそうなところが、私は嫌いだった。
「何と言われたんです?」
「あなたがどのような立場になろうと、俺が守りたい、と」
ヴィオレッタ様は少し嬉しそうだった。
私は前から思っていた疑問を口にした。
「守るって、何ですか?」
「何って?」
「ヴィオレッタ様は何に襲われているんですか?」
「そういう意味ではないでしょう」
「では、何から守るんです?」
「世間の悪意や、孤独からではないかしら」
「剣で孤独を斬るんですか?」
ヴィオレッタ様が吹き出した。
「悪口を言った令嬢を一人ずつ斬って回るなら、守っている感じはしますけど」
「やめなさい。想像してしまうわ」
「具体的に何をするか言わなくても格好よく聞こえる、便利な言葉ですよね」
「あなたは情緒がないわね」
「でも、嬉しかったんでしょう?」
「悪い気はしなかったわ」
ヴィオレッタ様は少し考え、真剣な顔で続けた。
「私、最近気づいたの」
「何にですか?」
「顔のいいものが好きだわ」
「ものなんですね」
「馬も顔で選んだでしょう」
「男と馬を同じ基準で選ばないでください」
「騎士団長は見ているだけで癒やされるもの」
「うわあ。センスないですね」
「なぜよ」
「あいつ、マザコンですよ」
ヴィオレッタ様の笑顔が止まった。
「母親を大切にすることの何が悪いの?」
「大切にするのと、母親を女性の基準にするのは違います」
「根拠は?」
完全に興味を持った顔だった。
私は椅子へ座り、自分の分の紅茶も注いだ。
「まず、毎朝使っている香水は母親が選んだものです」
「それだけ?」
「食事のたびに、母上の料理の方がおいしいと言います」
「料理人がかわいそうね」
「以前、親しくしていた令嬢とは、菓子の甘さが母親の好みと違うという理由で別れました」
「味覚が合わなかったのでは?」
「母親と味覚が合わなかったんです」
ヴィオレッタ様は笑いをこらえている。
「あと、好みの女性は、髪が長くて、淡い色の服を着て、家庭的で、声を荒らげない人です」
「よくある好みでしょう」
「母親の若い頃の肖像画と同じでした」
ヴィオレッタ様はとうとう声を上げて笑った。
「最低よ、あなた」
「私がですか?」
「あの方を陰でそこまで調べて、マザコンだと決めつけるなんて」
「調べたのではなく、情報が集まってきたんです」
貴族の秘密は、本人より使用人の方がよく知っている。
隠したつもりでも、部屋を掃除し、食事を運ぶ人間には全部見えている。
「でも、あなたの分析は間違っているわ」
「どこがです?」
ヴィオレッタ様は得意そうに髪をかき上げた。
「あの方は、本当は私が好きなのよ」
「はい?」
「でも、私は殿下の婚約者でしょう。思いがかなわないから、母親のような、自分を決して拒まない女性を求めるようになったの」
私は黙ってヴィオレッタ様を見た。
ヴィオレッタ様も真剣な顔で私を見返した。
「なにそれー」
私は笑った。
「何がおかしいのよ!」
「マザコンの原因まで自分なんですか?」
「あの方は私を見るとき、いつも切なそうな顔をしていたわ」
「後ろにお母様がいたのでは?」
「いないわよ!」
「髪型が似ていたとか」
「似ていない!」
ヴィオレッタ様も笑い出した。
その後は、どちらの男を見る目が優れているかという話になった。
私が誠実そうだと言った騎士は、舞踏会のたびに違う令嬢へ同じ褒め言葉を使っているらしい。
ヴィオレッタ様が知的だと評価した魔術師は、人の話を聞いていないだけだった。
「では、顔も性格もいい男はいないんですか?」
「騎士団長よ」
「性格の部分が抜けています」
「あなたは本当にあの方が嫌いね」
「ヴィオレッタ様が騙されるところは見たくないだけです」
口にしてから、少し言いすぎたと思った。
ヴィオレッタ様は一瞬だけ目を丸くし、それから笑った。
「心配してくれているのね」
「侯爵令嬢がマザコンと結婚したら、侍女も大変なので」
「素直ではないわね」
「現実的なんです」
気づけば夜が明け始めていた。
殿下との距離は開いた。
周りからも人が離れた。
それなのに、ヴィオレッタ様は以前よりずっと楽しそうだった。
顔のいい騎士団長に口説かれ、私と男の悪口を言い、夜が明けるまで笑っている。
「明日の授業、寝てしまいそうだわ」
「私は仕事です」
「私が許すから、あなたも寝ればいいでしょう」
「権力をそういうことに使わないでください」
ヴィオレッタ様はまた笑った。
悪役令嬢は孤独になる。
たぶん、物語ではそう決まっていた。
でも、その筋書きはもう外れている。
私がいるから。
本人には、絶対に言わないけど。




