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第四話 普通の愛は難しい

ヴィオレッタ様の恋愛指南を始めてから、一か月が経った。


「昨日、殿下と郊外へ出かけたの」


私が淹れた紅茶を飲みながら、ヴィオレッタ様は言った。


最近、彼女はよく私の部屋へ来る。


侯爵令嬢が侍女の部屋へ通うのは、たぶん普通ではない。


でも、今さら気にしても仕方がない。


「狩りに行ったのよ。そのあと森を歩きながら、子どもの頃のお話までしてくださったわ」


「順調ですね」


殿下は友人が少ない。


王子という立場では、誰かを気軽に遊びへ誘うのも難しいらしい。


取り巻きを誘えば接待になる。


部下を誘えば仕事になる。


令嬢を誘えば、すぐに求婚の噂が立つ。


孤独が豪華である。


「来週は、湖まで歩こうと誘われたわ」


「ハイキングですね」


「景色が綺麗らしいわ」


「景色なら馬車からでも見られます」


「あなたは本当に趣がないわね」


ヴィオレッタ様は笑った。


以前の彼女は、人前では静かに微笑むだけだった。


最近は、私を馬鹿にするときによく声を上げて笑う。


少し腹が立つけど、悪くはない。


「殿下とは、以前よりずっとお話しできるようになったわ」


「友達感が出てきましたね」


「その言い方は好きではないわ」


「友達感を出してくる女は強いんです」


恋愛だけで関係を作ると、話題は二人の気持ちばかりになる。


自分を好きか。


他の女を見ていないか。


昨日と今日で気持ちが変わっていないか。


でも共通の趣味があれば、もっと気楽に一緒にいられる。


競馬の話をして、狩りで失敗した話をして、次はどこへ行くか決める。


好きかどうかを確かめなくても、二人で過ごせる。


「それに、あなたに言われたとおり、殿下以外の殿方とも話すようにしたわ」


「楽しかったですか?」


「思っていたよりは」


ヴィオレッタ様は、今まで男性を人間として見ていなかった。


将来の夫。


政治的な協力者。


警戒すべき異性。


だいたい、その三種類に分けていた。


そこで私は、殿下以外の男性とも気軽に話すよう勧めた。


男に慣れなければ、殿下とも自然には話せない。


「昨日、騎士団長に弓について尋ねたの。とても丁寧に教えてくださったわ」


「モテ始めましたね」


「別の方からも、乗馬に誘われたわ」


「完全にモテています」


もともと素材は最高級だった。


美人で、家柄もよく、教養もある。


ただ、話しかけるのが怖かっただけだ。


「殿下も、そのことを気になさっているようなの」


ヴィオレッタ様が少し声を落とした。


「私が他の殿方と話していると、あとから何を話していたのか尋ねてくるわ」


「女性として意識し始めたんでしょうね」


「婚約者なのに、今さら?」


「婚約者だからこそ、今まで役職だと思っていたんですよ」


「失礼ね」


「ヴィオレッタ様も、殿下を男性というより職務だと思っていたでしょう」


ヴィオレッタ様は反論しなかった。


図星らしい。


王子と、その婚約者。


将来の国王と王妃。


二人とも、互いを役割として見ていた。


そこにリリア様が現れ、殿下を一人の男として扱った。


そして今、ヴィオレッタ様もようやく、一人の女性として殿下の前に立ち始めている。


すべて順調だった。


それなのに、ヴィオレッタ様の表情は晴れなかった。


「これで、本当にいいのかしら」


「うまくいっているでしょう」


「だからよ」


彼女はカップを置いた。


「私の両親は、私を愛してくれているわ」


ヴィオレッタ様の両親は、彼女が殿下を支えられるよう、幼い頃から多くのものを与えてきた。


教師。


衣装。


王妃教育。


侯爵家の力。


「私は、両親が望んだ未来のために育てられた。それなのに今は、殿下に好かれるために競馬を覚え、狩りへ行き、他の殿方と冗談を交わしている」


「別に悪いことではありませんよ」


「でも、両親が望んだ私とは違うわ」


深い問題だった。


「深い問題ですね」


「急に他人事のように言わないで」


「私、深い問題は苦手なんです」


「恋愛については、あれほど得意げに話すのに?」


「恋愛は浅いので」


「本当に馬鹿にしているわね」


馬鹿にはしていない。


信用していないだけだ。


私は少し考えてから言った。


「普通に愛された人だけが、無難な恋愛をできるんじゃないかと思うんです」


「普通に愛された人?」


「両親が互いを大切にして、子どもを愛する。そういう家庭で育った人は、誰かを好きになって、結婚して、穏やかに暮らすことを自然に想像できるでしょう」


「あなたにはできないの?」


「意味は分かります。でも、自分のこととしては実感がありません」


幸せな家庭。


優しい夫。


愛される自分。


物語としては理解できる。


でも、それを自分の人生に当てはめると、急に現実味がなくなる。


前世の母は、夜になると綺麗な服を着て仕事へ出かけた。


酒と寂しさを持った客の隣に座り、話を聞き、笑いかける仕事だった。


父親はいなかった。


母は一人で働き、私を育てた。


夜中に帰ってきた母からは、香水と煙草と酒の匂いがした。


私はその匂いが好きだった。


母が帰ってきたと分かる匂いだったから。


布団の中で目を閉じていても、その匂いが近づいてくると安心した。


苦労しながら私を育ててくれた母は、今でも私の誇りだ。


強くて、綺麗で、面白かった。


男を見る目だけは壊滅的だった。


そんな母を見て育ったからか、私は穏やかな恋愛というものを、どこか他人の話だと思っている。


もちろん、そんなことをヴィオレッタ様に説明することはできない。


私が男爵家の娘になる前にも人生があったなんて話したら、恋愛指南の前に医者か神官を呼ばれる。


「殿下も、少し似ていると思います」


「殿下が?」


「王家は名門すぎて、普通の家庭ではありません」


「名門すぎるとは何よ」


「父親は父親である前に国王です。母親も、母親である前に王妃でしょう」


兄弟も、ただの家族ではない。


将来、王位を争うかもしれない存在だ。


愛されていなかったわけではない。


ただ、殿下は生まれたときから、王子として愛されてきた。


「殿下は、普通に恋愛をして、普通に幸せになる方法を知らないんです」


「そんなこと――」


「知っていたら、婚約者がいるのに平民の少女との恋を選びませんよ」


身分違いの恋。


すべてを捨てても結ばれたい相手。


物語としては美しい。


でも、普通の幸福を信じられない人間ほど、奇跡のような恋愛を求める。


「ヴィオレッタ様の方が、ずっとまともです」


「私が?」


「自分の立場を捨てて、誰かと駆け落ちすることなんて考えたこともないでしょう」


「当然よ」


「家族や国への責任を考えているからです」


ヴィオレッタ様はしばらく黙っていた。


「では、なぜ殿下には、あなたの方法が効くの?」


「殿下が恋愛体質だからです」


「恋愛体質?」


「普通に愛されるだけでは足りない。何か特別なことが起きて、自分の人生を変えてくれる相手を求めている。そういう人です」


「あなたも?」


「たぶん」


「恋愛に興味がないと言っていたでしょう」


「恋愛体質と、実際に恋愛するかどうかは別です」


「意味が分からないわ」


「私にもよく分かりません」


私は恋愛をしない。


でも、誰が誰に惹かれるかは分かる。


どんな言葉が刺さるのか。


どうすれば相手にとって特別になれるのか。


自分では信じていないからこそ、外からよく見えるのかもしれない。


「だから、殿下には私の方法が効くんです」


「ところで」


ヴィオレッタ様は首を傾げた。


「あなたの恋人は、どのような方なの?」


「いません」


「今はいないの?」


「今後も作る予定はありません」


「恋愛が得意なのに?」


「他人の恋愛が得意なんです」


医者が病気になる必要はない。


料理人が、自分の料理を全部食べる必要もない。


たぶん同じである。


「では、どうしてモテる方法を知りたいの?」


「モテないから恋愛しないと思われるのが嫌だからです」


「つまり?」


「モテたい。でも恋愛はしたくない」


「ひねくれているわね」


ヴィオレッタ様は笑った。


「選ばれないのと、選ばないのは違うでしょう」


「ご両親が婚約者を決めたら?」


「教会へ逃げます」


「教会?」


「シスターになります」


「そこまで?」


「神への愛なら、相手が浮気する心配もありません」


ヴィオレッタ様は声を上げて笑った。


「神様を随分と都合よく使うのね」


「朝が早いことだけが問題です」


笑い終えたヴィオレッタ様は、穏やかな顔で私を見た。


「あなたの言いたいことは分かったわ」


「よかったです」


「でも、同意はしない」


「どこにですか?」


「普通に愛されなかった人間は、普通の愛が分からないというところよ」


私は黙った。


「あなたも殿下も、何かが欠けているように言ったでしょう」


「欠けているとは言っていません」


「同じよ」


ヴィオレッタ様は、まっすぐ私を見た。


「私はそうは思わないわ」


「どうしてですか?」


「殿下も、あなたも、私が大切にしている存在だから」


何を言われたのか、一瞬分からなかった。


殿下が大切なのは分かる。


婚約者で、愛しているから。


でも、その後に私が続いた。


「大切な人たちに、何かが欠けているなんて思わない」


ヴィオレッタ様は少し目を伏せた。


「普通とは違うのかもしれない。でも、違うことと、足りないことは同じではないでしょう」


まずい。


この人は、たまにまともなことを言う。


私はまともな言葉への耐性が低い。


正面から大切だと言われるのは、もっと苦手だ。


「聞いているの?」


「聞いていましたよ」


「なら、何か答えなさい」


「ヴィオレッタ様も、たまには良いことを言いますね」


「たまには?」


「侯爵令嬢として立派な発言でした」


「私は今、侯爵令嬢として言ったのではないわ」


知っている。


友達として言ったのだろう。


でも、それを口にするのは恥ずかしかった。


「紅茶のおかわりを淹れます」


「話を逸らしたわね」


「聞いていました」


「顔が赤いわ」


「部屋が暑いんです」


「今日は寒いくらいよ」


「体温には個人差があります」


ヴィオレッタ様は、また楽しそうに笑った。


私は彼女に背を向け、紅茶を淹れ直した。


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