思い付きの旅行
日本語における海外旅行(かいがいりょこう、英: overseas travel)は、国土の全てが海に囲まれた島国・日本において、外国に出国する旅行において用いられる言葉。
職場が変わってから早くも1週間が過ぎた。入籍してからは2週間近い。
私の生活は思ったよりも安定していた。毎日同じ食事を望む裕祐の為に電子レンジでの調理ももう慣れた。洗濯は干さなくていい最新の乾燥機能付きの洗濯機のおかげで楽ちんだし、掃除をする手間を省く為にお掃除ロボットも導入した。家事を楽にした見返りに家には何も無い。ベッドもソファーもTVも、お気に入りだったデスクも本棚も食器も服もすっからかんだ。それでも生活は出来ている。
職場は現在接客メインのため土日も基本的には出勤なのだけれど、家庭をもったばかりなのもあって土日のどちらかは休日をもらっている。
それが少し残念でならない。裕祐といる時間は嫌いでは無いけれど、苦痛も多い。彼は人生の目標シートを作っていて、人生で何歳に何をすると目標だてていたのも一因だろう。彼の予定では30歳で子供をもうけたいらしい。だからそれまでは薬を飲み続けるようにと厳命された。安心して彼が欲を捌けるように…。
そしてやりたい事は山のようにリストノートに書き出されていた。
付き合っていた頃にやった事もあったし、やっていない事もある。
それに付き合わされるのが最近は少し辛い。
私は休日はゆっくりと過ごしたかったし、最近は接客の楽しさにも魅力を感じて勉強したいと感じていた。でも裕祐はお洒落な店を好まない。だから平日の休みは楽しみにしていたのだけれど…
「今度の休日は一日しかないからパラグライダーに行こう!その帰りに海外旅行の予約もしよう!」
突然の申し出だった。
「ちょっと待って?パラグライダーってどうしたの急に…それに海外旅行って何?聞いてないよ?」
「あれ?前に言ったじゃん。俺のやりたい事リストの話。その中に空を飛ぶってのがあってさ、熱気球とかじゃつまらないなって調べたら隣の県まで行けば割と手頃な金額でやってるんだよ。だから予約しといた。カードは綾音のカードで登録しといたから支払いよろしくな。あと、海外旅行は下見だよ。俺はこんな日本みたいなちっぽけな国飛び出していずれ海外移住するんだ!勿論不労所得でね」
全くこの男は何を言っているのか…不労所得を夢見る割に何一つやっていない。投資信託も株式も不動産管理だってやっていないのに…
呆れで私の顔は強張る。それに海外旅行などいつ行く予定なのだか…
「パラグライダーの件は分かったわ。でも手頃っていっても結構な金額なんだから相談して欲しかったな…それに旅行はいつ行くつもりなの?場所や予算はどうするの?そもそも裕祐はパスポート持ってないでしょ?」
「別にゴールデンウィークで良いじゃん。俺は今回結婚休暇使っちゃったからそのくらいじゃなきゃ休み取れないし。パスポートなんてすぐ取れるだろ?1週間もありゃ届くって先輩も言ってたし。それと、これは下見とは言え新婚旅行なんだから綾音のじーちゃんばーちゃんからの金使えよな。お祝いなんだから使ってなんぼだろ?初めてだからハワイとかどうよ?」
「パスポートなんて初めてなら発行に3週間近くかかるよ!それに役場なんだから休みとって申請行かないといけないんだよ?お金の件だってなんで私がもらったご祝儀を使うの!私に相談もなしに決めないで!」
裕祐の顔は苛立ちに満ちる。
「お前、俺の先輩が嘘ついたって言いたいのかよ!それに金金金って金のことばっかり言いやがって。今相談してんだろ?なら良いだろう⁈」
「よくないよ!嘘つき呼ばわりも金の亡者みたいな事も言ってないでしょ?だいたいゴールデンウィークなんて忙しいって分かるでしょ?私、今は接客なんだよ?そんな休みもらえるはずないじゃ無い!それに今からハワイだなんて…海外経験裕祐にはないんだからツアー頼むつもりなの?通訳はどうする気?そしたらそれだけでとんでもない金額になりかねないよ?今は円安なんだから…」
「ほらまた金のことだ。何でそんなに金のことばっかり気にするんだよ。俺だって稼いでるし、あるんだからいいじゃん。それにツアー無し、ホテルだけにすれば金なんてかかんないって。それに何のために駅前留学してんだよ。こんな時に話せるようにだろ?高い月謝払ってるんだから流石にそろそろネイティブでも通じるって。それに綾音は1人で海外行ったことあるんだから、ちゃんと俺のサポート頼むよ。あと、休みなら綾音は結婚休暇取ってないんだからそこで取れば良いじゃん。まだゴールデンウィークまでは2ヶ月あるんだから申請すれば余裕だろ?」
「無理だよ!それじゃなくても今度の彼岸には其々の実家に顔出しする約束でじゃない!そんなに頻繁に休日に休めないよ!そもそも結婚休暇は結婚式の時のためって話してたじゃない!何でそんな急に言うのよ!英会話だって私は観光用の最低限しか分からないし、手続きなんて読めないの。前の海外旅行だって卒業旅行で何人かと一緒だったし、ツアコンだって付けてるのよ?」
「それがそもそも不公平なんだよ。俺はまだ海外に行ったことないのに綾音だけが外の世界を知ってるのは不公平だろ?夫婦間で格差が有るなんて見っともないじゃん。休みだって新婚旅行だって言えば大体通るだろ?折角金もチャンスもあるんだからやってみようぜ?やって後悔するのが俺のやり方なんだ。頼むから分かってくれよ!経験しなきゃ俺は気づけないんだよ!何ならウェディングフォトをハワイで撮ったって良いんだぞ?海外旅行でウェディングなんて最高にクールじゃん」
「結婚式の予定はもう家族に言ってあるし、ゴールデンウィークに海外でウェディングフォトだなんて…時間もないしそれこそお金がいくらかかるか分からないよ!結婚式に使える予算決めたのは裕祐でしょ?」
「良いじゃん!この際結婚式の写真だけで済まそうぜ。どうせすぐ死ぬかも知れないじじいとババァに見せるのなんて写真で十分じゃないか…どうせあいつら俺たちの邪魔をして普通に暮らせって言ってくるような敵なんだぞ?実家に帰れば鱈腹食わそうとして俺を太らすし、何かにつけて否定してくる凡人脳の塊なんだ。だからあいつらは貧乏人なんだよ。俺は金持ちになるから、そんなもんに縛られたくない。いいか?家族は全員敵なんだ!俺たちの目指す成功を邪魔する敵なんだ。だから奴等を喜ばすような事本当はすべきじゃないんだ。そうだ!やっぱり時間も勿体無いから実家に帰るのはやめようぜ!」
あまりの話の通じ無さに私は言葉を失った。
今まで育ててくれた家族を敵だなんて…
いつも以上に意味がもう支離滅裂でよく分からない。理解することすら脳が拒否している。
それでも私を敵だとは言ってこない事に何故か安堵した自分がいた。
結局私は折れた。
そして案の定私が先にふて寝する中私を欲望のままに弄る。
「仲直り」それを口実に毎夜の通り欲を吐かれる。
私はもう彼にとって都合の良い穴でしかないのかも知れない。
この行為に愛情はもう感じない。触れ合い重なる肌の温もりが早く離れる事を祈る時間だった。
翌日は深酒して寝坊した裕祐の代わりに慣れない運転をして隣県でパラグライダーの体験をした。体験自体は確かに楽しく良い経験ではあった。でも、私の方が上手に長く飛べたことに裕祐の機嫌は悪くなった。その不機嫌さが私は嫌で嫌でしょうがなかった。密室の帰りの車内では永遠と聞かされる裕祐からの説教もどきの愚痴を聞かされ続けた。
市内に戻ってからは近くのショッピングモールの中に入る大手旅行代理店の扉を潜った。
旅行会社のパンフレットを覗き始めれば裕祐の機嫌はたちまち良くなる。
「いらっしゃいませ、本日はどのようなツアーをご希望でしょうか?」
物腰の優しそうなおじさん店員がパンフレットを眺める私達に声をかけてきた。
裕祐は嬉しそうに答えた。
「ゴールデンウィークに新婚旅行でハワイに行きたいんですけどどのくらいですかね?ついでにウェディングフォトも撮りたいなって思ってるんですよ」
「お客様、大変失礼ですが、ご予定は今年のゴールデンウィークでしょうか?それとも来年のゴールデンウィークでしょうか?」
おじさん…ネームタグを見れば田中さんは少し困惑している。
無理もない。いきなりだし、もし前者なら急すぎる。無論前者なのだけれど…私は内心で詫びた。
ごめんなさい、田中さん…。
「えっ、今年に決まってんじゃん。だって俺たち新婚なんだよ。今年の話に決まってるよ」
貴方の中で決まっていても田中さんは知るはずがないでしょう。そう突っ込みたくても、つっこんだ後の反動が怖くて私は声を飲み込む。
「えっと…お客様、まずはどうぞカウンターへ。お話を少々お聞かせください」
やはり田中さんは困惑している。
私達が座った頃合いを見て受付の女性スタッフがお茶とお菓子、おしぼりを出してくれた。私が軽くお辞儀をして感謝を伝える横で裕祐は「ラッキー」と呟き菓子を貪り始めた。
対面に座った田中さんに「いきなりでごめんなさい。私達は葛山と申します。本日はお話をお伺い出来ればと思って来ました」と簡単に名乗りをあげた。
「改めましてご来店誠にありがとうございます、葛山様。早速で申し訳ございませんが、今からいくつかご希望をお伺いしてプランをご提示したいと思っております。ですが…まずはお詫びを一つ。ウェディングフォトは当社では最短でも半年前からのご予約をお願いしております。そしてゴールデンウィークは繁忙期となりまして大変混み合う事が予想される為一年以上前からのご予約をお願いしております。ですので葛山様のご希望に沿う事は難しいかと思います」
田中さんは申し訳なさそうに言う。
裕祐は自分の意見が通らなかったことでぶすくれた。
「どうしても無理?」
「お急ぎの場合は無理にお撮りすることも出来るかも知れませんが、料金は上乗せしなければなりません。それと御衣装のレンタルが難しい為ご自身で手配していただく必要が御座います」
料金の追加などしたくないのだろう。裕祐の眉間の皺が一段濃くなる。
「そうなんですね、私達知らなくて…取り敢えずどの位追加でかかるんですか?」
貝になった裕祐の変わりに私は訊ねる。
「そうですね…ハワイ旅行自体が繁忙期の為おひとり様30から50万程かと。それとにフォトオプションをつければ20万位ですかね。繁忙期なので30万以上になる可能性があります」
そう言ってパソコンの画面を見せた。
私達はざっと目を通す。
「じゃぁ写真はいいから3泊で観光用のツアーとかオプションとか無しの1番安いホテルならいくらくらい?」
「オプションなしですと…そうですね何日発ですか?今の時期ですともう締め切りを過ぎている物もありますから…」
「5月1日から」
よりにもよってゴールデンウィークの初日だ。田中さんは難しい顔になる。
「うちで紹介出来るのはこちらの3つのプランですが、ご希望に沿っているでしょうか?」
差し出されたタブレットにはプランが3つ確かに書いてある。
だけれどそのうち2件は1人60万は超える。
残った一つは1人28万程だけど送迎などは一切無しで1泊目はコンドミニアムが滞在場所として指定されているけれど2泊目からはダイアモンドヘッドの近くのモーテルが指定されている。どちらにせよ車がなければ不便そうである。
「このプランならいいじゃん!これにしよう。それに下見にはピッタリだろ?俺たちは高級ホテルに泊まりたいわけじゃないんだから」
「畏まりました。こちらのプランですとレンタカーなどがおすすめです。国際免許などはお持ちですか?」
「いいえ、もっていません。不勉強で申し訳ないのですが直ぐに取れるものなのでしょうか?」
こんな質問は多いのだろう。田中さんはカウンターから2枚の紙を私に差し出す。
「そう難しくはないですよ。免許センターか警察署で申請出来ます。詳しくはこちらです。もしよろしければレンタカーの手配は当社で出来ます。追加で保険も含めて三万四千円ほどかかりますが…」
追加料金の説明で隣からまた不機嫌なオーラを感じる。先程食べた昼食のウィダーが込み上げてくるような気持ち悪さを覚える。
「えっと、実は彼、パスポートをまだ取得していないので、今日のところは考えさせてもらってもいいですか?」
田中さんは少し目を丸くする。
「海外旅行を予定されているならお早めにパスポートの申請はご検討下さい。ゴールデンウィークに向けた繁忙期となるので申請から発行まで2週間以上かかる場合が御座いますから。コロナ明けで国内外問わず旅行需要は拡大していますので。それとパスポートがないと国際免許の発行はされません。それに此方も保険の関係上、航空券の発券等で必要になりますので契約の際にはご提示をお願いしております」
また一段と隣のオーラは不機嫌になる。
「分かりました。取り敢えずこのプランの写しを頂けますか?」
そういえば田中さんは笑顔で封筒に何枚かの書類を入れてくれた。
「此方の最終受付は10日後です。それより早く予約が入れば終了ですのでご了承下さい」
不機嫌な裕祐をカウンターから引き剥がすように連れて私達は店を出た。
「おい!なんで俺のパスポートだけ無いって言うんだよ…それに何であんなに高いんだよ」
私はため息を浅く吐く
「ゴールデンウィークだから金額はしょうがないよ。後は自分で航空券とるかホテル予約するしか無いね。あとはもっと先に予約しとかなきゃ安くなんてならないと思う。それにパスポート無いのは事実でしょ?私だってパスポートの名前変更しなきゃならないんだし…」
「まぁいい。取り敢えず国際免許は綾音が取っておけよ。向こうで俺が運転するからペーパーのお前でも大丈夫だろ。それにまぁ高くても綾音のとこからの金あるし。写真は残念だけどどうせなら白のワンピースとスーツ持ってけばそれっぽい写真くらい撮れんだろ」
あんまりにも非常識な発言に言葉を直ぐには紡げなかった。
「ちょっと待ってよ!保険の関係あるから運転なんてさせらんないでしょ?それに私のご祝儀ばっかり当てにしてどうかしてる。そもそも私が休めるのか分かってからでも良くない?」
「綾音は行きたくないのかよ!なんか俺ばっかり悪い言い方されて腹立つなぁ。俺明日から仕事なんだぞ?そんな気を使えないから結婚前に浮気されて婚約破棄なんかされんだろ」
大きな声に数人の視線が私に向いた気がした。
「今言うことじゃないじゃない…もう帰ろう」
悔しさを噛み締めて私達は車を目指した。
その後何度か話し合った。彼の機嫌をなおす為に…次第に彼の中では私が我儘を言って海外旅行に行きたいと言っていると事実がすり替わっている事に本人だけが気付いていない。
その日の行為は私を責める言葉を耳元で吐きながらだった…
ここで穏やかに暮らす為にと私は翌日、上司に相談をした。
ゴールデンウィークの休暇申請の為だった。
勿論いい顔はされない。
「一応結婚でおめでたい事ではあるんだが…でもなぁ…ゴールデンウィークかぁ…」
「無理ですよね…急な申請で申し訳ありません…」
「いや、申請は1ヶ月前って社則だから問題はないんだが時期がなぁ…」
店長の山田さんは少し白髪の混じった髪をかきあげる。
「大丈夫じゃないですかね、山田さん。本社はゴールデンウィーク中は休みになるので応援頼んでみたらどうです?新入社員をその時期だけ販売研修って形で借りるとか…今からならバイトの短期募集もききますし、近くの大学の生協にチラシ置かせてもらいましょう。私はゴールデンウィーク中は手当出るんで全部出勤しますから」
事務所のパソコンに向かっていた徳丸さんが声を掛けてくれた。
私に取っては有難いながらも少し複雑だった。
「徳丸がそう言うんなら…そうだな。葛山さんは新婚なんだし、今しか出来ない楽しみもあるだろうから、行って来な!どこだったったっけ?旅行先?」
「一応ハワイの予定です。まだ予約が終わってないんですけど…」
「いいね!混んでるだろうから気を付けて行って来な」
私は深々と頭を下げた。
「私用で無理を言って申し訳ありません。ありがとう御座います」
2人はいいよと言ってくれたけれど罪悪感は半端ない…。
その後の休暇は出来るだけ平日にしてもらった。ゴールデンウィークに対応してもらう埋め合わせのつもりだ。
そして平日の休みは役場をめぐる業務と化した。
平日は休めないと言う裕祐の為に家で写真を撮って必要書類を印刷した。めんどくさがる彼の代わりに書類に記入して委任状に判子を押させた。
書類を郵送してもらう時間がなかったので休みの日に電車を乗り継いで彼の地元まで行って書類を揃えた。
旅行代理店にも行ってギリギリで予約をした。
国際免許を取ってまで不慣れな海外で運転する自信が無かった私は裕祐にも相談してホテルのランクを上げた。偶々キャンセルの出たホテルだと田中さんから連絡が入ったその日に予約をお願いした。
それでも予定よりも10万近く値段が上がった事に裕祐は苛立っていた。
裕祐のため息に胃を痛めながら準備を進めればもうゴールデンウィークは目前だった。
遅くなりました。
綾音も裕祐もモデルがいるんですが、あまりの綾音のでもでもだってちゃん感と裕祐のクズっぷりに少し疲れてかけませんでした(笑)
まぁ、のんびりと続けますので気長にお待ちください。




