愚者の決断
「ハラスメント」
ハラスメントとは、相手が望まない言動で、相手に不快感や精神的・身体的な苦痛、職場環境などへの悪影響を与える行為の総称です。日本では特に、職場でのパワハラ・セクハラなどが問題視され、法律や指針で防止が求められています。近年では家庭内でのハラスメント被害の報告もみられます。
「エネミー」
エネミーとは、英語「enemy」をカタカナにした語で、「敵」「敵対する者」「対戦相手」を意味し、ゲームやアニメでは主にプレイヤーが倒すべき相手や敵キャラを指します。ネットスラングでは身内に潜む敵を指します。家庭内で味方をせずに否定したり悪役に仕立てる伴侶や配偶者の親を指す場合が多い。
自分を否定されて、相手の意見を肯定し続ける。相手の事を立てているようで相手に支配され続ける。それはもう洗脳と変わらないのでは無いだろうか…そしてそれは自分を殺す事と何が違うのだろうか…
死体のない殺人と何が違うのだろうか…。
「まずさ、俺みたいな男と付き合えるんだからダイエットから始めてみない?あと10…は厳しいけど、5キロくらい痩せたらもう少しいい感じになると思うよ」
私はそれなりにぽっちゃりだ。身長は160までないし、体重も50キロ代後半を学生時代から歩んでいる。その分出るとこも出ているのではあるけれど、腹回りの浮き輪は自分でも気になっていた。
趣味が食べる事直結な私は食事の置き換えダイエットから始めてみた。
流行っていた糖質制限ダイエットである。
それまで週末の楽しみだった甘い物巡りのカフェ巡りも出来なくなった。週末は裕祐と会うだめだ。
3食サラダチキンやブロッコリー、豆腐ハンバーグとサラダの生活になった。
体重は落ちたけど食費は嵩んだ。彼が半同棲状態となり食事を一手に賄っていたからだ。
「俺もダイエットに付き合ってあげるから、頑張ろ!同じメニュー食べてれば太ることもないだろうしさ」
私はなんで優しい人なんだろうとかお花畑にも思っていた。
食費や光熱費を彼が出す事は無かった。
それどころか転がり込むように私のマンションへと拠点を移して深夜だろうと私が居なかろうと居座った。通勤距離が伸びたから大変だと言う彼に交通費すら渡していた。
お花畑な私は彼が落ち着く家になるようにと馬鹿みたいに頑張った。
水を出しっぱなしにされても、エアコンを常時快適なようにつけっぱなしにされても、大切にしていた家具を貶されてもへらへらと…
逆に彼の部屋へ遊びに行った時に同じような事をすれば勿体無いからお風呂のお湯は張るなと言う彼に従い2分だけ烏の行水で出てドライヤーを使うことすらしなかった。
彼の部屋には後から思えば小さな違和感が一杯だった。一人で暮らすには少し広い部屋。料理は近くのスーパーの割引惣菜とレンチンのご飯で十分だと言い張る割にある三口のガスコンロに炊飯器。棚の奥に追いやられていたストックのサッパリとしつつも女性向けのフレグランスの柔軟剤。
これを逃せば婚期はない。そんな不安でその小さくない違和感と不満に蓋をした。自分さえ我慢すれば全ては丸く収まる。そう自分に言い聞かしていたし、彼からもそう言いくるめられていた。
徐々に私の思考は低下していく。結婚という名のゴールを信じて…。
今にして思えば結婚などはゴールでは無く、新たなスタートラインだ。それに結婚イコールで幸せでも無ければ成功者でも無い。そもそも人生は一人一人の物語であって勝敗を測るための物差しでは無いと言うのに…。30までに結婚しなければ負け犬と信じていた昔の自分と膝を詰めて話をしたいものだ。もっともこの頃の盲目的な私はそんな事ないと聞く耳を持たなかっただろうけれど。
そして3ヶ月後にはカレの家族へと紹介を受けた。隣の県まで彼の運転で向かう道中はとてもドキドキしていた。やたらとドライビングテクニックを某峠を駆ける漫画の一部に例えながら彼は上機嫌で運転していた。中古のジムニーは運転席と助手席に私が乗り込み挨拶の手土産と一泊二日分の荷物を積み込むと一杯一杯だった。
到着したのは街から山の方へと登った川縁の集落だった。
彼の家族にはそれはそれは歓迎された。そしてそこで私は彼の違和感に迫る彼の隠し事を聞いた。
「お帰り、ゆうちゃん。えっと、あやさんだったかしら?遠い所大変だったでしょう?この子自分の運転に自信があるんだかなんだか知らないけど無茶な運転するから…酔ったりしてない?それにこんな田舎だなんて思わなかったでしょ?S県のO市なんて都会だもんね」
「はい、えっとお邪魔します。恋塚綾音と申します。運転は大丈夫でした。無事に着きましたし。それに、O市も郊外なのでそんなに都会では無いです。私の実家も田舎だったので懐かしいくらいです。いい所で裕祐さんは育ったんですね。
あっ、これお土産なので宜しければ御仏壇にあげさせて下さい」
玄関先で私は彼のお祖母さんに挨拶をした。今回は彼の伯父さんの3回忌に合わせての帰省について来た形だった。
始めての顔見せで親戚も集まる場だと聞いていたので私は気合を入れて会社の秘書課御用達の菓子司に朝から並んでとっておきの練り羊羹と松笠焼きの詰め合わせを用意した。
「まぁ、わざわざお気遣い頂いて…ゆうちゃんこういう気が利かないからこんな素敵な奥さんを今度は連れてきてくれて安心だわ」
その言い方に引っ掛かる物を感じたけれど、早く上がるように促されてその違和感を考える余裕は無かった。
でもその違和感の正体は直ぐにわかる。集まり出した親戚達が教えてくれる。
「おぉ!裕も来てたのか。?隣のはお前の嫁さんか?もっと細くて綺麗な子じゃ無かったか?お前の嫁さん」
「政義さん!!裕ちゃんの奥さんの事は言っちゃダメよ!離婚したばっかりなんだから」
あぁ、違和感の正体はそれなんだ…ショックよりも何処かスッキリとした気持ちになった。
当の本人は私の隣で何事も無いようにビールを飲み始める。
保険の兼ね合いもあって今日は帰れない事が確定した。
そこから始まる外堀埋めと前の離婚劇についての顛末を彼以外の人々から懇切丁寧に説明をされた。前の奥さんは彼の会社に派遣社員として来ていた子で年はまだ20歳の世間知らずな子だったとか、双極性障害と摂食障害、統合失調症を発症して家事もままならなくなり、自傷行為も繰り返すようになったので実家に帰ったから彼に非はないのだと彼の祖父母、遅れて来た彼の母とから説明されたのだ。
その時の私はそれを信じた。大変だっんだねと彼を労った。
彼も涙ながらに「言い出せなくてごめん」と謝り、私はそれで許してしまった。「言い出し辛い事ってあるよね。言い出せないような雰囲気作ってた私も悪いんだから謝らないで」と出来た嫁気取りで彼の方を持った。
自分で説明する事から逃げ、保護者である親や祖父母に説明させる狡さや、バレなければいいと言う浅はかさに気づいていたはずなのに情でそれに蓋をした。全く自分の事なのに腹立たしい。コイツは本当に馬鹿なのかと殴り倒してやりたくなる程アホだ。
それどころか彼の秘密を知った事でより彼に近づけたとさえ錯覚していた。
これで親公認の恋人になれたのだと一つ課題をクリアした気になっていた。
そして更に半年後に私達は入籍した。
私の親は私の男を見る目の無さを知っていたので不安に思っていた。でも最終的に娘が認めた人ならばと認めてくれた。
それはそうだろう。パチンカスでも無職でもない、大手企業勤めの人ならまともかも知れないと思っても不思議ではない。それに裕祐は外面がとても良かった。平気な顔で嘘を息をするように自然と吐ける人だった。私もその頃はまだ騙されていた。
ただ、弟だけはやめた方がいいと言ってくれていたけれど、弟からの可愛い嫉妬と思って私は流してしまった。
これで私は負け犬じゃない。勝ち組だと愚かな私は考えていた。
どれだけ尽くしてもそれが当たり前だと私の努力を甘受し、私の矜持を踏み躙り、私の資産を食い物とし、私の家族を見下すモンスターとの共同生活の契約書に私は自ら判を押した。それはまさに結婚と言う名の地獄の始まりだった。




