第9話 砕かれた『かつての太陽』と、母の涙
家に帰ると、母さんの様子がおかしかった。
いつもなら俺が玄関を開けた瞬間に「太陽、おかえりなさい! 私のような影の薄い母が、あなたのような光り輝く子を出迎えて……ごめんなさい!」と、嬉しそうに謝りながら抱きついてくるはずだ。
だが、今日の彼女は、居間のソファで震えるように丸まり、古い一冊のアルバムを抱きしめていた。
俺は音を立てずに近づき、陽菜から渡されたメモをポケットに深く押し込んでから、母さんの肩をそっと叩いた。
「……母さん、ただいま。何かあったの?」
母さんはビクゥッ! と肩を跳ねさせ、アルバムを隠すように抱え直した。
「た、太陽……。お、おかえりなさい。ごめんなさいね、母さんがこんなに暗い顔をして……。あなたの眩しさを吸い取ってしまいそうで……っ」
その瞳は赤く腫れ、隠しきれない絶望の色が混じっていた。
俺は黙って彼女の膝の上に座り、その冷たくなった手を握った。
「……サンシャイン・エージェンシーの車を見たんだ。あいつら、母さんのことを知ってるの?」
母さんの体が、氷を押し当てられたように硬直した。
震える指先が、隠し持っていたアルバムのページを開く。そこには、二十年前の芸能雑誌の切り抜きが貼られていた。
中心に写っているのは、今の母さんからは想像もできないほど、真っ直ぐに前を向き、凛とした表情でマイクを握る一人の少女。
『伝説の歌姫・雫。唯一無二の歌声で、日本中を照らす太陽に――』
だが、その隣で不自然に切り取られた跡がある、もう一人の少女がいた。
「……母さん、これ……」
「あの人は、私の親友だったの。一緒に、みんなを笑顔にしようねって約束して……。でも、彼女は『陽の光』を、ビジネスとしてしか見られなくなった」
母さんの声は、今にも消えてしまいそうだった。
「彼女の名前は、天王寺サキ。今のサンシャイン・エージェンシーの社長よ」
サキは、才能があったが極度の上がり症だった母さんの心を巧みに操り、その輝きをすべて自分の功績として奪い取った。
そして、母さんが精神的に追い詰められ、歌えなくなった瞬間、彼女を「壊れた欠陥品」として業界から追放したのだ。
「あの人が今の陽菜ちゃんにやらせていることは、かつて私にしようとしていたことと同じ……。無理やり笑わせ、心を殺して、消費者のための『偽物の光』を作っているのよ」
母さんの涙が、アルバムに落ちてシミを作る。
「太陽、お願い……。あそこに関わってはいけないわ。あなたまで、あんな冷たい光に焼かれてほしくないの……」
俺は母さんの背中を静かにさすりながら、確信していた。
あの事務所のやり方は、この世界の住人たちの「優しさ」を搾取し、都合のいい「陽」の偶像を作り上げる独裁国家だ。
前世で、いじめっ子という強者にすべてを奪われ、誰にも助けてもらえなかった俺。
今の俺には、守るべき家族がいて、信じてくれる仲間がいる。
「大丈夫だよ、母さん。俺は焼かれたりしない。……俺が、あの人の作った偽物の太陽を、全部塗りつぶしてくるから」
翌日。
レッスン場に集まった三人に、俺は決戦の衣装プランを提示した。
美桜は俺の顔色を一瞬で読み取り、琥珀色の瞳を鋭く細めた。
「……たいようくん、怒ってる? 誰……? たいようくんを悲しませたのは。わたしが……その人の『存在』を、消してあげようか?」
「いや、美桜。消すのは存在じゃない。あいつらの『常識』だ」
俺は颯太と小春にも視線を向けた。
「フェスタでの演目を変える。テーマは『日食』だ」
「にっしょく……?」
小春が不思議そうに首を傾げる。
「光が強ければ強いほど、影は濃くなる。俺たちは、影のままで光を飲み込むんだ。美桜、衣装は漆黒のベルベット。颯太、お前のリズムで会場の心音を支配しろ。小春、お前の声で、この偽りの世界にヒビを入れろ」
俺のプロデュース。それは単なるショーではない。
前世で虐げられてきたすべての「インキャ」たちの魂を解放し、偽物の光を撒き散らす権力者への、宣戦布告だ。
「……わかりました。太陽の言う通りに、やってみる。ぼく、もう自分の体のでかさを恥じたりしないよ」
颯太が力強く拳を握る。
「わたしも……喉が裂けてもいい。太陽くんが指差す場所まで、歌を届けるよ」
小春の瞳に、かつてない覚醒の炎が宿る。
そして美桜は、俺の手を両手で包み込み、耳元で熱っぽく囁いた。
「……たいようくんが選ぶ影なら、地獄の底まで綺麗に飾ってあげる。……愛してるよ、わたしのプロデューサーさん」
美桜の歪な執着が、最高の「武器」へと変わった瞬間だった。
一方、サンシャイン・エージェンシーの地下室。
「……いいか、陽菜。次のフェスタで、あのモブプロのガキどもを完膚なきまでに叩き潰せ。失敗すれば……わかっているな?」
サキ社長の冷徹な声が響く。
陽菜は震える手で、無理やり口角を上げ、「……はい、ハッピーにお届けします……」と、死んだ魚のような目で答えた。
史上最大の親子二代にわたる因縁。
キッズ・パフォーマンス・フェスタまで、あと一週間。
俺たちの「黒い太陽」が、世界を飲み込もうとしていた。




