第4話 泣き虫たちの入園式と、見出された二人目の天才
俺と美桜が幼稚園に入園する日がやってきた。
会場となる遊戯室は、異様な空気に包まれていた。
「ひぐっ……うぇぇん……ぼくなんかが、ここにいて、ごめんなさい……っ」
「わ、わたしが座る椅子……なんだか申し訳なくて、座れません……床でいいです……」
一般的な幼稚園の入園式といえば、親から離れる寂しさで泣き叫ぶ子供たちの姿が定番だ。
しかし、この世界の子供たちは違う。
彼らは『集団生活という社会に、自分のような底辺の存在が混ざっていいのか』という、謎の罪悪感と自己評価の低さに押し潰されて泣いているのだ。
親たちは親たちで、「うちの愚息が視界を汚して申し訳ありません」と壁を向いて土下座のような姿勢をとっている。
そして、本来なら場をまとめるべき新任の女性保育士は、子供たちの自己卑下の渦に呑まれ、教壇の隅で体育座りをしてガタガタと震えていた。
(……地獄絵図だな)
誰一人として前を向いていない。誰も顔を上げない。
俺の隣では、制服をブカブカに着こなした美桜が、俺の袖をギュッと強く握りしめていた。
彼女もまた、この重苦しい空気に当てられ、長い前髪の奥で怯えている。
だが、三年間俺が肯定し続けたおかげで、彼女は「ごめんなさい」と口走ることはなくなっていた。
ただ、俺のそばから一歩も離れようとしないだけだ。
(俺が動かないと、この入園式、一生始まらないぞ)
前世では、誰かが場を仕切るのをただ黙って見ているだけのモブだった。
だが、今は違う。
俺は美桜の手を優しく引き剥がし、「ちょっと待ってて」と微笑みかけた。
美桜はコクンと頷き、俺の背中を、まるで神様でも見つめるような熱烈な視線で追いかけ始めた。
俺はゆっくりと立ち上がり、教壇で震えている保育士の先生の前に歩み寄った。
周囲の泣き声が、ピタリと止まる。
俺という強烈な『光』が動いたことで、全員が息を呑み、怯えきった視線をこちらに向けたのだ。
「先生。名札、少し曲がってますよ。直してもいいですか?」
俺が小さな手で、先生の胸元についた桜型の名札を真っ直ぐに直してやる。
そして、極上の笑顔で言葉を紡いだ。
「先生の笑顔、早く見たいな」
その瞬間、保育士の先生の目からブワッと滝のような涙が噴き出した。
「あああ……っ! 天使! 天使が私に話しかけてくださった……っ! すみません、私のような無能が、こんな素晴らしい園児を前に怯えてしまって……っ!」
先生は立ち上がり、ビシッと背筋を伸ばした。
その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだったが、俺の一言で完全に『覚醒』したらしい。
「は、はいっ! 先生、頑張りますっ! 天使くん……いえ、太陽くんのために、全力で保育をさせていただきますっ!」
(よし、これで大人は動かせる)
次に俺が視線を向けたのは、教室の一番後ろで、大きな体を丸めて壁と同化しようとしている一人の男の子だった。
年の頃は同じはずだが、頭一つ分ほど背が高い。
だが、極端に猫背で、周囲に「大きくてごめんなさい」とでも言いたげなオーラを放っている。
俺が近づいていくと、その男の子はビクッとして、さらに体を小さくしようとした。
「ご、ごめんなさい……。ぼく、無駄にでかくて、邪魔、ですよね……息止めるから、許して……」
「邪魔なんかじゃないよ。背が高くてかっこいいじゃん」
「え……?」
男の子は、信じられない言葉を聞いたというように顔を上げた。
俺は、彼が膝を抱えながら、無意識に指先で床をトントンと叩いていることに気がついていた。
そのリズム。一定で、かつ複雑なシンコペーションを刻んでいる。
怯えきっているのに、彼の体は無意識に、周囲から漏れ聞こえる時計の秒針や、遠くの車の音に合わせて完璧なリズムを取っていたのだ。
(……なるほど。こいつも、規格外の原石か)
「君、リズム感がすごくいいね。指先の動き、すごく綺麗だ」
俺がそう指摘すると、男の子は自分の指先を見て、ハッとして手を引っ込めた。
「あ、あの……ごめんなさい、落ち着かなくて、つい……気持ち悪い、ですよね」
「ううん。すごくクールだよ。将来、すっごくかっこよく踊れそうだね」
俺の言葉に、男の子の目が大きく見開かれた。
「お、おどる……ぼくが……?」
「うん。俺にはわかるよ。君は絶対に、みんなを驚かせる才能を持ってる」
前世で底辺を這いずってきた俺だからこそ、言葉の重みは知っている。
この世界の人間は、他者からの肯定に飢えきっている。だからこそ、俺の真っ直ぐな言葉は、彼らの心に劇薬のように染み渡るのだ。
「ぼ、ぼく……颯太、です……」
「俺は太陽。よろしくな、颯太」
颯太は、まだ戸惑いながらも、俺の差し出した手を力強く握り返した。
その握力と、大きな手のひら。間違いなく、彼は将来、圧倒的なパフォーマンスで舞台を支配するダンサーになる。
俺が颯太を連れて席に戻ると、美桜が自分の席からジッと俺を見つめていた。
その目は、前髪の奥でギラギラと燃えるような執着の光を宿している。
美桜は、俺が先生や颯太にかけた言葉、表情、タイミングを、まるで録画するように一挙手一投足、脳裏に焼き付けていたのだ。
(……美桜?)
俺が少し不思議に思って首を傾げると、彼女はふにゃっと柔らかく笑い、俺の袖を再びギュッと握った。
「たいようくん、すごい……。わたしも、たいようくんみたいに、なりたいな……」
その呟きは、誰にも聞こえないほど小さかった。
だが、俺の『プロデュース』を一番近くで見つめ続ける彼女の中に、アイドルとしての『表現力』と、俺への狂気的なまでの『依存』が芽生え始めた瞬間だった。
俺たちの幼稚園生活は、こうして誰も予測できない形で幕を開けたのだった。




