第18話 無垢なる絶対零度と、原色の侵略
すべてのモニターが暗転し、静寂に包まれたホワイト・ガーデンの監視ルーム。
「……おっと、これで外部との通信は完全に遮断されましたね。影山先輩、いい仕事だ」
俺はポケットのスマートフォンで短くメッセージを確認し、床にへたり込む九条を見下ろした。
「き、貴様ら……自分が何をしているのか分かっているのか……! ここは連盟の聖域だぞ!」
「聖域? ただの無菌室でしょう。免疫のない子供たちを閉じ込めて、あなたたち大人が管理しやすい『綺麗な空っぽ』を作っているだけだ」
俺は冷たく言い捨て、監視ルームの扉を開けた。
向かう先は、美桜たちが待つ一階の広間だ。
ハッキングにより非常灯だけが薄暗く点滅する廊下を歩きながら、俺は微かな『異変』を感じ取っていた。
(……静かすぎる)
いくら連盟の子供たちが『無音』を叩き込まれているとはいえ、突然の停電とシステムのダウンだ。微かな動揺のざわめきくらい起きるのが普通だ。
だが、施設全体が、まるで凍りついたように沈黙している。
広間に続く重い扉を押し開けた瞬間、その理由が分かった。
「……たいようくん。気をつけて」
広間の中央で、美桜が俺を庇うように一歩前に出た。
その後ろで、颯太、小春、陽菜、月乃の四人が、息を呑んで『それ』を見つめている。
暗闇の広間の中心。
そこだけが、不自然なほど白く発光しているように見えた。
裸足で、装飾の一切ない純白のワンピースを着た、長い銀髪の少女。
年齢は俺たちと同じか、少し上くらいだろう。
だが、その瞳には光も、闇も、絶望すらも存在しない。
ただ完全なる『無』が、そこにぽっかりと空いていた。
「……真白。そこにいたのか……!」
俺の背後から追いついてきた九条が、少女を見て歓喜の声を上げた。
「やれ! 真白! その出来損ないどもに、連盟の最高傑作であるお前の『絶対零度』を見せてやれ!」
九条の叫びに呼応するように、真白と呼ばれた少女が、ゆっくりと口を開いた。
「――……」
声は、出なかった。
いや、違う。彼女が発したのは、人間の耳では知覚できないほどの『極低周波』のハミングだった。
「……っ!?」
小春が喉を押さえて顔を歪め、颯太が膝をつく。
前世で言うところの、アクティブノイズキャンセリングの極致。
空間のすべての音、感情の波長、心臓の鼓動すらも打ち消す、究極の『自己消失』のパフォーマンス。
他者の存在を否定するのではなく、自分という存在を限界まで『ゼロ』に近づけることで、周囲のエネルギーを強制的に奪い取るブラックホールのような能力だ。
「すごいな……。これが、このインキャ世界が到達した一つの正解か」
俺は圧倒されながらも、プロデューサーとしての熱い興奮を抑えきれなかった。
あれは兵器ではない。究極に研ぎ澄まされた、悲しいほど純粋な『表現』だ。
「たいようくんの心音まで、消えそうになってる……。許さない」
美桜が、ギリッと歯を鳴らした。
彼女の手には、赤いインクが入った小さな小瓶が握られている。
「……美桜、待て」
俺は美桜の肩を掴み、前に出た。
「彼女は、攻撃してきているんじゃない。ただ『空っぽ』なだけだ。真っ白なキャンバスが、そこにポツンと置かれているのと同じだ」
俺は九条を振り返り、哀れむような目を向けた。
「九条さん。あなたたちは愚かだ。こんな極上の真っ白なキャンバスを用意して、何も描かずに放置しておくなんて」
俺の言葉に、美桜の琥珀色の瞳がハッと見開かれ、次いで、妖しい歓喜の色に染まった。
「……ああ、そういうこと。たいようくんは、あの子を『汚したい』んだね?」
「汚すんじゃない。俺たちの色(毒)で、染め上げるんだ。……みんな、やれるか?」
俺の合図に、膝をついていた四人がゆっくりと立ち上がった。
月乃が、顔を覆っていた手を離す。
その顔には、先ほどの『無表情』ではなく、真白の絶対零度すら溶かすような、狂おしいほどの『情熱』の仮面が張り付いていた。
「……わたし、あの子の孤独、すごくよくわかる。だから……叩き壊してあげる」
月乃が、真白に向かって一歩踏み出し、激しいタップを踏んだ。
颯太がそれに合わせ、打ち消されていた重低音を、床を直接殴りつけることで無理やり響かせる。
ドンッ! ドンッ!
「――あ……」
真白の瞳が、初めて微かに揺らいだ。
そこに、陽菜がステップを踏みながら飛び込み、真白の手を強引に取って、ターンを決める。
強制的な『陽』の接触。
「冷たい手。でも、動くでしょ? あなたは生きているんだから!」
陽菜の熱に当てられ、真白のノイズキャンセリングの波長が乱れる。
その隙間を縫って、小春の怪物の歌声が、ついに空間を切り裂いた。
「――♪ 届いて、この熱……ッ!」
そして最後。
美桜が小瓶の赤いインクを、自分の手のひらにぶちまけ、真白の純白の頬に、ベチャリと『手形』をつけた。
「……っ!?」
真白が、初めて息を呑む音を立てた。
純白のワンピースに、赤い飛沫が散る。
無音の世界に、鼓動と歌声と、感情の濁流が流れ込む。
それは、連盟が何年もかけて作り上げた『無』という名の黄金の檻が、五人の原色の暴力によって、鮮やかに破壊された瞬間だった。
「あ……あ……ぁ……」
真白の目から、大粒の涙が溢れ出した。
それは悲しみではない。初めて『感情』という絵の具をぶつけられた、圧倒的なキャパシティオーバーから来る、本能の涙だ。
「馬鹿な……! 真白が……連盟の究極の偶像が、あんな下品な色に……っ!」
九条が頭を抱えて絶叫する。
俺はゆっくりと歩み寄り、泣き崩れる真白の前にしゃがみ込み、そのインクで汚れた手を握った。
「……綺麗になったね。君はもう、ただの白じゃない」
俺が微笑みかけると、真白は俺の手を縋るように強く握り返し、震える声で初めての言葉を紡いだ。
「……もっと……。もっと、わたしに……色を、ください……」
連盟の最高傑作は、俺たちに完全に『堕とされた』。
最強の盾であった彼女が、俺たちの最も鋭い『矛』へと変わったのだ。
だが、その時。
影山先輩から渡されていた通信用のイヤホンから、悲痛な声が響いた。
『……天道くん! 逃げろ! ハッキングが……破られた! 連盟の本部から、直接お前たちを排除するための部隊が向かっている! 指揮しているのは……連盟のトップ、真白の父親だ!』
俺の背筋に、かつてない悪寒が走る。
真白を手に入れた代償は、この国のエンタメ界の「本当の支配者」を本気で怒らせることだった。
「……面白い。やってやろうじゃないか」
俺は真白を抱え上げ、五人の仲間たちと共に、鳴り響き始めた非常サイレンの中を駆け出した。
子供たちの反逆は、ついに国家レベルの巨大組織との全面戦争へとフェーズを移行する。




