第13話 旧校舎の亡霊と、孤独な千面相
影山先輩が落としていった一枚の写真。
そこには、立ち入り禁止となっている旧校舎の三階の窓に、ぼんやりとした人影が写っていた。
「……心霊写真、ではないよね?」
放課後、旧校舎の薄暗い廊下を歩きながら、小春が不安そうに俺の袖を掴んだ。
「この世界のお化けなんて、どうせ『呪ってしまって申し訳ありません』って謝ってくるインキャの幽霊だろ。気にするな」
俺が冗談めかして言うと、後ろを歩いていた颯太が「た、確かに……」と少しだけ肩の力を抜いた。
俺の両脇には、美桜と陽菜がぴたりと張り付いている。
「……たいようくん。もし本当に危ないものなら、わたしが先に壊しておくから、下がってて」
美桜がポケットの中で何かの金属音を鳴らしながら、冷たく囁く。
「美桜さん、物騒なのはやめて。太陽くんを怖がらせたくないの」
陽菜が静かにたしなめるが、美桜は鼻で笑うだけだ。
この二人の牽制劇は、すっかり日常の一部になりつつある。
俺たちが旧校舎の三階、かつて音楽室だった部屋の前に辿り着いた時だった。
――コツン。
中から、微かな物音が聞こえた。
それに続いて、複数の人間の話し声が漏れ聞こえてくる。
「……ねえ、どうして私を見ないの?」
「ご、ごめん……君が眩しすぎて、僕なんかが直視しちゃいけないと思って……」
「嘘つき。本当は、私のことなんてどうでもいいんでしょ!」
男女が言い争うような、緊迫した声。
だが、おかしい。声質は全く違うのに、呼吸のタイミングが完全に一致している。
俺はゆっくりとドアノブに手をかけ、少しだけ隙間を開けた。
夕日が差し込む埃っぽい音楽室。
そこには、色褪せたカーテンを体に巻き付けた一人の少女が立っていた。
彼女は、たった一人で、空想の相手に向かって「会話」をしていたのだ。
「……あははっ! そうよ、誰も私なんか見ちゃいない! みんな、自分が可愛いだけじゃない!」
今度は、狂気を孕んだ悪役のような甲高い声。
少女の表情が、声に合わせて次々と切り替わっていく。
泣き顔、怒り、嘲笑、そして絶望。
(……なるほど。これが写真の正体か)
彼女は、極度の視線恐怖症なのだろう。
誰かに見られることを恐れるあまり、誰も来ない旧校舎で、自分の中にある感情を「別のキャラクター」として吐き出しているのだ。
その演技力は、三歳児のお遊戯会どころか、前世で見たどんな舞台俳優よりも生々しく、心を直接抉ってくるような凄みがあった。
「……すごい。一人で何役も……」
陽菜が思わず感嘆の声を漏らした。
その声が、静寂の音楽室に響いてしまった。
ピタッ、と少女の動きが止まる。
彼女はギギギと首だけをこちらに向け、俺たちと目が合った瞬間――。
「ひっ……!? あ、あああ……っ! み、見ないで……! わたしを見ないでぇっ!」
少女はカーテンを頭から被り、床にうずくまってガタガタと激しく震え始めた。
その姿は、憑き物が落ちたように小さく、ただ怯えるだけの「普通のインキャ」に戻っていた。
俺はゆっくりと部屋に入り、彼女の前にしゃがみ込んだ。
「……ごめんね、驚かせて。俺は太陽。君の名前は?」
「……つ、月乃……。ごめんなさい、こんなところで、変なことしてて……。わたし、気持ち悪いですよね、頭がおかしいんです……っ」
月乃は、カーテンの奥から泣きじゃくるような声で答えた。
「気持ち悪くなんかない。君の演技、すごく引き込まれたよ。……まるで、魔法みたいだった」
俺の言葉に、月乃がピクッと反応した。
前世で、いじめられていた俺も、家で一人きりの時だけは、漫画の主人公になりきって台詞を呟くことがあった。
それが唯一の救いだったからだ。
だからこそ、月乃の孤独な「一人芝居」が、どれだけ血の滲むような感情の吐露なのかがわかる。
「月乃ちゃん。君は、誰かに『見てほしい』んじゃないのか?」
「ち、違います! わたしは、人に見られると……声が出なくなるんです。誰もいないから、あんなふうに動けるだけで……!」
「なら、俺が見ててあげる」
俺がそう言うと、美桜と陽菜が同時に息を呑んだ。
「俺の前でなら、どんな君になってもいい。誰も君を笑わないし、気持ち悪いなんて言わせない」
俺は月乃の被っていたカーテンをそっと捲り上げ、その涙で濡れた瞳を真っ直ぐに見つめた。
「今度の全校集会。俺たちと一緒に、あの退屈なステージを乗っ取らないか?」
月乃の瞳が、大きく見開かれる。
「……わたしなんかが、太陽くんたちと……?」
「ああ。君の『千面相』が必要なんだ。俺たちの劇の、最高のジョーカーとしてね」
月乃はしばらく震えていたが、やがて、俺の真っ直ぐな視線に引き寄せられるように、小さく、本当に小さく頷いた。
「……やります。太陽くんが……わたしを見てくれるなら」
これで役者は揃った。
美桜の衣装、颯太のリズム、小春の歌声、陽菜の華。そして、月乃の圧倒的な演技力。
俺が大学生になって「プロデューサー」として頂点に立つための、最強の初期メンバー(原石たち)。
だが、事態は俺の思惑を超えた方向へと動き出していた。
月乃を立ち上がらせた時、彼女が床に落としていたボロボロのノートの束が、パラリと開いた。
俺はそれを見て、全身の血が凍りつくのを感じた。
そこには、月乃が自分で書いたという台本のタイトルが記されていたのだ。
『光を喰らう怪物 〜サンシャインの罪〜』
「……月乃ちゃん。この台本、どうして君が……」
俺が問いかけると、月乃は怯えたように目を逸らし、震える声で答えた。
「……わたしのお母さんが、昔……サンシャイン・エージェンシーで、台本を書いていたんです。でも……あの社長に、全部奪われて……」
またしても、天王寺サキの影。
俺の母さんの輝きを奪っただけでなく、月乃の母親の言葉すらも搾取していたのだ。
「……たいようくん」
美桜が、俺の背中にそっと寄り添い、耳元で冷ややかに囁いた。
「全校集会。……ただのサプライズじゃ、済まなくなったね」
美桜の言葉通りだ。
俺たちの最初のステージは、大人たちが隠蔽してきた「過去の罪」を白日の下に晒す、復讐のショーへと変貌しようとしていた。
大人たちが支配する偽りの秩序を、俺たち子供がエンターテインメントの力で破壊する。
全校集会まで、あと三日。
史上最狂の学芸会が、幕を開けようとしていた。




