第11話 硝子のサンクチュアリと、美しき独裁者
フェスタでの勝利から数年。俺たちはついに、地元の公立小学校へと入学した。
普通の世界なら、小学校入学は新しい友達作りに心躍らせるイベントだろう。
だが、このインキャだらけの世界における「学校」とは、いかに目立たず、いかに他人のパーソナルスペースを侵さないかを競い合う、静寂の聖域だった。
「……あ、あの。名簿、一番の……相沢くんです。趣味は、壁の角を見ることです……。六年間、よろしくお願いします、申し訳ありません」
教壇に立つクラスメイトが、消え入るような声で自己紹介を終える。
続く生徒たちも同様だ。誰もが床を見つめ、自分の存在を消そうと必死になっている。
そんな澱んだ空気の中、俺はゆっくりと立ち上がった。
「……天道 太陽です。みんなと一緒に、面白いことができたらいいなと思ってます。よろしく」
俺が真っ直ぐに前を向き、爽やかに言い放った瞬間。
教室内の温度が、一気に数度上がったような錯覚に陥った。
「ひっ……!」
「な、なんて眩しい……。あんなに堂々と、自分の名前を……」
クラスメイトたちが、まるで神の啓示を受けた信者のように、一斉に俺を仰ぎ見る。
前世ではいじめっ子たちの標的だった俺の「普通」が、この世界では「王の風格」として処理される。このバグじみた感覚には、いまだに慣れない。
だが、俺の背後から放たれる「別の圧力」に、俺は背筋を凍らせた。
「……たいようくん。今、あの子と目が合ったね。三・五秒も」
隣の席に陣取った美桜が、長い前髪の隙間から、琥珀色の瞳を怪しく光らせていた。
彼女は成長するにつれ、その美貌に磨きがかかると同時に、俺に対する執着心が加速していた。
美桜は、俺の机の上に、自身がデザインした「S」の文字を象った小さな銀色のブローチを置いた。
「これ、クラスのみんなに配っておいたから。たいようくんを敬うための、聖域の証」
ふと周りを見渡すと、クラスメイト全員が、胸元にそのブローチをつけていた。
(……えっ、いつの間に?)
「……みんな、たいようくんに声をかける勇気なんてない。だから、わたしが管理してあげるの。たいようくんの時間を、無駄な雑音で汚させないために」
美桜の笑顔は、慈愛に満ちているようで、その実、このクラスを一つの「実験室」に変えようとする独裁者のそれだった。
砂場の芸術家だった彼女の才能は、今や「集団の心理をデザインする」という、極めて危険な方向へと進化しつつあった。
そんな時、教室の扉が静かに開いた。
「……遅れて、すみません。……サンシャイン・エージェンシーから、転入してきました」
現れたのは、あのフェスタで救った陽菜だった。
彼女はかつての無理な笑顔を捨て、どこか儚げで、だが芯の強さを感じさせる落ち着いた雰囲気を纏っていた。
「瀬戸 陽菜です。……太陽くんに、もう一度会いたくて、来ました」
陽菜が俺を見つめて微笑む。その瞬間、教室内には火花が散った。
「……あら。壊れたはずの偽物が、何の用かしら」
美桜が立ち上がり、陽菜の前に立ちはだかる。
「偽物じゃないわ。太陽くんに、本物の自分を見つけてもらったの。……私はもう、あなたの言いなりにはならない」
陽菜の瞳には、かつてなかった「意志」が宿っていた。
俺という太陽を巡って、二人の「ヒロイン」が小学校という閉鎖空間で衝突を始める。
そして、俺は気付いていた。
廊下の隅で、カメラを構えてこちらを盗み見ている、高学年の男子生徒の存在に。
その腕には『新聞部』の腕章。だが、その瞳に宿っているのは、純粋な好奇心ではなく、獲物を狙うスキャンダルライターのような濁った野心だった。
俺の二度目の人生、最高の青春時代。
それは、小学校入学と同時に、美しくも残酷な「派閥争い」の舞台へと変貌しようとしていた。
(……やれやれ、これじゃあプロデューサーとしての修行は、大学まで待ってくれそうにないな)
俺は内心で苦笑しながら、美桜と陽菜の間に入り、混乱の渦中へと足を踏み出した。
物語は、幼少期の無双から、より複雑な「人間関係の支配」へと加速していく。
俺が大学生になり、伝説のプロデューサーとして芸能界を揺るがすまで、あと十二年。
その伏線となる「初恋の戦争」が、今、静かに幕を開けた。




