第十話
<……暗い……暗いよぉ……怖いよぉ……>
<……誰か……誰か……誰か……助けて……>
<……怖い……怖い……怖い……怖い……怖い……怖い……>
……なんだろう、頭の中から誰かの呻く様な悲しい声が聞こえてくる。俺は夢の中で夢から目覚めるような不思議な感覚に戸惑った。
さっきまで宿屋で寝ていたのではなかっただろうか……?
意識ははっきりしているのに体の自由が利かない。何かに手足を拘束されているようだ。
目も開いているような感覚はあるのに何も見えない。ここには光がないのだろうか?
ここは一体どこだ? 頭の中で呻いているのは誰だ?
「お前は誰だ?」
俺は頭の中の声に問いかける。
<! ……誰!?>
「お前こそ人の頭の中で好き勝手しゃべっているが、誰なんだ?」
<人の頭の中でしゃべっているのはお前の方だ! あいつらに頼まれてまた僕をいじめようとしてるんだな>
状況はよく分からないが、何か勘違いされているようだ。しかし、向こうにもこちらの声は聞こえるということは分かった。
「ちょっと待て。この際どちらがどちらの頭の中でしゃべっているのかは置いておこう。状況は良く分からないが、お前は勘違いをしている。俺はお前が言う”あいつら”というのは知らんし、関係がない。そもそもこの状況でどうやってお前に危害が加えられるというんだ?」
<……酷いことしないの?>
「ああ、しない」
<……本当にしない?>
「だからしないと言っているだろう。さっきも言ったが、お前に危害を加える手段なんて俺は持っていない」
<じゃ、じゃあ僕を助けに来てくれたの!?>
「いや、残念ながらそれも違う。俺がここにいる理由は分からないが、偶然だ。ここが何処かさえもわからない。それより……お前は捕まっているのか?」
<そう……違うんだ……。うん。あいつらが美味しいお菓子を食べさせてくれるっていうから付いていったら、変なのを手足にはめられてこの闇の湖に沈められたんだ。よく分からないけど、沈めるときに『僕の力が災いになるかもしれないから、仕方が無いんだ』って言ってた>
経緯は分からないが、どうやら理不尽な理由でこの闇の湖とやらに沈められたようだ。
しかし、食べ物に釣られてほいほい付いて行くとは……。
こいつが何なのかはわからないが、話し方も少し幼い気がするしまだ子供なんだろうか?
「そうか。それは不運だったな。もし俺に力があれば助けてやりたいが、あいにく俺は何の力もないヒキニートだ」
<……ヒキニート? お前はヒキニートって言うの?>
「いや、それは名前じゃない。俺は幸太。川神幸太だ。……とにかく何にも力のない屑だって事だ」
<そうか、ヒキニートコータって言うんだね!>
くっ、こいつ分かっててやってるんじゃないだろうな……。
「コータだけでいい」
<わかった! 僕はフールリルン。よく分からないけど名前ぐらいしか思い出せないんだ……>
記憶がないのか。それとも”あいつら”とやらになにか細工をされているのだろうか?
「そうか。でも長いからフー太な」
<フータ!? なんかかわいくない……>
「何を言う!? 男らしくていいだろう」
<僕は女だ! たぶん……だけど……>
「そ、そうなのか……?」
名前以外にも性別ぐらいはわかるのだろうか? 少し自信がなさそうだが。そういえば声のトーンが男のそれよりも高いな。
でも僕とか言ってるし、誰だって男だと思うだろ。
「じゃあフー子でいいだろ」
<フーコ? うーん……まだあんまりかわいくないけどそれで我慢する>
一応の納得はしたようだ。
「フー子、さっきも言ったが俺は何の力もないから、お前を助けることはきっとできない。……すまんな」
<……ううん、コータは悪くない。ずっとずーっとこの暗闇で一人ぼっちだったから、お話できてすごくうれしい。それにコータは屑なんかじゃない。コータからはすごく温かいものを感じる。自分で気付いていないだけで、きっとなにか力があるんだよ!>
温かいものとは何だろうか……。きっとフー子なりに慰めてくれたのだろう。
不意に遠くの方から俺を呼ぶ声がする。
「……コータ、コータ。……返事が無い。ただの屍のようだ。こうなっては仕方ない。48の殺人技の1つ、くちばしドリルを額に突き刺すしか……」
おいおい、なんか物騒な発言が聞こえるぞ! 状況はよく分からんが、戻れっ俺の意識! ……あぁ、戻らねぇ!
<……コータ、どうしたの?>
「いや、ここが何処かは知らんが、急いで元の場所に戻らないといけなくなった!」
<えっ、やだよ! また一人になっちゃう……。もう一人は嫌だよ……。コータ、行かないで!>
ザクッ。
「ぎゃあぁぁぁぁぁっ!」
俺は勢いよく跳ね起きた。
すると、元の宿屋の簡素な部屋の景色が目に入る。
「やっと起きた。呼んでも反応しないから心配した」
目の前ではいつも通りの鴉の姿をした凛が、やれやれとばかりに首を横に振っている。
毎度毎度、鳥の癖に器用な真似しやがって。
しかし、やはりさっきまでのやり取りは夢だったのだろうか? 話した内容がやけに鮮明に思い出される。
「お前はもっと穏やかな起し方ができんのか!」
額からちょっと血が滲んでるじゃねぇか……。
「コータがいつまでたっても起きないから悪い。待ち合わせに遅れて、エステアに燃やされてもいいなら間抜け面を晒したまま寝てればいい」
「待ち合わせ……? あ!」
やばい、すっかり寝入ってしまったみたいだが、時間はまだ大丈夫なんだろうか?
「ようやく思い出した。これだから鳥頭は……。時間はこれから急いで支度すれば間に合うはず。さっき窓から飛んで時間を確認してきた。たぶんだけど、後30分くらいはあるはず」
30分か……すぐ出れば間に合うだろうが、朝食をとっている時間はなさそうだな。
くそぅ、楽しみにしてたのに昨日の夕食も食べられなかったな。
俺はそんなことを考えながら急いで支度を済ませ、凛を肩に乗せると階段を慌しく降りる。
「おや、あんた今起きたのかい? 昨日はずいぶん深く眠ってたみたいだから、少し迷ったけどそのままにしたんだ。今朝も慌ててるみたいだけどもう出て行くのかい?」
そう言って、女将さんが食堂の奥にある調理場から顔を出す。
「あ、昨日はごめんなさい! 俺も楽しみにしてたんですけど、思ったより疲れちゃってたみたいで。今朝も待ち合わせに遅れそうなんです……」
「ああ、気にしなくっていいよ。疲れが取れたならそれが一番だ。ちょっと待ってな」
女将さんはそういって調理場に引っ込むと少し経ってからまた現れた。何やら手には小さな包みを持っているようだ。
「良かったらこれを持っていきな。昨日から何も食べてないだろう?」
どうやら軽食を包んでくれたようだ。ありがたい。
「あ、ありがとうございます。」
そういって包みを受け取り、宿の代金を支払う。部屋は質素だったが、疲れはしっかり取れたようだ。
「はいよ! よかったら食事だけでもいいから、また来とくれよ」
「はい! また来ます」
そういって俺は宿を後にした。
待ち合わせ場所まで急いで向かうと、門のところに制服姿のリーザとエステアの姿が見えた。
待ち合わせの時間にはまだ少しあったが、待たせてしまったようだ。走って二人の元に駆け寄る。
「ごめん、お待たせ」
「遅いわよ。女の子を待たせるなんて屑以下の所業ね」
「もう、エステア。あなた朝からそわそわして、何度も鏡を見直してたじゃない。私達も結構ぎりぎりだったわよ。コータ、私達も今来たところだから気にしないで」
リーザが笑いながら答える。朝から笑顔が眩しい。
「べ、別にこいつに合うから鏡を見てたわけじゃないわよ! いつも私は身だしなみに気を使ってるんだから! ……なによ? 燃やされたいの!?」
「いえ、何でもありません!」
エステアと目が合って何故か怒られた。
「先に私達は先生に面会するための手続きをしてくるね。今日は学園が休みだから少し準備がいるの。だから、悪いんだけど準備が整うまでコータは少し広場で待っててもらえないかな?」
「ああ、わかった」
「あんた、肩に鳥なんて乗っけてるしただでさえ目立つんだから、大人しくしてなさいよ!」
「じゃあ、そんなに時間はかからないと思うけど、急いで準備してくるから少しだけ待っててね」
そう言って二人は校舎の中に入っていった。
二人を待つ間ボーっと立っているのも疲れるので、俺は広場にあるベンチに腰掛けた。先程リーザが学園は休みだと言っていたが、ちらほら生徒が広場を通過していく。寮に住んでいる生徒達だろうか?
エステアにもらった学園の制服のローブを今も上着として羽織っているが、やはり凛が目立つのか、かなりチラチラ見られているようだ。
そんなことを考えつつも空腹に耐え切れず、今朝宿の女将さんにもらった包みを開く。ずっと何も食べてないのでお腹がずっと鳴りっぱなしだ。中身はどうやら野菜や肉をパンの様なもので挟んだ物のようだ。
女将さんに感謝しながら、かぶりつく。すると香辛料の香りが口の中に広がり、野菜のシャキシャキとした歯ごたえが気持ちいい。そして最後に肉が存在を主張してくる。つまりとても美味しい。
凛も頭を突いてきて私の分もよこせと主張するので、千切って口まで持っていってやると、ぱくりと口に放り込み、飲み込む。とても満足そうだ。
空腹もあり、一心不乱に食べているとあっという間に食べ終えてしまった。リーザたちの準備はもう少しかかるのだろうか?
周囲からの目線が気になってそわそわしていると、不意に声がかかる。
「おい、貴様!」
「ひっ、お、俺のことですか……?」
急に高圧的な声をかけられて、嫌な感覚がじわりじわりと記憶の底から這い上がってくる。辺りを見回したが、他に該当しそうな人物は残念ながらいないようだった。
「そうだ。不気味な鳥を連れているお前のことだ! お前みたいな汚らしい間抜け面が、なぜリーザさんと仲良く話しをしている!? どんな汚い嘘で取り入った?」
先ほどまでのリーザやエステアとのやり取りを見ていたのだろうか?
金髪で整った顔立ちの少年が、顔を歪ませこちらを睨んでいた。ここの制服を着ているので、どうやらここの生徒のようだ。
こいつの取り巻きだろうか。脇に二人、手下のようなやつらを従えている。
「えっ、い、いや、……リーザにはモンスターに襲われているところを助けてもらったんですけど……」
「リーザだと! リーザさんはお前みたいな汚らわしいやつが呼び捨てしていい存在ではない! どうせモンスターに襲われていたというのも、リーザさんに近寄るためにお前が巧妙に仕組んだんだろう。貴様の様な最低の屑は、泥水をすすりながら羽虫にたかられる人生がお似合いだ!」
この人は何を言っているんだろう。リーザと仲良くしているのが気に入らないのだろうか?
そういえばエステアがリーザには取り巻きのような連中がいると言っていたのを思い出す。
「おい、貴様! 何か言ったらどうなんだ!?」
「あ、はい。……すみません」
状況がうまく飲み込めず、思考が固まっている。俺は元の世界であった同じような場面を思い出し、嫌な汗が背中を伝うのを感じる。
先程から心臓が煩いほどに鼓動を打つ音が聞こえる。
「貴様、俺を馬鹿にしているのか!? ……貴様は痛い思いをしないと分からないようだな。おい、こいつを裏に連れて行くぞ! ここでは目立つからな」
そういって金髪は、俺の腕をつかみ無理やり立ち上がらせると、校舎の裏に連れて行く。
校舎の裏というのは、どんな世界でも共通の役割を持つ場所なのだろうか? 今から受けるであろう暴力の数々を想像して足が震える。
いつもそうだ、俺が何をしたというのだろう。
「ここまでくれば目撃される心配もないな。おい、俺が魔法で遊ぶために少し弱らせておけ」
「はい、カーマン様」
カーマンというのがこの少年の名前だろうか。取り巻きがカーマンの声に答えてこちらに向かってくる。
「悪く思うなよっ」
「ぐぅっ」
腹をいきなり殴られた。俺はなす統べなくひざからくず折れる。
「おいおい、もう立てないのか。まだまだこれからだぞ」
「がっ」
今度は顔を蹴られる。とっさに顔を両手で庇うが、衝撃で地面に倒れてしまった。
倒れた勢いで凛が肩から振り落とされる。
俺は早々に戦意を喪失し、体を縮めてうずくまり震えることしかできなかった。
「なんだ、情けないやつだな。やっぱりこんなやつはリーザさんには相応しくない。お前もそう思うだろう?」
カーマンは嫌な笑いの張り付いた顔を俺に向け、こちらにゆっくりと近づいてくる。
「お、俺は、別にリーザとそういう仲じゃない」
「だから、呼び捨てにするなと言っているだろう!」
「ごぼっ……うう……」
今度はカーマンから腹を蹴り上げられる。
何で俺はいつもこうなるのだろう。俺が悪いのだろうか?
「コータ、ごめんなさい。もう我慢できない」
不意に凛の声がしたかと思うと、光に包まれ少女の姿に戻る凛が見えた。
「な、なんだ!? ……貴様、召喚士だったのか! おい、お前ら、そこの鳥女を痛めつけろ。怪しい術を使うかもしれないから気をつけろよ」
あくまで自分は危険に近寄りたくないのか、カーマンは取り巻きに命令を飛ばす。
取り巻き二人が凛に襲い掛かる。
「許さない」
凛は取り巻きの一人に素早い動きで一気に踏み込んで近づくと、少し身を屈めた体勢から相手の顎に向かって掌底突きを繰り出す。
「ごあっ」
そして相手の顔が跳ね上がったところで、胴体に向かって回し蹴りを放つ。
「ごぼっ」
相手は2m程吹き飛び意識を失ったのか動かなくなった。
「次はお前」
そういうと凛は素早い踏み込みでもう一人の取り巻きに接近する。
「く、くるなぁ!」
凛は、完全に戦意を喪失している取り巻きに向かって、先ほどと同じように掌底突きを放つ。
「ぐあっ」
そして先ほどのリプレイのように相手の胴体に回し蹴りを放とうと体を捻る。
そのとき不意に、カーマンの魔法を唱えている姿が視界に入った。
「凛、あぶない!」
「!?」
「ロックショット!」
カーマンの突き出された両手から高速で岩が打ち出される。
「ぐっ」
不意を突かれた凛が、カーマンの魔法を横腹にもろに食らってこちらに吹き飛んで来る。
そして、吹き飛ばされてぐったりと横たわった凛を再び光が包み込んだかと思うと、凛が鳥の姿に戻っていた。
俺は這いずりながら凛の元に向かう。
「……コー……タ、ごめん……なさい」
「凛! 大丈夫か!?」
弱ってはいるものの、意識はあるようだった。
「ふぅ、なかなか面白いことをしてくれるじゃないか? ええっ!?」
そういってカーマンが凛を蹴り飛ばそうと足を振り上げたので、俺は凛を自分の方へ抱き込み、体を丸めた。
「ぐぅっ」
「なんだ? 情けないお前でもペットはそんなに大事なのか?」
そういってカーマンは何度も俺の体を蹴り上げる。
俺は痛みで何も考えられず、ただうずくまって嵐が通り過ぎるのをひたすらに待つことしかできなかった。
すると、不意に左手のバングルが熱くなるのを感じる。今度は昨日の夜とは違い、燃えるように熱い。
しかし、昨日も変な夢を見ただけで結局何も起きはしなかった。
お前もすごい道具なんだったら助けてくれよ! こいつ……凛だけでもいいから! なぁ! ……お願い……だから。
俺は心の中で強く叫んだ。
「ふん、強情な奴だな。そこまでそのペットが大事なのか? なら俺があの世に送ってやろう。そうすればもうリーザさんに近付こうなどという気も起きなくなるだろう」
そう言って俺から凛を奪おうとするカーマン。
「や、やめろ! やめろおぉぉぉぉ!」
俺は今残っている力の限り叫び、抵抗する。
すると、バングルが呼応するかのように眩い光を放ち始めた。
「な、なんだ!? め、目が……」
俺は不思議とこの光に温かなものを感じた。
光は尚も加速度的に強さを増していく。するとバングルの向こう側に何かの存在を感じる。
「……ータ、コータ! コータなんだね? 僕、コータの叫びを感じたよ。痛いよ、怖いよって。助けてくれって。コータも僕と同じだったんだね。でも、もう大丈夫。さあ、僕の名前を呼んで」
なんだろう、聞き覚えのある声がする。俺は夢の中で聞いた名を、頭に浮かんだ言葉と共に叫ぶ。
「遠くに在りし、我が魂と寄り添うものよ、我が呼び声に答えよ! フールリルン!」
そう叫ぶと、バングルの中で繋がっていた存在が、この世界に確かな質量を持って現れる。
「また会えたね、コータ」
光が収まると同時に目の前に現れたのは、青白く輝く毛並みを持った、美しく、小さな獣だった。




