08
白い紙にはなにやら複雑な紋様が描かれている。両端に漢字の羅列があるけれど、どう読むのかはわからない。
「それは?」
「霊符だ。結界を張るためにかなり霊力を使ってしまったからな。こいつには、予備の霊力を入れてある」
先輩は額にそれを貼り付けた。すると、霊符はまるで水に溶けるように小さくなり、消えてしまった。
「……ふうっ」
なんだか一服したあとのお父さんみたいだ。でもタバコとは違い、霊力を吸った影響か顔色が少し良くなったように見える。
「あの、あいつらやっつけたら終わりじゃないんですか」
「ああ。妖魔領域というのは形成するために莫大な妖力を必要とする。つまり、これが展開されている時点で少なくともそれが可能な高位の霊体が近くに潜んでいるということだ」
「高位……玉梓みたいな、強い妖怪がいるってことですよね……」
「仮に術者が彼女と同程度の霊体だとしたら、お手上げだがな」
本郷先輩は失笑した。二枚目の霊符を取り出し、同じように額へ貼り付ける。
やっぱり結界術って、そんなに消耗するんだ。私の都合で用意してくれ、なんてお願いしたのが申し訳なくなってくる。
「もう動けそう?」
スケルトンを撃破して戻ってきた真夏が尋ねた。あんなに速い動きをしたのに息ひとつ切らしていない。私が安否を訊くと、これくらいなんともないよ、と流した。
「全開ではないが、問題はない。それより、他に霊体は?」
「タマによると、ここの三階にもう二体。それからグラウンドと体育館に三体ずつ」
「全部で十か……放課後の遅い時間で残っている人間が少ないのが幸いだな。これならなんとかなるかもしれん」
「どうしよっか。私が三体ずつのほう、やりにいく?」
「そうしてくれ。旧校舎は俺が片付けておく」
「おっけー、じゃあ弥生ちゃん。剛から離れちゃダメだよ。約束ね」
真夏はそう言い残し、玄関口のほうへいってしまった。場所がグラウンドと体育館ということは、戻ってくるまでにはそれなりに時間がかかるだろう。
「心配するな、塚貝。妖狐がついている以上、依宮にとってはあの程度の霊体など朝飯前だ。依宮の言った通り、俺について来ればいい」
「はい、よろしくお願いします」
───
旧校舎は現在ほとんど使われていないこともあり、残っていたのはほとんど教師だった。道すがら出会った先生たちは口々に、「おや、見回りかな。生徒会の務め、ご苦労さん」と本郷先輩に労いの言葉をかけた。私のことを訝しむ人もいたけれど、先輩が、「ちょっとした手伝いをしてもらってます」と説明すると、すぐに納得した顔になった。
おかげで、この時間に旧校舎を歩いていても誰にも不審には思われなかった。
「霊符って……武器にもなるんですね」
胸骨に白い紙が突き刺さったスケルトン二体を見て、私は感心した。壁にもたれるように四肢を投げ出している彼らはぴくりとも動かない。
「こんなのが通用する霊体のほうが稀だ。こいつらはただの前座に過ぎん」
本郷先輩は油断なく周囲を警戒していた。妖魔領域が顕在な以上は危険な状態には変わりないからだという。その警戒網が引っかかったのは、二階へ繋がる階段の方向だった。
「ただいまー」
上がってきたのが新手のスケルトンではなく真夏だとわかると、本郷先輩は安堵の息を吐いた。
というか、早くない? グラウンドと体育館って、旧校舎からだと真反対にあるはずなのに、もう戻ってきたの?
「首尾は?」
「上々。サクッと倒してきたよ」
「ならいい。妖狐はなんといっている?」
「それらしいやつはまだ見当たらないって。領域の妖力に溶け込んでて、気配が追えないみたい」
「手下を使役し自らは潜伏するタイプか……面倒だな。夜中までは付き合いきれんぞ」
先輩は舌を打ち鳴らし、少し思慮したあと、こう提案した。
「依宮。妖狐の妖魔領域で今張られている領域ごと上書きする、というのはどうだろう」
「んー、領域を展開するのはやれなくもないとは思うけど、それだと術者が入れ替わるだけになっちゃうんじゃないかな。タマが展開したとしても、妖魔領域なのは結局変わらないもん」
「そうか……まあ、そうだな」
「ねえ、真夏が結界つくればいいんじゃない? 妖魔領域じゃなくて、結界ならいいんでしょ?」
これは、私が先程から考えていた案だった。
生徒会室にいたとき、先輩は妖魔領域の侵食に気づけなかった。なら、結界なら領域を防げるんじゃないか。そう思った。しかし、当の真夏はむつかしい顔で申し訳なさそうに首をかいた。
「それができれば一番良いんだけど……ごめんね。私、結界術って苦手で。だから剛に頼んだんだよね」
「あ……そうなんだ」
前提が崩れたのは残念だけど、わざわざ先輩に頼んだ理由が分かったので、すっきりもした。
「いずれにしろ、やることはひとつだな。領域の主を探し出し、叩く。今はこれしかない」
「スケルトン全部やっつけたから、出てくるんじゃないですか?」
「そう単純な話でもない。まだ取り巻きのストックを残していることも、充分あり得る。それに以前祓った霊体などは、三日三晩姿を現さなかった」
なにそれ。遠距離主体で判定勝ちを狙うチキンプレイヤーそのまんまじゃん。そんな面倒くさい相手、私なら即ブッチしてマッチングし直しだ。
私がそんなことを考えていると、真夏の耳と尾が空気に溶けるように消えて、代わりに玉梓が姿を現した。彼女は倒れているスケルトンを踏み台にして窓のクレセント錠を引き下げ、夕刻の風を感じるように、開放した窓のへりの部分に座った。
「タマ? どうかした?」
「……まさか」
本郷先輩が息を呑む。
玉梓は風に消え入りそうな細い声で、呟いた。
「……見つけた」
校舎の向こう側を見据えたまま、彼女は静かに呟いた。
「もうひとつのわたし」




