07
「あれ、切れてる」
さっきまで点いていたはずのケトルのランプが消えていた。不良品だったのかな、と私が疑ったのと同時。
玉梓の狐耳がぴくん、と大きく跳ねた。
「この気配……」
彼女の両眼が見開かれる。窓際に駆け寄り、カーテンを勢い任せに開いた。空は夕暮れが迫っている。厚い雲が太陽を覆い込もうとしていた。
「どうしたの、タマ」
真夏が近寄ると、玉梓はかたく拳を握り、唇を歪ませた。苦虫を噛み潰したような、険しい表情をしていた。
「もうお喋りの時間は終わりだ。来い、真夏」
突然、彼女は真夏の手を引いて走り出した。廊下へと続く生徒会の扉へ一直線に駆け抜けた。
「待てっ。お前のその姿は結界を抜ければ維持でき……」
本郷先輩が言い切るよりも早く、スライドドアをこじ開けた玉梓は廊下へと踊り出た。
しかしその姿は未だ、私にもしっかりと見えている。
「な、何故だ。結界の範囲はこの部屋だけ。何故その域から出たのに姿を維持できるんだ」
狼狽える本郷先輩に、玉梓がぶっきらぼうな口調で告げた。
「いいからおまえたちも来い。さっさとしないと間に合わなくなるぞ」
躊躇う暇はなかった。私は言われるがまま、先輩と共に生徒会室を出た。でも、何かが大きく変わったようには見えない。生徒会室を出たのに玉梓の姿が見えるのには違和感はあるけれど。
しかし、本郷先輩は違った。
「ま、まさか。これは……」
廊下に出た、その瞬間。
先輩の顔はみるみるうちに驚愕の色に染まっていった。声が震え、身体が小刻みに揺れている。
私はその変化に戸惑うばかりだ。どういうこと。一体何が起きてるの?
「そう、妖魔領域だ」
玉梓は静かに言い放った。
「馬鹿な、妖魔領域だと……!」
「結界の内側にいて気づけなかったろ。呑気に茶を飲んでる場合か」
「それは……だが、しかし……」
信じられない、といった表情の先輩に、真夏が近寄ってきた。
「こーら」
ぺちん、と真夏の両手が本郷先輩の頬に重なる。強張っていた表情が一転、魂が抜け出たみたいな顔になった。
「アセリと油断は禁物、だよ。とにかく原因を突き止めなくちゃ。でしょ?」
「……そうだな、すまん。取り乱した」
目頭を押さえて一息つく本郷先輩。その眼には失っていたはずの活力が戻っていた。
やるじゃん、真夏。一発で先輩を落ち着かせるなんて。
「おい、なにやってるんだ。早くしろ。わたしは別に、どこの誰が死んだって構わないんだからな」
玉梓が強い口調で催促した。私は、その言葉が軽口や冗談のようには思えなかった。本気で急かしているのが声色から伝わる。
「わたしについてこい。もうこの建物に入ってきてるぞ」
「位置がわかるのか?」
「なんとなくだけどな」
「それでも充分だ。急ぐぞ。依宮、しばらくお前に任せてしまうが、なんとか持ち堪えてくれ」
「りょうかい。じゃあ、いこっか」
真夏を連れて再び走り出した玉梓。それを追って本郷先輩が、続いて私が生徒会室をあとにした。
生徒会室があるのは、現校舎の三階。迷いなく旧校舎へと続く連絡橋を渡っていく最中、私は隣を並走する本郷先輩に訊いてみた。
「先輩、ようまりょういきってなんなんですか」
「基本的には、俺が生成した結界と同じようなものだ」
向かいの校舎に飛び込んでから、左に突き抜けたところに階段がある。私たちは豆電球で照らされた暗い道を、滑るように降りていった。
「だが、妖魔領域は結界とは性質が違う。その内部は霊力ではなく妖力で満たされている。重要なのは、領域内にいる霊体は実体を持ち、霊力を持たない一般人にも干渉出来てしまうことだ」
「だから、玉梓が……?」
「違う。お前に妖狐がまだ視えるのは、依宮が渡した霊力が残っているからだ。結界だろうと領域だろうと、それは変わらない」
「ええと、じゃあ何が不味いんですか?」
「霊力を持たない人間なら、どちらにせよ霊視は出来ない。だが領域の内部では霊体に触れることは出来る。この意味がわかるか」
私はその問いかけに必死で考えを巡らせた。しかし、答えが出るより早く、一階の廊下まで辿り着いた。先頭を行く玉梓が背中を壁にくっつけ、息を潜める。
「……いた」
階段の影に隠れ、私たちはそっと廊下のほうを覗いた。
廊下の中央辺り、旧化学準備室。その前を人骨が、忍ぶように歩いていた。腰の辺りをボロボロの布切れで巻いている。
しかも、二体。
嘘……スケルトン? なんであんなのがいるの?
そんな私の疑念は、次の瞬間に朝露のように吹き飛んだ。
骨人間の前を行っていたニット帽を被った男性に突如、彼らは音もなく殴りかかった。突き倒し、仰向けになった彼に容赦なく蹴撃を加えている。
「……あれが、答えだ。基本的に霊能力者以外はああやって、見えないなにかに襲われる。ポルターガイストといえば聞こえはいいが、その実体はああして何もわからないうちになぶり殺しに遭うんだ」
自分の顔から血の気が引いていくのがわかる。私はスケルトンが見えているけど、見えない人たちからしたら、なにもないのに殴られたり蹴られたりされているわけで。突然そんなことが起きたら、本当に恐怖でしかない。
「……依宮」
「はーい。タマ、お願い」
「……ふん」
玉梓の姿はそっぽを向くと、煙に巻かれたように消えてしまった。それと同時に真夏の頭頂部に耳が、腰のあたりから尾が生えた。巫女服じゃないけど、昨日見たのと同じだ。
真夏は素早く階段の影から飛び出すと、一瞬でスケルトンたちに肉薄した。未だリンチを続ける奴らの頭蓋を掴み、反応する暇すら与えず、思い切り床に叩きつけた。
ぐしゃり。
たったそれだけで、骨人間たちはバラバラに崩れ、起き上がる素振りすら見せなかった。
「す、すごい……」
大人を簡単に足蹴にしていたスケルトンを、あんなにあっさりやっつけるなんて。タマ、ううん玉梓は本当に、強大な力を持つ大妖怪なんだ。
「安心するのはまだ早いぞ。妖魔領域の本当の恐ろしさはここからだ」
本郷先輩が懐から白い紙切れを取り出した。




