06
不思議と、その言葉は耳に残った。ライブハウスで一曲が終わったあとの余韻のような、胸に響く感覚がある。
私は繰り返し、その意味を吟味した。
真っ先に思い浮かんだのは、あの黒い怨霊だ。あれは最悪。ほんとに気色悪いやつだった。たしかにあんなのが日常的に視えてしまうなら嫌だな、と思う。でも、玉梓みたいに信じられないほど可愛くて、不思議な存在がいるなら、視えるのも悪くない。
だから私はこう切り返した。
「わかってるよ。でも、私は見えてるほうがいいかな」
生徒会室に静寂が流れた。それまで耳に届いていたブラスバンド部の演奏が示し合わせたかのように、びたりと止んだ。
すると、それまで頑なに口をつぐんでいた本郷先輩が意見した。
「いや、あながちそうとは言い切れないがな」
「───え?」
「なんでもない。こっちの話だ」
先輩は私の疑問を遮るかのように、素早く目線を逸らしてしまった。
なんで今の、濁したんだろう。そう尋ねようとした、そのとき。俯く真夏の顔が、いつものゆるふわスマイルではなく神妙な面持ちになっているのに気がついた。
「……真夏?」
「ん、なあに?」
「いや、その。真夏はどう? 今の話」
「ええと? ごめんね、タマが愚痴ってたから聞いてないや」
「そっか。いいよ、大丈夫」
流石にそれ以上言及することは出来なかった。シャツのボタンをかけ違えたときのような、途轍もない違和感が残った。
「でさあ、聞いてよ。タマったらね……」
真夏が喋ろうとすると下から小さな手が伸びてきて、まったをかけた。口に戸は立てられないというけれど、物理的に蓋をする。
「言うな。言ったらあいつ、燃やすからな」
有無を言わせぬ口調だった。これは流石に聞き捨てならない。もちろん悪いのは私だけど、何事もいいかたというものがある。
「燃やすって……そんな物騒なこと言わないでよ」
「いや、なにもおかしくはない。むしろ塚貝。危ういのはおまえのほうだ」
本郷先輩が口を挟んだ。
「こんななりをしていても、彼女は妖狐だ。非常に強大な力を持った大妖怪だぞ。本来ならあんなことをすれば、焼き殺されていても不思議じゃない」
「……ふーん。わかってるやつがいるじゃないか」
玉梓は本郷先輩に興味を持ったらしく、紅の瞳が彼の姿を映し出す。
「依宮の接し方に勘違いするのも無理はないが、認識を改めたほうがいい。むしろ依宮が特別なんだ。依代という事実を差し引いてもな」
そうだそうだ、と憤慨する玉梓を尻目に、私は授業でこの問題を解け、といわれたときのようにゆっくりと挙手した。
「あの……依代って、真夏がですか?」
「そうだ。依宮、妖狐との関係をどう説明した?」
「私の中にいる、ってくらいかな」
「それでは不足し過ぎだ。俺が補足してやろう。まず、依宮はこの妖狐と身体を共有している状態だ。ここまではいいな?」
はい、と私は短く首肯した。
「俺たち霊能関係者はこういう別の魂を宿した者のことを総じて双魂と呼んでいる。依宮は数少ない双魂のなかでも最も理想的な、共生関係にある人物だ」
「共生関係、ですか?」
「そうだ。双魂には大きく分けて三つの形がある。霊が宿主を喰らうか。宿主が霊を縛るか。あるいは、互いに尊重するかだ」
本郷先輩は指を立てながら説明し、そして真夏のほうを向いた。その鋭い目つきは先日のとっつきにくい印象からは考えられないほど、優しいものになっている。
「依宮が該当するのは最後の例だ。だが、そのパターンはここ数百年で片手で数える程度しか確認されていない。ましてやこの妖狐は九尾。最高位の霊体が協力関係にあるなど、前代未聞だ」
「えっ!? タマ……じゃなくて、玉梓って九尾の狐なの?」
私でも知っている。超がつくほど有名な妖怪だ。
先輩が大妖怪、といったときは疑問符が浮かんだけど、それなら納得できる。
「……まあ、一応な」
玉梓はふっと視線を落とした。
その表情は、なにか思いつめているようだった。
「わたしは人間たちが勝手に奉るような存在じゃない」
「ふふん。タマは小っちゃくても、すっごく強い妖怪なんだから」
真夏が頭を撫でると、玉梓の尻尾が小刻みに揺れた。
「……ふん。にしては敬意が足りないんだよ、おまえは」
ぷっくりと頬を膨らませる玉梓。改めて観察してみてもこの子が九尾だなんて、ちょっと信じられない。そしてこんな真夏だからこそ、誰もが知るような大妖怪ともこんなふうに笑い合えるんだろう。
私が全く知らない一面。今日は本当に驚くようなことばかりだ。
「……さて、そろそろいい頃合いだ。生徒会室の鍵を返却しなければならない。名残惜しいとは思うが、帰り支度をしてくれ」
「剛はタマとお喋りしなくていいの?」
「俺はいい。知恵のある霊体とは極力関わるな、というのが師匠の教えだからな」
「ガンコだなあ。あ、そうだ。喉渇いたからお茶貰っていい? 生徒会って部屋にケトル置いてるでしょ」
「ハーブティーしかないが、それでもいいか」
「私はむしろ、生徒会室にハーブティー置いてあるのが意外だわ……」
「現会長の趣味だ。待ってろ、湯を沸かす」
本郷先輩は窓際に置かれていたグレーのケトルを手に取り、二リットル入りペットボトルに残っていた飲料水を中に注ぐ。私はその様子を遠巻きに眺めていた。
充実した時間だった。私の知らなかった世界が、一気に広がった気がする。玉梓に嫌われたまま帰ることになるのは悔しいけど。
私はパイプ椅子を机に寄せ、制鞄を肩に下げた。
かちっ。
先輩がケトルの電源を入れる音がした。
───でも、このときの私は知らなかった。
玉梓の口にした、あの言葉。
その本当の意味を、私はこの後、思い知ることになる。




