04
その意味を、私はすぐには捉えきれなかった。
妖狐。狐の妖怪。妖怪ものでは引っ張りだこのメジャーな存在。それが、目の前のちょっと不思議な女の子の中にいるというのだ。
「……それ、平気なの?」
「なにが?」
「いや、昨日の、黒いスライムみたいなのをずっと感じてるってことでしょ」
すると、真夏の瞳が大きくなった。一瞬、きょとんとした顔になり、吹き出そうとするのに堪えられなくなると、お腹を抱えて笑い出した。
「あはは、なにそれ。面白すぎ」
あれ、思ってたリアクションと違う。もっと深刻な話なのかと思ったのに。
「いや、だってさ。弥生ちゃんがそんなふうに受け止めてるとは思ってなくて……」
また独り言。いや、「タマ」と話してるのか。こっちはどんなこと話してるのか全然わからないから、もどかしい。
ひとしきり笑った真夏はそっと目尻を拭った。そこまで笑わなくていいじゃんか。
「タマはあんなんじゃないよ。もっと可愛いし」
「かわ……いいんだ」
ちょっと想像しにくい。
私が知ってる妖狐って、なんだかお高くとまってそうなプライドの高いキャラクターで、可愛さが先に来るような存在ではない。真夏が言うんだから、そうなんだろうけど。
「えー、ほんとに可愛いのに」
「またなにか言ってる?」
「うん。可愛いとか言うなってさ」
「え、怒ってるの?」
「照れてるだけだよ。……あー、はいはい。わかってるってば」
今は抗議でもしてるんだろう。こうしてみると、結構わかりやすい。姿も声もなんにもわからないけど、そこにいるってことだけは伝わる。不思議だ。
真夏の中に、誰かがいる。その誰かを、私はどうしても見てみたくなった。いったいタマってどんなやつなんだろう。
「ねえ、私もタマと喋りたいんだけど、どうしたらいい?」
「タマと?」
真夏の眉がくっと歪んだ。こういう提案は予想してなかったのかな。
「難しいけど、やれなくはないかな。でも今は無理」
「筆談でもいいよ、全然」
「実体ないからそういうのはできないかなー。私の頭に直接声が響くかんじ」
「……それ、大丈夫なの? 姿もないのに、そんなのでタマがどんなやつなのかわかるの」
「わかるよ。タマのことを考えると、どんな顔してるかだいたいわかる。ちなみに今はちょっと拗ねちゃってるかな」
なにそれ。曖昧すぎない?
真夏はもともとそういうきらいがあるけど、こういうときになあなあで済まされるのはすごいむかつく。
「ならどうするの。方法、あるんでしょ」
「一応ね。結界の中なら弥生ちゃんにも霊視ができるようにしてあげられるよ」
「結界?」
「昨日、剛がぶつぶつやってたでしょ」
はっとした。そういえば、真夏のあの姿を見たのは本郷先輩がなにがしかの言葉を紡いでからのことだった。
「結界の内側って元の世界とはちょっと違ってて、霊力で溢れてるんだ。だから肉体のない妖力の塊みたいな状態でも、少しは姿を保てるってわけ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。霊力とか妖力とか、私そんな概念知らないし」
「まあ、オカルトパワーとでも思っててよ。大元の意味は大して変わらないから」
指を立てながら軽くあしらい、真夏は胸ポケットからスマートフォンを取り出した。
「とりあえず、まずは結界を用意しなきゃね。私から剛に頼んでみるから、今日の放課後空けといて」
「いや、私はそれでいいけど……先輩の都合とか聞かなくていいの?」
先日の事を振り返ると、彼はあの前後に多量の汗を流していた。もしかして、結界云々はかなりの重労働なのではないだろうか。それに、昨日が初対面である私の都合を快く引き受けてくれるとは思えない。
「へーきへーき。なんとかなるって」
今どきの子らしく素早いフリック入力をしながら彼女が二つ返事をしたとき、予鈴のチャイムが鳴り響いた。
私たちの教室は三階でしかもプレハブの向かい側、つまり真反対に位置する。そのため、直後に慌てて帰還するはめになった。
───
待ち合わせ場所の生徒会室は厳かな雰囲気に包まれていた。薄いレースのカーテンの向こう側では、陸上部がトラックを周回しており、遠くからはブラスバンド部のトロンボーンやクラリネットが優雅な音色を奏でている。
それら青春の音を背景に、現在の部屋の主である本郷先輩は口をへの字に曲げてパイプ椅子に座っていた。
「断る」
それがひとしきり説明を受けた彼の第一声だった。
どうやら真夏はちょっとした相談がある、としか伝えていなかったらしく、私がタマと話したいがために結界をお願いしたいと要件を提示した途端、みるみるうちに顔を曇らせたのである。
「霊能力は他人に見せびらかすようなものでもないし、ましてや私利私欲のために使うなど論外だ」
本郷先輩は片目をつむり、左手を壁にするように突き出してぴしゃりと断言した。なんとなくこうなるんじゃないかと危惧してはいたけど、こうも予想通りの反応だともはや芸術の域だ。
「珍しく相談したいことがあるというから、いったいどんな内容かと思えば……依宮。どういうつもりだ、おまえ」
どうするの、真夏。なんとかなりそうにないんだけど。
私は隣に座るちゃらんぽらんにアイコンタクトを送った。しかし、その表情はいつもとなんら変わらない。余裕のある微笑を浮かべている。
真夏はそっと立ち上がると、ゆったりとした動作で本郷先輩のほうへ距離を縮めていった。
え、ほんとになにするつもり?
「ねえ、剛」
「なんだ?」
「あなたはよくわかってると思うけど、私、霊能関係で頼りにできるのって今のところ剛だけなの。だからね……」
「待て。ちょっと待て。……おい?」
なんだか真夏にいじらしい雰囲気が流れている。いや、容姿スタイル共に整った彼女が後ろ手を組みながら半眼で迫っていく様子は、いじらしいを通り越して淫靡ですらある。
まさかハニートラップでもやろうっていうの。そりゃ真夏がやるんならなびく男子は多いだろうけど……
堅物代表みたいな先輩に効果あるの?
「……依宮、依宮っ。ち、近……」
椅子から大きくのけぞって抵抗する先輩。真夏はもう、ほんの少し手を伸ばせば触れられるところまで接近していた。小首を傾げながらの上目遣い。
うわあ、破壊力がえげつない。もし相手が教室の隅っこで黙々と文庫本を読むようなぼっち男子だったら、間違いなく瞬殺だ。
というか、あれ? 先輩めっちゃたじたじじゃん。もしかして、女の子苦手なタイプだったの?
私が彼の意外な反応に内心驚いている最中、真夏はそっと顔を近づけて、耳元でなにか囁いた。背後に立っていた私は、そのときの表情までは窺えなかった。
すると、それまでかたく閉じていた彼の両目がはっと見開かれた。真剣な目になっていた。ただ、それは一瞬だけ。すぐにシャッターを降ろすように、再び目蓋は閉じられた。
「いい? 剛」
さっと身を翻し、真夏は向かい席の空いていた椅子に腰掛けた。しばらくの間、沈黙が流れた。生徒会室はもとの静けさを取り戻した。
腕を組み、指先で眉間を叩き、数十秒ほど。本郷先輩が膝を叩いた。
「……わかった。協力しよう」
「……ええっ!?」
思わず大声をあげてしまった。あんなにきっぱり断ったのに、こんな劇的な方向転換があるなんて。
きっかけは、ハニトラ?
ううん、違う。先輩の考えを変えたのは、絶対に真夏が先輩に囁いたひとこと。
真夏。いったい、何を言ったの?
私の視線に気づいた彼女は人差し指を立てて、口元に当てるだけだった。




