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本郷剛は戦慄していた。
彼の知る限り、天狗も鬼も妖怪の格としては上位存在であることに変わりはない。相性の差はあれど、実力的には大きな溝はないはずだった。
にもかかわらず、天狗側がボロ負けしたというのだ。
大天狗の脅威は霊能関係者が共通で閲覧できるデータファイルに詳しい。九尾の狐には遠く及ばずとも、想定される被害の規模は災害レベル。依宮の助力が望めなければ、否応なくトップ層が対応にあたらなければならない案件だろう。
その大天狗が一方的に倒されたとなれば、件の鬼の脅威はもはや災害では片付けられない。よほど隔絶した力の差がなければ、そうはならないからだ。
耳の奥でノイズが響く。マイクをスピーカーに近づけたときのハウリング音のような、不快な音色だった。
あってはならないことが現実に起きていた。子どもの戯言と切って捨てるには、情報がやけに具体的すぎる。
赤髪の鬼。もし、彼奴が妖怪でなく人を襲ってきたら?
現状の戦力で退けることは可能だろうか。
いくら依宮に憑いている妖狐が強大とはいえ、その「勝ち」は絶対ではない。もし仮に依宮が負けるようなことがあれば、その際には会長に便宜を図ってもらう他あるまい。
───
結界術でそんなことが出来るなんて、知らなかった。
依宮真夏はおもむろに天井を見上げた。不規則に穴の空いた石膏ボードは、まるで今の自分を表しているかのように思えた。
自分に霊能力の才覚があるとはこれっぽっちも考えていなかった。双魂であることを除けば、彼女の代わりになる人物はいくらでもいる。
神社の娘として生を受けたこと。真夏が厄祓いを生業とする理由は、それ以上でも以下でもない。結界術の習得を渋ってきたのも、どこか諦観したところがあったから。
それなのに、今。
真夏は結界術のまだ見ぬ可能性に、興味を持ち始めていた。
「タマは知ってた? 神域結界のこと」
むつかしい顔で俯いていた玉梓がこちらを見上げた。紅玉のような双眸が真夏を捉える。
「少しだけな。どうやったら出来るかは知らない」
「記憶が戻れば、どう?」
「……たぶん、分かる。九尾の狐が出来なかったとは考えにくい」
やっぱりそうなんだ。
真夏の膝上に座るのは、どんな霊能力者よりも長い時を生きてきた大妖怪。その技量は未だ底が見えていない。残りの尾を取り戻していけば、天井にも手が届くかもしれない。
「……なんだ。嬉しそうだな、真夏」
「うん。まだまだ私も知らないことばかりだなって。弥生ちゃんのこととやかく言えないや」
「ふふん、わたしが教えるときにあれだけ嫌がって駄々をこねてたやつとは思えないな」
「むう。だってタマは得意なんでしょ、結界術。だったらそれでいいかなーと思ってたの」
「言っておくけど、あんなの基礎の基礎だからな。あいつがやってるのに比べたら、全然レベルが低いんだぞ?」
本郷に指先を向け、玉梓は呆れたように肩をすくめた。突然の指名を受けた彼は間の抜けた表情でまばたきしていた。
「……なにか呼んだか?」
「いや。真夏に結界術を覚えさせるのに苦労してるってだけだ」
「なるほど。たしかにそれは重労働だな……」
「ちょっとそれどういう意味?」
ふくれた真夏のほっぺたを人差し指で軽く押し込み、玉梓は椅子の上で縮んでいるカルラへ尋ねた。
遠く、ゴロゴロと雷鳴が聞こえた。とっぷりと暮れてしまった外の様子はカーテン越しにはわかりづらい。弥生が窓際に駆け寄り、左右に開く。
まだ雨粒は降ってはいないが、厚い雲が天幕のように上空を覆っていた。嫌な空模様だ。
「で? そのご神体とやらがわたしの尾だとして、それはいったいどこにあるんだろうな」
振り向いた弥生が口を挟む。
「いや、まだそうとは決まってなくない? 神様の尾って呼ばれてたんだから、他にもそれっぽいのがあってもおかしくないんじゃ……」
「あってたまるか。九尾の狐を舐めるなよ」
玉梓は苦い色を顔に浮かべ、舌打ちして腕を組んだ。
「結界を維持するにはそれ相応の妖力が要るんだ。規模にもよるが、神域結界というのは中に世界ひとつが丸ごと入ってるんだぞ。生半可な力じゃあ、すぐに崩れるに決まってるだろ」
「ふむ、一理ある。ただでさえ広げるだけでも食らうのに、空間を固定するとなると、どれだけのエネルギーが必要になるか……」
本郷は大きく吐息をついた。落とした肩から疲労が滲み出ている。
「それに塚貝。悪いが、九尾の尾に並ぶ呪物が複数あることのほうが大問題だ。仮に存在したとして、ただでさえ現状に手一杯なんだ。先日の怨霊のような事態が多発するとなると、とても対処しきれない」
「う、うーん……たしかに」
「それだけじゃない。さっきの話にはいくつも───」
玉梓が続きを言いかけたそのとき、一際大きな轟音が鳴り響き、かき消されてしまった。生徒会室に同席した全員がびくりと身体を震わせる。
しかし、ただひとり。
玉梓だけは耳をぴんと伸ばして窓の向こう側をじっと見つめていた。忌々しげに、吐き捨てる。
「……やっぱりな」




