26
神山のことは知ってるんだろ。おいらたち天狗は、鞍馬山の神域結界に住処をつくって暮らしてきたんだ。
妖魔領域とは違うのかって?
そりゃあそうさ。あんなのとは別モノだ、別モノ。
そもそもおまえたちのいってる結界術っていうのは、大昔に人間と親しかった一部の天狗が、友好のしるしとして伝えたものだからな。おいらたちが本家もともとなんだ。
どうだ、少しは見直しただろ?
神域結界の中はけっこう広くて、庭のある屋敷とキレイな湖があるんだ。結界の中で、別の世界を創り上げてるんだ。
お師匠様に聞いた話だと、この国にはおいらたち以外にも天狗の住んでいる山があるって話だけど、どうやって結界に入るのかは分からない。そもそも今の今まで結界の外に出たことすらなかったからな。
じゃあなんでこうしてふらふらしてるのか?
したくてしてるわけじゃないやい! 本当なら、おいらだって戻りたいさ。
でも、無理なんだ。
おいらに帰る場所なんて、もうないんだから。
ちょっと前、結界に侵入してきた奴らがいた。そいつらは頭のてっぺんにツノが生えてた。一本か、二本か。三本ついてたのもいた気がするけど、覚えてない。
お師匠様が後ずさりしながら、こういってた。
「鬼が、攻めてきおった」って。
おいらはすぐ、兄弟子たちに急いで屋敷の階段の裏にある隠し部屋に押し込められたんだ。たまに稽古サボるのに使ってたんだけど、あのときだけは、
「何があってもここから出てきてはいけない。いいな」
って念押しされた。
そこからは、あんまり思い出したくない。
隠し部屋には小さな穴が空いてて、そこから外の様子が見えるんだけど、ツノを生やした奴らが皆のことを殴り倒してるのが見えたんだ。
あいつら、信じられないくらい高くジャンプするし、おいらが腕相撲で一度も勝てなかった兄貴たちを力づくで押し潰してた。どういうわけか神通力が効かないやつも多くて、あっという間にやられちゃったんだ。
それでも、お師匠様は強かった。
ずっと結界を守ってきた、結界に住んでる中で唯一の大天狗で、六つある神通力を全部使えるんだ。お師匠様が落とした雷があいつらを黒焦げにして、大竜巻で残ってたやつを吹き飛ばした。
おいらも、お師匠様なら勝てると信じてた。皆の仇をとってくれると願った。
でも、それは叶わなかった。
何人目かのツノ持ちをお師匠様が締め上げたとき。そいつは幽霊みたいに突然現れた。
血に染まったみたいな赤い髪に、額の上から伸びた二本ヅノ。着崩した和服に、胸や腰だけ鎧をつけてて、雨なんか降らないのに傘を差してた。琥珀の眼がお師匠様を捉えたとき、あいつは嬉しそうに笑ってたんだ。
すると、それまで地面に伸びてた奴らが急に騒ぎ始めた。ぶっ飛ばされた連中がなにか叫んでたけど、さっきみたいに飛びかかっては来なかった。
群がるツノ持ちをまとめて始末しようと、お師匠様が団扇を振るった。風神通を応用した見えない刃。お師匠様のそれは、岩をも簡単に切り裂けるくらいの威力があるんだ。湖のほとりに植えてある樹木を薙ぎ払っていった。
そのとき、信じられないことが起きたんだ。
あいつは、雨粒を払うみたいに閉じた傘を横振りした。
たったそれだけ。ごくごくありふれた、なんでもないような動きだろ?
けど。傘が振り切れた瞬間、とんでもない強風が襲ってきたんだ。
縄跳びをしてるときの音。空気が切り裂かれる音がした。気づいたときには辺り一面を屋根瓦の残骸が埋め尽くしていて、追加で落ちてきた瓦礫で穴は塞がれちゃったんだ。
そこから先はおいらもよくわからない。
怖かったから、とにかく小さくなって震えてた。たまに雷の音が聞こえてたんだけど、それもすぐに消えちゃった。
静かになってからしばらくして、雄叫びみたいな吼え声がした。天狗の声じゃない。お師匠様でもない。
そのとき、おいらは確信した。
お師匠様が負けちゃったんだってことを。
隠し部屋に明かりが差し込んで、扉が開かれた。頭から血を流したまま、木枯兄ちゃんがおいらの腕を掴んだ。物心ついたときから面倒を見てくれていた、おいらの実の兄貴だ。
「逃げるぞ、狩楽っ! 早く結界を抜けろ!」
安心したと思ったら、兄ちゃんはすごい剣幕でおいらを部屋から引っ張り出した。歯ぎしりしながら、近くの壁を強めに殴った。
「ちくしょう、あいつら……あんな化け物がいるだなんて、完全に誤算だ……」
おいらはおそるおそる尋ねた。皆がどうなったのか、知っておきたかったから。
でも、兄ちゃんは「外に出ろ」の一点張りで、まともに取り合ってはくれなかった。
「兄ちゃんはどうするの?」
「……ご神体を取りに行く。奴等に渡すわけにはいかないからな。おれもすぐに後を追う」
それが、おいらが見た兄ちゃんの最後だ。
ああ、「ご神体」がなんなのか?
おいらにも詳しいことはわかんないよ。屋敷の一番奥に置いてあって、包帯というか、霊符でぐるぐる巻きにしてあるんだ。
でも、お師匠様はそれを「神さまの尾」と呼んでいた。
それだけは覚えてる。
……続きを話そっか。
兄ちゃんと別れたあと、おいらはめちゃくちゃに崩れた屋敷の裏から、こっそり抜け出したんだ。神域結界の出入り口は屋敷とは反対方向にあるから、奴らに見つからずに逃げるには、息を潜めながら湖の外周をぐるっと回って行くしかなかった。
もう、立っている仲間は誰もいなかった。お師匠様も、首がなくなったまま膝をついてた。
あいつらが屋敷に入り込んでいくのを見計らって、おいらは結界を脱出した。そのときは息をするのも辛くて、早く逃げたいって一心だった。必死で空に飛び上がった。
鞍馬山からある程度離れると、また信じられないことが起きた。
結界を出入りするのに使う絵馬が煙みたいに消えていったんだ。首から下げてたんだけど、ヒビが入って、そのままなくなっちゃった。
あれがないと、もう神域結界には入れない。
おいらの故郷は、皆の亡骸と一緒に消えちゃったんだ。




