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玉梓は真夏の膝から飛び降りると、本郷先輩に向かって手招きした。
「硝子が欲しい。壊してもいいような」
彼は口元に手を当て、少し考えてから窓際のほうを指差した。
「そこに置いてある花瓶ならガラス製だ。備品のひとつだが、後で新品に交換するため処分したと伝えておこう」
「よし。生けてある花は捨ててもいいか?」
「構わない。好きにすればいい」
こくりと頷き、玉梓はゆっくりと窓のほうへ足を向けた。書類棚の上に安置されていた花瓶を手に取ると、生けられていた花束を一気に引き抜いた。彼女の小さな手の中から炎が溢れ、瑞々しかった生花は瞬く間に黒い炭へと変わった。
それを塵箱に投げ入れ、逆さにして残っていた水も流し台へと捨てた。
「ちょっと、何する気?」
私が訊くと、彼女は一瞥もせずに低い声でぼやいた。
「見ればわかる」
玉梓は花瓶を持つ手にぐっと力を込めた。
その瞬間、炎が舐めるように花瓶全体を包んだ。熱したガラスは形を歪め、だんだんと小さくなっていく。やがて、それが両手の中に収まると、彼女はぎゅっと手のひらを握りしめた。蕾を咲かせるように、そっと開く。
手のひらの上に、鈍色のガラス玉が二つ、出来ていた。
「…….なにこれ?」
カルラが訝しげに見つめ、呟いた。玉梓は紙コップを机の上に置くように促し、再び真夏の膝へよじ登った。コップを引き寄せ、ビー玉をひとつ、中に入れた。
「真夏の器には今、わたしが入ってる。こういうふうにな」
彼女はカルラの眼前に紙コップを掲げ、その上にもう片方の手を持っていった。
「そこに別の霊が入ってくると……こうなる」
ゆっくりと開かれた手のひらから、ふたつ目のビー玉がコップに溢れ落ち、かちん、と音が鳴った。
「複数の霊が中に入ると、器の中で霊体同士がかち合うんだ。こうなると、生き残るために競争が始まる。器は激しく揺さぶられる」
玉梓は軽く紙コップを左右に振った。ビー玉同士がぶつかる音が、しんと静まり返った生徒会室に響いた。
机の上に紙コップを置き、玉梓は大きくため息を吐いた。
「あとは簡単だ。強いほうが残り、弱いほうが消える。潰された人格がどうなるのかは、さっき話した通りだ」
「ま、待って。それって競争しなきゃいいんでしょ。玉梓が譲ってあげればいいじゃん」
身を乗り出して意見した私を、玉梓は横目で睨みつけた。軽蔑と失望が入り混じった眼をしていた。呆れたような口調で、言い放った。
「……いい加減にしろ。わたしが今、なにをしたのか分かってないのか」
「なにって……コップにビー玉入れて……」
「いや、注目すべきはそこじゃない」
本郷先輩が首を横に振り、諭すように言った。ただでさえ険しかった表情が、さらに厳しいものになっていた。
「ガラス玉が衝突したのは、コップの中にふたつ目が入ってきたからだ。最初に入っていた玉が意図せずとも、その時点で衝突は発生する。そういうことなんだな?」
不機嫌そうに鼻を鳴らし、玉梓は黙ったまま顎を引いた。視線を落とした彼女の表情に、影が差し込んでいた。
真夏が申し訳なさそうに肩をすくめ、カルラのほうへ目を向けた。普段の明るさをどうにか保とうとしているようだった。
「……ごめんね。気持ちは嬉しいけど、私にはこの子がいるの。だから、カルラくんとは双魂になれないんだ」
「……そんなぁ」
追い縋るかのように手を伸ばしかけたカルラは、悲痛な面持ちになっていた。本郷先輩が目尻を押さえ、天を仰いだ。憑き物が落ちたような、晴れやかな表情だった。
「仕方あるまい。身体を持たない霊体が競争に敗れた後、待ち受けるのは存在の消滅だ。そのリスクがある以上、依宮の判断は正しい。お前の身を案じての配慮だ」
「……それだけじゃない」
頬杖をつき、玉梓は再び紙コップを手に取った。中身を取り出し、そのうちのひとつを机の上から私に向け、指先で弾いた。
透明な球はころころと滑らかに転がって来た。私はそれをキャッチして、食い入るように見つめた。ひんやりとした感触が、手のひらから伝わった。
「生存競争が起こると、それがどんな規模だろうと衝撃は器に伝わるんだ。当然、そのぶん負担はかかるし、下手をすれば器が壊れて、命を落とすことだってある」
「───っ」
一斉に血の気が引いていくのを感じた。胸が早鐘を打つように拍動して、苦しくなる。身体中が熱を帯びて、嫌な汗が噴き出てくるのがわかった。
玉梓の叫び声が、頭の中で何度も響いた。
あんなに激怒したのは、このことを知ってたから? じゃあ、「別れる」ってことの意味は……
「弥生ちゃん」
真夏の声が、私の意識を現実に引き戻した。指先で机を叩く玉梓を抱えながら、彼女は僅かに首を傾けた。
「知らなかったんだから、気にしちゃダメだよ? 言い過ぎちゃうこともあるけど、タマだって、弥生ちゃんを責めたいわけじゃないと思うから」
「勝手に決めるな」玉梓がそっぽを向いた。「わたしは許したつもりはないからな」
「まだ抱っこし足りない?」
顔を覗き込んでほっぺたをつつく真夏を手で制する。カルラが歯痒そうにそれを見つめ、唇をかたく結んでいた。
一連のやりとりを見ながら、私は大きな勘違いをしていたことに気づいた。
この二人は、もう友人という枠組みからはみ出している。家族の距離感といったほうがしっくりくる。おそらく、付き合って二年三年の仲じゃない。きっと、もっと長い時間を過ごして来ている。身体の共有とかいう物理的な距離がゼロのまま。
知り合って半年前後の私が、その間に割って入るなんて出来やしないのだ。
「ごめん、なさい」
突然目の前がぼやけ、私の内から熱いものが溢れ出した。頬を伝い、いくらかは直接手の甲に落ちて、スカートの布地に染み込んでいった。
ふわっとした感触が私の顔に当てられた。
霞んだ視界の向こう側で、いつの間にか隣に立っていた真夏がハンカチを優しく添えてくれていた。
「間違ったっていい。失敗したっていい。知らないことはこれから知っていけばいいんだ。俺たちは学生だろう、塚貝」
本郷先輩のフォローが身に沁みる。そのせいか、一度止まりかけた涙が、また溢れ出した。
泣き止むまでの間、真夏がさすってくれているのを背中越しに感じていた。
───
びっしりと文字や図形が並べられたホワイトボードが、もとの白さを取り戻した。今日教えてもらったことは全てメモ書きしてある。帰ったら、またノートにまとめておこう。
一通り片付けを済ませた先輩は花瓶だったガラス玉を受け取って鞄の中に押し込んだ。持ち帰ってから処分するのだという。
「本来であれば人に仇なす妖怪は退治するのが決まりだが、依宮にその気はないようだし、今回は大目に見るとしよう」
「うん。ありがと、剛」真夏がウインクで応えた。
「直近で格のある霊体の案件が続いたからな……不甲斐ない限りだ」
「気にしなくていいよ〜」
真夏は酔っ払いみたいな緩い笑みを浮かべた。
当のカルラはというと忙しなく羽を動かして、なにか言いたげに身体を揺らしていた。消え入りそうな声で、呟いた。
「あの……お姉ちゃん」
それに気づいた真夏は柔らかな笑みを浮かべ、そっと促した。
「今度は大丈夫?」
「ええと……そうじゃなくて」
煮え切らない態度を続ける烏天狗に、抑えられていた不満が再び首をもたげた。
……待って。そういえば、こいつ謝ってない! あれだけのことをしておいて反省もなしに無罪放免にするのはおかしい!
真夏が甘やかすなら、私は厳しくいくまで。そう意を決して立ち上がり、糾弾した。
「ちょっと待ってよ。人を病院送りにしておいてお咎めなしっていうの、私納得できない」
「病院送り?」




