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「あの、先輩? 項目が足りなくないですか?」
おずおずと私が手を挙げると、彼は真剣な顔つきでマジックペンを反対に持ち替えた。
「いいや、間違ってはいない」
厳格な口調で断言し、首を横に振る先輩。
「順に説明する。双魂全体の内訳はこの通りだ」
細いほうのペン先で、円の区画内に数字が書き加えられた。広いほうが「1」、狭いほうが「2」とある。彼は狭いほうの区画を大きく赤線で囲み、キャップを閉めてからペンでホワイトボードを叩いた。
「侵食型の割合が全体の八割。残り二割が使役型だ。つまるところ、ほとんどのケースで宿主は生き残れない。実質死亡率八十パーセントということになる」
は、八十パーセント。
積み上げられた数字を前にして、私は戦慄した。単純に計算して、五人中四人が死ぬことになる。生還率二割だなんて、もはや死にゲーどころかクソゲーの領域に達している。
「そして肝心の共生型だが、ここに位置している」
円グラフの中心から伸びた、二つの項目を分ける線。書き伸ばしたそれはアホ毛みたいに円から突き抜け、「3」の数字が付け加えられた。
「正確な統計を取れるほどのデータはないが、全体から推定すると、成立する確率は0.1パーセント以下といったところだ」
「う、嘘ですよね先輩」
あまりに受け入れ難くて、私は思わず身を乗り出した。パイプ椅子の軋む音が部屋に響く。私はのろのろと彼に詰め寄った。
「だって、真夏はここに入ってるんでしょ? だったらそんな……」
「なにもおかしいことなんてない」
私が淡く抱いていた希望を、玉梓がぴしゃりと一刀両断した。彼女は机の上に安置されていた紙コップに手を伸ばして手元に引き寄せると、つまらなさそうに小さく息をつき、頬杖をついた。
「霊からしてみれば、身体を乗っ取るなんて当たり前なんだよ。そのままでいたら消えるような存在なんだから、容れ物を求めてやっきになる。自分たちより弱い生き物を使い倒すのに、躊躇うことなんかない」
「なんでよ! 他人の生命を奪って何も感じないの?」
私が食ってかかると、玉梓は紙コップを逆さにして、中からくるくると回転させた。
「じゃあ、おまえは蚊を潰して心が痛むのか?」
紅玉のような双眸が、私の意識を縫い付けた。あのときと同じ、瞳の奥に吸い込まれるような感覚がある。なにもかも見透かされているような気がして、息が詰まった。
「そんなわけないよな。気にも留めないし、むしろそれが当たり前だと思ってるはずだろ」
コップを戻し、玉梓は淡々と語り続けた。
「前にもいっただろ、同じなんだって。おまえたちがやってることとなにも変わらない。わたしたちから見れば、人間なんてその程度の存在でしかない」
自然と、私は奥歯を噛んでいた。
私自身が怪物に襲われて死にかけたからこそ、玉梓の言い分になにも反論出来なかった。真夏が助けに来てくれなかったら、あっさり命を落としていたであろうことは考えるまでもない。
けれど、言い負けたまま終わるのは、なけなしの自尊心が許さなかった。
「……だったら、真夏は? なんであんた共生なんかしてるわけ? 妖怪からしたら、私たちはちっぽけな存在なんでしょ」
私が言い終わると、生徒会室はしんと静まり返った。玉梓は訝しげにこっちを見つめながらも、口を閉ざしていた。
嫌な雰囲気になってしまったことを申し訳なく思っていると、それまで沈黙していたはずの真夏が、唇を動かした。
「そんなの簡単だよ、弥生ちゃん」
真夏はそっと玉梓の頭を撫でながら、朗らかな笑みを浮かべた。
「タマは私のこと大好きだから。もちろん、私もタマのこと好きだよ」
「えっ……そ、そんな理由?」
口元をぐにゃりと歪めながらも、妖狐は居心地悪そうに呟いた。
「……まあ、気に入ってるのは事実だからな」
「むう〜。そこは素直に好きっていってよ。トクベツ、なんだよね? 私」
ぴんと屹立した狐耳を親指と人差し指の腹の間で擦り、真夏は楽しそうにニヤニヤしていた。どうやらケモミミの部分は敏感らしく、耳の裏をすりすりされた玉梓は押し殺すようにか細い声を漏らした。
「こ、こら真夏っ。そこは…………んあっ……!?」
「ふふん、弱いとこを知ってるのはタマだけじゃないんだよー?」
「だからって、それは反則……」
「ほらほら〜。ここの付け根のとこを、こりこりってしてあげれば……」
「っ〜〜〜!?」
必死で口元を押さえ、声にならない声を上げる玉梓。さっきまでの澄まし顔から一転して崩れ、色白の肌がほんのりと赤く染まっている。
さっと身体を捻って背中を向けた彼女は、そのまま真夏の胸元に顔を埋め、動かなくなった。真夏はそっと目を細め、玉梓の腰を支えるように腕を回した。ぱたりと伏せられた狐耳の側で、囁くように口元を緩めた。
「……ほんとはタマも甘えたいんだよね。カルラくんがしてるのを見て、やきもち焼いちゃったんでしょ」
「う、うるさい。わかってるようないいかたして……」
「いいんだよ? 私、タマの依代なんだから。いつでも、タマがしたいときにやりたいことをすれば」
「───っ!」
玉梓の細い指が、ブラウスの生地を強く掴んだ。
「……ばかやろお…………」
それきり、玉梓は一言も発さなくなった。
ぽんぽんと彼女の背中を優しくさする真夏の表情は、寒空の下で差し込んだ陽光のように穏やかだった。
私の双魂に対する理解が、遠ざかっていくのを感じた。解けきる直前だった結び目にまた別の糸が交差し、がんじがらめにされた。
胸騒ぎがする、といえばいいだろうか。一粒の水滴が、鏡のような水面に波紋を生んでいく様を、まさに幽霊のようにふわふわ浮かんでいる私が、俯瞰しながら眺めていた。地に足がつかないときの、あの不安感が押し寄せてくる。
「真夏は……怖くないの?」
「なにが?」
「だって、身体を取られたら消えるんでしょ? 死んじゃうんだよ? いくら仲が良くても玉梓だって、いつ───」
「弥生ちゃん」
真夏の呼びかけが、私の声を遮った。長い睫毛に縁取られた水晶のように透き通った眼が、射抜くように私を貫いた。
「タマは絶対にそんなことしない」
両目を伏せ、彼女は諭すように続けた。
「私には分かるの。タマはいつもつんつんしてるけど、本当はとっても優しい子なんだって」
私は、開きかけた口を閉ざすことになった。
真夏の言い方には淀みがない。無理やり言わされているわけでも、遠慮して捻り出しているわけでもない。その迷いのなさが、私から反論の余地をことごとく奪い去った。
本郷先輩が机に投げ出された紙コップを持ち上げ、小さく息をついた。
「……共生型の双魂に限っては残されている情報自体がごく僅かでな。過去の文献の中で存在したと触れられてはいるものの、その発生原理すら未だ明らかにはなっていない」
先輩は一際険しい顔で、眉根を寄せた。
「何故、依宮が共生型を成立させられたのかは俺にもわからん。ひとつ確かなことは、素質や器量で片付けられるような問題ではないということだ」
「でも、先輩。前に真夏は特別だって……」
「ある意味ではな。だがそれは、才能云々の話とは断じて違う。そうだろ? 依宮」
真夏は静かに首を縦に振った。
「うん。霊符一枚つくるにも丸々一日かかっちゃうし、結界術はダメダメ。それに私、タマが貸してくれなかったら、霊視できるくらいにしか霊力ないんだよ?」
「えっ、そうなの?」
私から見た真夏は、ハイスペックそのものだった。
可愛いし、おしゃれだし、妖怪と打ち解け合えるほど気立てが良くて、コミュニケーション力は激強。勉強も運動も多少の得意不得意はあっても、なにかとそつなくこなしているイメージが強い。
「まあ、そういうことだ。これほどの格を持つ妖怪が、一体何をどう判断して依代を定めたのか。非常に興味深い議論だ」
「えー、またその話?」真夏はぷくぅ、と頬を膨らませた。
「当然だ。共生型双魂が成立するメカニズムを解き明かすことが出来れば、今後の霊能界の常識を覆すことになるのは間違いない」
「そんな難しいことばっかり考えてるから、タマも教えてくれないんだよ。もっと頭を柔らかくしたらいいのにさ〜」
先輩が渋い顔をつくった、そのとき。
黙ったまま椅子に座っていたカルラが、食い入るように真夏を見つめ、瞳を輝かせながら叫んだ。
「おいらもなるよ、そーこん! それでお姉ちゃんが喜んでくれるなら───」
そんなカルラの熱意に、思いきり冷や水が浴びせられた。今もなお、顔を真夏の胸元に伏せたままの玉梓が、ぽつりと呟いた。
「無理だ。おまえには荷が勝ちすぎる」




