20
玉梓の姿が現れると共に、本郷先輩は顔をしかめて静かにパイプ椅子の背もたれを引いた。結界を張っているような素振りはなかったから、また妖魔領域を使ったらしい。
「……なんで、狐が?」
カルラの口がぽかんと開いたままになっている。突然の乱入者を目の当たりにして、呆気にとられた様子だった。
「ふん。わたしを狐呼ばわりするなんて。よっぽど鈍いんだな、おまえ」
「だ、誰がだよ。それより、よくもおいらを蹴落としたな」
「蚊が飛んできたから叩いただけだ。害虫を駆除してなにが悪い」
相変わらず玉梓の口振りは容赦がない。私にお説教したときよりも、さらにキレが増しているような気がするし。とはいえ、散々この悪戯小僧にストレスを抱えさせられた私としては、むしろ爽快感を感じる。
玉梓は軽やかに真夏の膝へ飛び乗ると、紅色の双眸で足元のカルラを見下ろした。先の尖った耳が、ぴくりと揺れた。
「こいつはおまえの母親じゃない。わたしの依代だ。勝手にべたべたひっつくな。煩わしい」
玉梓はなんの躊躇いもなく、私が口にしたかったことを言い切った。遠慮という二文字は、この妖狐の辞書には載っていないのだろうか。
「依代? お姉ちゃんが……?」
「なんだ、そんなこともわからないのか? 霊力の質を見れば、他の人間と違うのは一目瞭然だろうに」
どういうことなのか理解出来ず、私は本郷先輩に助けを求めた。咳払いをひとつ挟み、彼は重い口を開いた。
「……双魂特有の現象だ。宿主の霊力に、憑依体の妖力が自然とプラスされる。そのため双魂は常に、もともとの力に異物が混ざったような状態になっているんだ」
玉梓が満足そうにこくりと頷いた。
彼女から霊力を借りてる、ってことは前に真夏から聞いていたけど、そんなこと全然気に留めていなかった。
「未熟どころか実が成ってもないようなやつが、わたしの宿を荒らそうだなんて、よっぽどの考えなしか救いようのない馬鹿のやることだ。真夏が受け入れてなかったら、おまえなんか、とっくに焼き鳥にしてるところだ」
ため息混じりに吐き捨てた玉梓は、真夏の膝の上でゆっくり身体を捻ると、体勢を変えて正面に向き直った。肩に手をかけ、じっと彼女の顔を見つめている。
「……タマ? もしかして、怒ってる?」
「……おまえもおまえだ、真夏。こいつがのぼせ上がったのは、半分くらいはおまえのせいでもあるんだぞ」
玉梓の細い指が、ブラウスのボタンに伸びていった。第三ボタンまでが手際よく外され、薄い生地に隠れていた白い肌が露わになる。彼女は困惑する真夏の首筋から胸元にかけて、小さな舌をなぞるように這わせた。
「ひゃあ!?」
真夏の嬌声と共に、パイプ椅子ががたんと揺れる。
もっと驚いたのは私のほうだ。
玉梓、なにしてるの!?
「おまえは相手がどんなやつだろうと偏見を持たない性だってことは、わたしもよく知ってる。でもな、優しいのと甘やかすのはまったくの別物なんだからな」
ちろり。ぺろり。ちゅるる。
玉梓が丁寧に舐め上げる度、真夏の身体がびくりと跳ねた。頬がだんだんと紅潮し、目尻にはうっすら涙が浮かぶ。
「ちょっと! そんなに胸元はだけさせたらブラ見えるってば。男子の目もあるのに───」
振り返った私が目の当たりにしたのは、黙り込んだまま壁の天井の隅を見つめている先輩の背中だった。
あ、よかった。この人ちゃんと紳士だ。
「せ、先輩? あれ、止めなくていいんですか?」
私の呼び掛けに、本郷先輩は我に返ったように肩を震わせた。でも、やっぱり背中は向けたままだった。
「え? あ、ああ。構わない。むしろ、俺たちで止められるようならとっくにそうしてる」
「だって……」
「それに、あれはただのやや過激なスキンシップではない。非常に繊細な妖力操作が行われている。絶妙な力加減で妖力を流し、依宮のツボを刺激しているんだ」
「あれを足ツボマッサージと同列にしないでくれますか?」
なんなら烏天狗よりもすごいことしてるんですけど。いくら玉梓が同性だからって、私はもう気が気じゃない。
「しかし恐るべき御技だな……同じ身体を共有しているとはいえ、ああも器用に快楽のみを与えることが出来るとは。通常なら、異質な力の流入になんらかの拒絶反応を示しても不思議ではないというのに」
ああもう駄目だこの人。意識を逸らすことに全身全霊を傾けちゃってる。目を背けたくなる気持ちもわからなくはないけど、真夏があんなに悶えてるのに放置するのは先輩としてアウトじゃないんですか。
「た、タマっ……まって。それ、くすぐったいよぉ……」
「なんだ。散々わたしの耳と尻尾を弄んでおいて、今更文句をいうつもりか」
「そ、それは……」
「じゃあ大人しくしてろ」
完全に言いくるめられた真夏は、観念したように瞼を閉じた。玉梓の舌が、喉から一気に胸の間へと這い降りる。
その瞬間、真夏は一際大きな声を漏らし、背もたれが軋むほど背後へ寄りかかった。荒い息を吐き、脱力した彼女の腕を、玉梓が膝下へ誘導する。
「これはわたしからの罰だ。甘んじて受け入れろ」
そういうと、玉梓はほてった真夏の肌に、自分の頬を擦り付けた。しかもそれだけに留まらず、飼い犬が自分の匂いをマーキングするように、全身を使って擦り寄っている。
な、なんだろう。この動き、すごい既視感がある。これでもかっていうくらい尾を振りまくってるし。
まさか玉梓、カルラがしたことを上書きしてる?
ひとしきりじゃれついた玉梓が、椅子の端に手をついて上体を起こした。幾度か耳を震わせ、くるりと振り返る。
彼女は「どうだ」といわんばかりの、にんまりとした笑顔を浮かべていた。




