19
「こいつは……まさか、烏天狗か?」
本郷先輩が目を見開いた。男の子はくるりと宙で一回転し、テーブルの上に着地すると、今まで入っていた段ボールを思いきり蹴飛ばした。
「おまえたち、よくもこの狩楽様を閉じ込めてくれたな! 泣いて謝っても許さないぞ!」
私は喚き散らす彼の立ち姿を見て、思わず目を疑った。
背が、低い。
私より小柄な玉梓よりも、さらに低かった。せいぜい、小学校の低学年ぐらいがやっとだと思う。そんな子が肩肘を張って叫ぶ様子は、あまりにも拍子抜けだった。
大きめの段ボールだったから、もっと違うのを想像していたんだけどな。
「私もびっくりしちゃった。こんなに小さい子、今まで会ったことないもん」
真夏の意見に、先輩も同意した。
カルラと名乗った男の子は、ぱたぱたと羽を動かして浮かび上がった。私たちを見下ろして、睨みつける。
どうしよう、全然怖くない。
「おいらを閉じ込めた身の程知らずは、どいつだ?」
はーい、と真夏が元気良く返事した。妖怪を前にしているとは思えないくらいの、お気楽振りである。男の子は彼女を見据えると、丸い瞳に光をたぎらせた。
「そうか。さっきはよくも脇腹をこちょこちょしてくれたな。お返ししてやる。おいらの風を───」
「させるわけがないだろう」
カルラがどこからともなく取り出した葉っぱを、本郷先輩が音もなく没収してしまった。振りかぶっていたカルラの手が空を切る。
カルラは空っぽになった自分の手を見て、はっと息を呑んだ。そして、犯人が先輩だとわかると、必死に取り返そうと詰め寄った。
「こ、こらっ。返せ。それ返せー!」
本郷先輩は素早い身のこなしで、あらゆる方向から伸びてくる手を難なくかわし続けている。いくら小さいとはいえ、羽のある相手を完全に翻弄するなんて。
「こいつは天狗の羽団扇だろう? 古来より、ヤツデの葉に似通った形をしていると聞いたことがある」
「そうだよっ。だから返せ、返してくれ!」
「断る。これがなければ、お前は風を起こせない。そうなんだろう?」
悔しそうに歯ぎしりをするカルラ。さっきまでの威勢はどこへやら、あっさりと封殺されてしまった。
ちょっと可哀想な気もするけど、私にはどうしても訊き出さなくてはいけないことがある。
「ねえ、今日私の友達が、変な風を感じたっていってたんだけど、あれ君のせいってことでいいんだよね」
「……は? 変な風?」
「とぼけないでよ。今朝はともかく、昼休みは現行犯で捕まってるんだから」
カルラは少し考える素振りをしたあと、はっと両目を見開き、やがて蚊の鳴くような小さな声で、ぽつりと呟いた。
「……なんのことかなあ」
明後日の方向を向いて、掠れた口笛を吹く烏天狗。
あ、これはもう確信犯だわ。やり口が勝手におやつを食べたときの従兄弟とそっくりだ。
「風を起こして、女の子のスカート捲り上げたでしょ! 皆迷惑してるんだからね!」
私が強く責め立てると、カルラは気まずそうに顔を歪めた。でも、決して目を合わせようとはしない。
その白々しい態度に、私はだんだん苛立ってきた。反省の色を見せるどころか、知らぬ存ぜぬとしらばっくれているのが、本当にムカつく。
「しかもそれだけじゃなくて、歩いてた人に怪我までさせたんでしょ? 悪戯するにも限度ってものがあるの、限度ってものが!」
私が感情を表に出して捲し立てると、カルラはみるみるうちに小さな身体を丸め、震えた。目尻には涙が溜まり、口はへの字に曲がっていく。風船みたいに浮かんでいたのが、あっちこっちにふらついてきた。
「うわーーん!」
とうとう追及に耐えきれなくなったのか、烏天狗は大声で泣き出し、急降下した。咄嗟に伸ばした私の手をすり抜け、そのまま真夏の胸元へ飛び込んだ。
「お姉ちゃん、たすけてえ……あいつら、おいらのこといじめるぅ……」
「はぁぁあ!?」
真夏に抱きついて泣きじゃくるカルラ。もはや小学生じゃなく、保育園児の所業だった。
というか、いくら私が強く責め立てたからって、真夏に助けを求めるなんて。いくらなんでも自分勝手が過ぎる。なんなの、このワガママボーイ。
「えと……ご、ごめんね。怖い思いさせちゃって」
「ちょっと真夏、早く引き剥がしてよ。私、もうこいつのこと絶対許さないから」
「ま、まあまあ。弥生ちゃん落ち着いてよ。いくら妖怪でも、こんな小さな子なんだし」
「玉梓のときは小さくても油断するなっていったのに、そいつのことは庇うの!?」
なんとかいってください、と私は本郷先輩に視線を向けた。けれど、彼は微妙な表情を浮かべていた。指摘するべきか、そうでないかを悩んでいるみたいだ。
「よしよし。ほら、泣かない泣かない」
真夏はまるで小さな子をあやすように、そっとカルラの背中を撫でた。
たしかに見た目はそうなんだけど、中身がこうも可愛気のないクソガキだと、無性に腹が立ってくる。
「……お姉ちゃん、優しい」
ぽつりとカルラが呟いた。
こんのドブガラス、真夏の優しさにつけ上がりやがって。真夏も真夏で、カーディガン濡らしてまでやらなくてもいいじゃない。
私が悶々としている最中、しばらくの間、真夏はカルラをなだめ続けた。なんだか私が悪者みたいになってるのが、すっごく気に入らない。
先輩はというと、もう見て見ぬフリを決め込んでいるらしく、腕を組んだまま窓のほうを見つめていた。
「……落ち着いた?」
普段よりもさらに柔らかな口調で真夏が尋ねた。カルラはすっぽりと身体を預けたまま、僅かに頷いた。
「どうしてあんなことしちゃったの? 怒ったりしないから、教えて欲しいな」
カルラは全身を彼女にくっつけたまま、絞り出すように呟いた。
「その……おいら、ひとりぼっちで……寂しくって」
まだ嗚咽が混じってはいるものの、聞き取るぶんには不自由はなかった。
「神通力で風を吹かして、悪戯してみたら……わーきゃーって、騒いでくれるのが……嬉しくなって。それが、だんだん楽しくなっちゃって……」
真夏は静かに頷きながら、ぽんぽんと背中を叩いた。
やっぱりこの烏天狗、根っこのところからクソガキじゃんか。
「そっか。でも、もう悪戯しちゃダメだよ? 悪いことしちゃったなら、ちゃんと謝ろ。ね?」
「……うん」
カルラの頭が少しだけ揺れた。けれど、烏天狗は真夏のブラウスの端を掴んで、離れない。
真夏のやり方が間違ってるとは思わないけど、私としてはぬるいと感じてしまう。
膝の上から動こうとしないカルラに、真夏は諭すように優しく語りかけた。
「どうしたの? まだ怖い?」
「も、もうちょっとだけ」
名残惜しむように真夏を抱きしめるカルラ。
しかもこいつ、慰めてもらうだけに飽き足らず、真夏の背中に腕を回して、これ見よがしに顔を擦り付けている。仮に同級生が同じことをやったら、完全にセクハラ案件だ。
本人は触れ合いが過度になっていることに気づいてないみたいだけど、私の目は誤魔化せない。
「いい加減に……」
堪忍袋の緒が限界を迎え、椅子から立ち上がって無理やり引き剥がそうとしたとき。
私の脇から繰り出された鋭い蹴りが、カルラを襲った。憎たらしいことこの上ない烏天狗が真夏の膝から放り出され、びたんと床に墜落する。
頬を強く打ち付けたカルラが、むくりと起き上がった。
「い、痛た……なんだよ、急に」
「いつまでしがみついてるつもりだ。いい加減離れろ、ドブガラス」
そこには、いつになく険しい表情を浮かべた玉梓が、私の座っていた椅子の上で、冷たい目線を向けていた。




