15
心地良い秋の風が、頬を撫でていく。暑さがようやく鳴りを潜め、過ごしやすい日が続いていた。
千街高校へ続く河原沿いを、私は自転車を押して歩いていた。隣では、ぶかぶかのカーディガンを羽織った真夏が、萌え袖から伸びた手で、眠たそうに目元を擦っている。睡眠の秋とはよくいうけれど、彼女は春からずっとこの調子なので、季節はまったく関係ない。
「昨日も悪霊退治?」
私はそれとなく訊いてみた。真夏が眠そうにしている日は、だいたい前日に厄祓いをしている。ここ数日で、彼女の行動パターンをかなり掴めてきたと思う。
「まあね〜。繁忙期はとっくに過ぎたんだけどな」
「それっていつ?」
「お盆。黄泉の国に帰りたがらない霊が多くて。毎年のことなんだけどね」
ゆるいウェーブのかかった後ろ髪をなびかせ、真夏は小さな欠伸をひとつした。
彼女が霊能力者だと知ったのは、ついこの間のことだ。そして、この秘密を知っているのは、私の他には一年上の本郷先輩だけである。
「そういえば、玉梓は? 尻尾増えてから何か変わったりした?」
「うーん、どうだろう。妖力は前よりぐっと増えたけど、それで私が息苦しい、とかはないし」
頬に人差し指を当て、真夏はにゃは、と明るく笑った。
「いつも通りじゃない?」
「そう。ならいいんだけど」
実のところ、私は少し心配していた。
九尾の尾。そこらへんにいる霊をとんでもない怪物に化けさせてしまう、違法とかってレベルじゃない、反則級のドーピング薬。
そんなやばいブツを、玉梓はあと七本も集めるつもりでいるらしい。もともとは自分のものだから、という考えは納得できるけど、それで依代である真夏にまで影響が出たらと思うと、私は内心穏やかではいられない。
なにせ、一本だけでも本郷先輩が、冷や汗たらたらになっていたくらいだ。九本全部揃ったら、どうなるのか。想像するだけでも身震いがする。
「えっ、それほんと?」
真夏が誰もいないところへ向かって尋ねた。前は驚いてばかりだったこのやりとりにも、多少慣れてきた。
「玉梓、なにかいってるの?」
「うん。尾が増えたから、新しい狐火が使えるようになったんだって」
真夏が嬉しそうに眼を輝かせた。玩具を買ってもらうときの子供みたいだ。
「狐火? 真夏が使ってた炎のこと?」
「うん。でも普通のとはちょっと違っててね」
彼女は指をパチンと鳴らした。すると、ライターのホイールを回したように、指先から小さな炎が吹き上がった。
「こんなのとか、焔玉みたいなのは、私の霊力をタマの術式に流して使ってるんだ」
カーディガンの上から手を当て、真夏は得意そうに胸を張った。ブラウスの下の膨らみが、自然と強調される。
ちょっと。それ、私に対しての当てつけじゃないよね?
「でも、狐火は尾の中に刻まれた、特別な術式。だから狐火の技は尾がないと使えないし、同じ技は二つもない。タマだけの術式なんだよ」
自分だけのオリジナル技、と聞くとなんだかロマンがある。もし、そんな設定のRPGがあるなら、巷で大流行していること間違いなしだ。
そうこうしているうちに、私たちは校内へ入った。
一旦自転車置き場に寄ってから、校舎へと向かう。昇降口はガラス戸がまだ補修されておらず、養生テープで仮留めされている状態だった。危険につき触れないように、のポスターが目に留まる。
ガシャドクロもどきが残した爪痕は、しっかりと刻まれている。
上履きに履き替え、教室へ向かうと、既に何人かが談笑していた。私たちが入ってくるのに気づいた女子二人が、駆け寄ってくる。
遠山さんと北条さん。真夏と一緒にいることの多い子たちだ。
「おはよ、真夏。それに委員長。今朝は大丈夫だった?」
「大丈夫……って、何が?」私は思わず訊き返した。
「風だよ、風。なんか嫌なのが吹いててさ。私、来るときスカート、思いっきり捲れちゃって」遠山さんが渋い顔で窓を示した。
「真夏、いつも丈短いからさ。男子のいい餌になってないか、ちょっぴり気になってね」
私は苦笑いを浮かべながら、心の中では安堵していた。
よかった。真夏のゆるい着こなしを気にしてたの、私だけじゃなかったんだ。
「んーん、全然。むしろ涼しくて気持ち良かったよ。ねえ、弥生ちゃん」
「え? う、うん」
二つ返事で返したものの、確かに私たちが登校しているときは、そんな強い風は吹いてはいなかった。むしろ穏やかそのものである。
「そっか。まあそれならいいんだけどさ。なんか変な感じがして」そういうと、遠山さんは声をひそめた。
「周りに人がいるところで、ピンポイントで何回も吹くの。もう、うんざり」
「偶然じゃなくて?」
「絶対違うよ! 生き物みたいに、狙って吹いてるとしか思えないもん。ほんと、不気味だったんだから」
憤慨する遠山さんをなだめ、北条さんは私たちの顔を交互に見比べた。
「とにかく、二人が無事で良かった。この子、途中で男子どもにスマホ構えられてたから気が立ってんの。許してあげて」
それを聞いて、私も腹が立った。
いくら事故でもそこまでやる? やって良いことと悪いことがあると思うんだけど。
「特に真夏は男女関係なく人気高いしね。狙ってるのは、うちのクラスだけじゃないらしいし。あたしたちが守らなくっちゃ」
北条さんが実にいい笑顔で腕まくりをしてみせた。彼女、顔は子どもっぽいのに空手は黒帯なのだ。男女間の抗争において、男子からは大きな抑止力として恐れられている。
頼もしいな、と思う反面、私としては複雑だ。
だって私、上背ないし。お子様体型だし。
委員長も気をつけてね、と遠山さん。私は真夏のおまけじゃないんだぞ。
「弥生ちゃんは今のままでもかわいーよ」
真夏がそっと耳打ちしてきた。
その一言で、私は言葉に詰まった。私が一番欲しい言葉を、欲しいときにいってくるんだから。
……本当に、心が読めるんじゃないの。
そう思っていたとき、教室の前方のスライドドアが開き、誰かが入ってきた。
それは担任の菅原先生ではなく、副担任を兼任している社会科の徳川先生だった。彼は教室をぐるりと見回すと、ぷっくりとした厚い唇を動かした。
「あー、急で済まないが、大事なお知らせがある」
金縁眼鏡の奥の目が、気怠げに揺れていた。
「本日、菅原先生は体調不良でお休みされるそうだ」
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