13
翌日、真夏は思いっきり遅刻してきた。
三限目の授業中にしれっと教室に入ってきた彼女を見て、ホワイトボードに向かっていた菅原先生は呆れ顔になった。
「依宮、もう昼前だぞ。まったく……遅刻癖はなんとかならんのか」
「んにゃあ、すみません。昨日、すっごい疲れてて……」
「まさかとは思うが、スポッチャで遊び倒したから、じゃないよな」
「ちがいますよぉー!」
教室中で笑いの波が起きた。
いつもの日常だ。あんな体験をした後だと、この平穏な毎日がどれだけありがたいかが、わかる。
「……まあ、いい。ところで、昨日は悪質な悪戯があったみたいでな。昇降口のガラス戸が破壊されてな。おまけに三階の壁の一部までめくれ上がってたんだ。なにか知ってることはないか?」
私の胸が、どきりと高鳴った。
昨日の放課後にあったことを全部知っているのは、私たちだけ。時間が時間だったから、壊れた校舎を気にする余裕はまるでなかった。本郷先輩も、生徒会室の施錠をするのに手一杯だったらしい。
それに、気にしているのは先生だけじゃない。
今朝、早坂さんに同じようなことを訊かれたばかりだった。どうやら、私が先生に注意されている瞬間を見られていたらしく、「委員長、大丈夫?」と過剰なくらいに心配されてしまった。
急いでいたから気づかなかった、という言い訳で押し切ったものの、早坂さんの中では納得出来ていないらしく、私への視線を肌で感じているところだった。
「いーえ、なにも」
真夏は首を横に振った。そして、席に着くときに私へ向かってウインクをした。
昼休みに突入すると、私は真夏に詰め寄った。
「ちょっと、なんでいってくれなかったのさ」
「なにが?」
「ホットパンツ穿いてること。私、ずっとはらはらしてたんだからね。スカートであんな動いたら、下着見えちゃうに決まってるじゃん」
「あー、そのこと? 別にいうほどのことでもないかなって」
あはは、と真夏は笑ってみせた。私の気苦労も知らないで。ただでさえ着崩して丈を短くしがちなんだから、今後はもっと厳しくしたほうがよさそうだ。
「ところでね、弥生ちゃん。今日も放課後付き合って欲しいんだけど」
「また? 私、今月もうお小遣い少ないんだけど……」
「違う違う。剛が用事あるんだって。生徒会室に来てくれって」
「本郷先輩が?」
生徒会室に忘れものでもしちゃったかな、と私は記憶の節々を辿った。
「報告書を作るのに、弥生ちゃんの意見が欲しいってさ。特に今回は領域まで張れるような強いやつだったから、詳しくまとめないといけないんだ、っていってた」
「それ、真夏は書かなくていいの?」
「面倒だからやだ。だいたい剛に任せてる」
先輩のことが不憫に思えてきた。この自由奔放な娘に翻弄されているのは、私だけじゃないらしい。
「……わかった。いいよ。大した用事もないし」
「ありがとー。じゃあ、よろしくね」
真夏はカメラに映るときみたいに、指を立ててピースサインをした。そして、おもむろに席を立つと、教室の隅に群がっているグループのほうへ足を向けた。
───
机の上にはブルボンの銘菓がずらりと並んでいる。
真夏はチョコリエール、私はルマンドを手に取り、包装袋を破った。定番中の定番だけど、それが逆に堅物気質な先輩らしい。
「今日はわざわざ来てもらったんだ。少し話が長くなるかもしれないからな、遠慮なく食べてくれ」
本郷先輩が紙コップにケトルの中身を注ぎながら呟いた。ティーパックから爽やかな香りが鼻腔を突き抜ける。簡素だけど、こういう手回しの良さは嫌いじゃない。
「それで? 剛。報告書の進み具合はどれくらいか、訊いちゃってもいいかな?」
「ぼちぼちといった具合だ。俺の把握している範囲はもう仕上げてある」
「昨日の今日なのに、よくそこまでやれるね」
「記憶の新しいうちに済ませてしまいたくてな」
先輩は自分の紙コップを持ち上げ、一口含んで静かに飲み干した。
「集まってもらったのは、他でもない。お前たちの見解を報告書に反映させるためだ。それに、別件で気になることがあってな」
「別件?」
私の頭の上に、疑問符が浮かんだ。なにか気になるようなこと、あったっけ。
「そうだ。依宮、訊きたいことがある。いや、正確にはお前の中の妖狐に、だが」
「タマに? だったらそのまま私に話してよ。タマもちゃんと聞いてるから」
「……そうだったな。お前たちは感覚を共有しているんだった」
思い出した、と本郷先輩が天を仰いだ。
玉梓、真夏と本当にずっと一緒にいるんだ。比喩とかじゃなくて、文字通りに。
「では、訊こう。昨日倒した、巨大骸骨だが……あれはなんだ?」
「あれはなんだ、って……ガシャドクロじゃないんですか。先輩が自分で言ってたじゃないですか」
「そうは思えない。俺が所有している数多くの文献には、あんな炎は言及されていなかった。霊能関係のお偉いさんにも問い合わせたが、そんな特徴は聞いたことがないという」
ガシャドクロじゃない。それを聞いた私は、驚きと疑念でいっぱいになった。大きな骨の妖怪、というのは私もなんとなく知っている。だから先輩の発言を耳にしたとき、納得できた。
それが今、ひっくり返ったのだ。
「……タマ?」
「どうだ、依宮」
「ダメ。答えたくないって」
「ふむ。心当たりがない、というわけではないんだな。依宮はどうだ。なにか妖狐から聞かされてないか」
「ううん、私もガシャドクロについては詳しくないんだ」
真夏は首を横に振って、自分の胸にそっと手を当てた。
「お前が知らないということは……妖狐がわざと隠しているか、あるいは本当になにも知らないから答えられないか、の二択だな。だが、後者の可能性は限りなく薄いだろう」
「……ねえ、タマ。知ってることがあるなら、教えて。私も知りたい」
しばらくの間、生徒会室に沈黙が流れた。湯気が消え、ぬるくなったハーブティーを啜りながら、私たちはそのときを待った。
机の上が破れた包装袋で散らかってきたとき、真夏はふと立ち上がった。
「話してくれるって。でも、直接話したいみたいだから、少し準備しなくちゃ」
彼女は私のほうへ歩み寄り、そっと首元に手を伸ばした。
「ま、真夏?」
私が目を点にして、白黒させていると、本郷先輩が椅子から転げ落ちた。まだ紙コップに残っていたハーブティーが、白いタイルの床に溢れた。
「よ、依宮。まさか、お前……」
先輩の震える声を遮るように、玉梓が姿を現した。
「そのまさかだ」




