第7話 空に溶ける
『心なんざ、もうとっくに壊れてんだよ』
散歩と言っても、もちろん地上には降りない。
絆創膏だらけの顔を見られたくないので、あまり人が来ないバベルの穴場に向かう。
戦闘防衛棟の上階、ペンタグラムの自室が集まっているために人が寄り付かないこの場所から一歩外に出ると小さな空中庭園がある。
バベルには訓練場と一体となる大きな広場もあるのだが、ここは数個のベンチと花壇があるだけのこじんまりとしたところだった。
静かでとても落ち着ける、ハルのお気に入りの場所だ。
さすがにこの高さだと風が少し冷たく感じるが、黄金に輝く日の光が優しく包み込んでくれる。今、この芝生に寝転がったらどんなに気持ちがいいだろうか。もしかしたら幸福だとすら感じるかもしれない。
だが、それは一時の幸せだ。
心が急速に冷えていくのを感じた。
表情を曇らせたハルがゆらりと身体を傾け前屈みになる。一瞬、ハルの周りの風が巻き上がり、その背に白い翼が現れた。
それを淑やかに広げると、頭上へと一気に飛び上がる。
高く、ただひたすらに上を目指した。こうしていると、自分という存在が群青に溶けていくようだった。
絶対に地上は見ない。
今、現実を見たら自分も街の瓦礫の一部のように思えてしまうから。
心まで壊れてしまいそうになるからだ。
空気がだんだん肌を刺すように冷たくなる。
そして急速に頭が冴えてくる。
そのせいだろうか、普段は考えないような事まで、考えないようにしている事まで考えてしまう。
(もっと、ずっと、高くまで飛んだのなら、あの人に会えるのかな)
吐く息が白く雲に混じる。睫毛に霜が降り、指先の感覚が麻痺してくる。
心臓が凍ってしまいそうな寒さだ。酸素もずいぶんと薄い。
どうやらここまでのようだ。
ハルの翼がボロボロと崩れていく。
マナでできたそれは、消滅する瞬間燐光を発する。マナの結晶が太陽の光を反射させているのか、自ら光っているのかは分からない。
だがそれは、こんな世界でも美しいと思わせてくれるものの一つだった。
翼が消えると同時にハルは海へと落ちていく。
あんなに高く飛んだのに、帰りは一瞬だ。
あと数秒で海に叩きつけられて死ぬ。
そんな時、バベルが唸った。警報だ。
しかも、出現したドラゴンがA級以上だと疑われる場合にのみ使用されるものだった。
ハルは脇目も振らずに司令室に向かった。
モニターにはまだ何も映し出されていない。オペレーター達が慌ただしく中継を繋ごうとしている。
ハルは司令室内後方の席に座っている支部長に掴みかかるように迫った。
「椿さん、A級なら俺に行かせてください!」
ハルが支部長を椿という名前で呼ぶのは、椿が支部長になる前から付き合いがあり、その名残だ。
そんなハルを椿は冷たくあしらう。
「駄目だ。今回は遠征中の二、五等星を向かわせるのが1番早い」
それに、と椿はハルを一瞥して続ける。
「お前を出撃させるなと、技術開発部長とアリエスの隊長からつい先程連絡が入った。その顔で出るつもりか?」
一瞬、何のことだかさっぱり分からなかったが、ペタペタと顔を触って思い出した。顔から首にかけていくつも絆創膏が貼ってある。
「あっ、いやこれは……」
「とにかく、お前は出るな。これは命令だ」
支部長にそう言われてしまえば為す術はない。
(落ち着け。きっと今回もあいつじゃない)
四年前、ハルのすべてを奪った一体のドラゴンがいる。
何もかも失った崩壊の日から少しずつ前に進み始めたハルを、再びどん底まで突き落とした存在。
憎きそのドラゴンを、この四年間ずっと探し続けてきた。
もしあいつなら、我を忘れて飛び出していたかもしれない。だが、モニターに映し出されたのは別の個体だった。
今、心の中を掠めたのは安堵だろうか、それとも落胆か、別の何かか。
A級ドラゴンはやはり攻撃力が抜きん出ている。はばたくだけで瓦礫が散乱している地面が荒野へと変わる。
攻撃する意思がなくともこれだ。人が生活している街や、バベルが攻撃されたらと思うとゾッとする。
二、五等星が到着するまであとどのくらいだろうか。
(やはり俺も出撃すべきではないだろうか)
戦力は多いに越したことはないはずだ。武器は改良中だが、訓練兵に支給されるものでも戦える。やりようはいくらでもあるのだ。
ハルはチラリと椿を盗み見た。彼はただモニターを見据えている。その顔からは何の感情も感じ取れない。
この人もドラゴンに大切な人を奪われたうちの一人だ。それなのに、支部長になってからドラゴンに対して一切感情的にならず、部下達に弱みを見せずにずっとトップに立っている。
ハルはモニターに向き直り、グッと拳を握った。たとえ因縁の相手でなくとも、A級が街を破壊していく様子をただ見ていることしか出来ないのはとてももどかしかった。
今まであまり自己主張しない大人しめの主人公でしたが、今回はやっと感情をあらわにしたかな、と。キャラクター達は何かしら、どこかしらに傷を抱えています。それぞれの過去にもいずれ触れたいと思うので楽しみに待ってていただけると幸いです




