第41話 初夏の1ページ
「なぁ椿、この世界、滅びるらしいぞ?」
初夏。塀に囲まれた小さな世界の中で、縁側に寝そべった俺は隣にいる椿にそう声をかけた。
「またなにか面白い本でも見つけたんですか?」
頬を撫でる風はまだぬるいが、女物の着物を着る椿は少し首筋に汗をかいていた。緩い甚平を着ている俺と、帯まできっちりと締めた椿とではそりゃ違うよな、なんて横目で盗み見ながら考える。
「いやぁ? 本とかじゃなくて現実の話。なんでも、どこからともなくバケモノが現れてこの世界を壊して行くらしい」
「? 全然意味分からないんですけど……兄様ってそんな冗談言う人でしたっけ」
「あー……冗談なら良かったんだけどなぁ。俺はこんなつまんない冗談なんか言わないだろ? 父上の部屋で見たんだよ。資料的なやつ」
「なら本当の話ってことですか? でもバケモノだとかそんなものいるわけないですよ」
そうだ。俺だってそう思う。父上は冗談や噓が嫌いなタイプだから、その資料が破り捨てられずにそこにあるだけで事実の可能性があるのだ。
それにしても突拍子のない話だ。世界が滅ぶのは百歩譲って置いておくにしてもバケモノってなんだよ。何かの比喩か、隠語か、暗号か。考えたところで答えなど出るはずもなかった。
「なんにせよ、お前は俺が守ってやるから安心しろ」
「ふふ、敵の正体も分からないのにですか? そもそもそんなのいるわけないですって」
クスクスと椿は口元を隠しながら笑う。そのしぐさは言われなければ本当に女子と見間違えてしまうだろう。いや、そこらへんの女子よりもよっぽど品があって可愛い。最近は長くなった栗色の髪を後ろで軽く結わえている。その姿は母上によく似ていた。
「それに、何かあったら父様が何とかしてくれますよ。強い人ですから」
「……そうだな。あースイカ食べたい」
「えー? まだ早くないですか?」
椿は時折こうやって父上に対して絶対的な信頼を見せる。俺はそれが嫌で堪らなかった。父上じゃなくて俺を頼ればいいのに。椿はもう少し父上を警戒すべきだ。自分が殺されるかもしれないんだぞ? 父上の本当の恐ろしさを分かっていない。実父だからと信用するには些か危険だと、思わないのだろうか。
こんな扱いを受けてもそんなセリフが吐けるほど、洗脳されてしまっているのだろうか。
なんにせよ、やはり俺が守ってやるしかない。父上からも、そのバケモノとやらからも。
世界というものは色々と面倒なものらしく、どうやら下手に歯車を一つ引き抜いただけで簡単に狂ってしまうものらしい。
時間と空間は対で存在するのが当たり前。時間軸が一つ増えるとその分の空間も増える。時間に歪みが生じると空間も歪んでしまうらしい。
これがただの理論上の話であれば良かったのだが、どうやら違うらしいのだ。
時間が狂う、なんて言われても全くもって理解不能だが、それがこの世界だと数世紀に一度起きているらしい。つまりそれと同じく数世紀に一度空間も歪み、世界の形が変わっている……らしい。自分の目で見たわけではないため信じられはしないが、とにかくそれが実際に起こり得ると仮定しておく。
それは厳密に言うと時間に生じた歪みの帳尻合わせのために空間も歪むのだとか。それが本当ならはた迷惑な話である。
そのたびにこの世界では戦争が起こったり疫病が流行ったり、災害に見舞われてきたと父上の部屋にあった資料に記されている。
そして数年後、いや、数日後かもしれないが、時間が歪み、空間がその修正のために歪む。そして今回の代償がバケモノの襲来らしい。ここまでくると本当にきな臭く、フィクションだとしか思えないが、俺もそういうお年頃なので少しワクワクしてしまう面もあるのだ。
怖いだとか、そんな感情は一切湧いてこなかった。ただそのバケモノとやらに少し興味が沸いただけ。世界が壊れることに、期待しただけ。
死にたいなんて思わないし、別に全部出まかせでも何でもよかった。それでも可能性があるなら世界が一変するような事象をこの目で見てみたいと思うだろう?
「でもこれ、前提としておかしいんだよな。何がどうなったら時間が歪むんだよ」
空間が歪むのは時間が歪むかららしい。なら時間が歪むのは?
「……哲学か? 時間とは……いや意味わかんねーし」
答えの無いような問題は実はあまり得意ではない。ゴールが見えているものであればそこまでの道筋を考え組み立てることが出来る。だがゴールが見えないものは、自分がどこにいるか分からなくなるようなものは苦手だった。
世界はもっと簡単でいいと思うのだ。単純明快、それの何が悪い? 物事がはっきりしていて困るものなんていないだろう? 分かりやすいほうがいいのは当たり前じゃないか。
時間とか空間とか、概念的なものはよく分からない。目に見えないものは俺の専門じゃないのだ。
「わかんねーもんに費やしてる暇なんてねえや」
放ってしまいたくなる資料を、父上の書斎の引き出しに丁寧に、入っていた時と同じになるようにしまった。
バレたらその時はその時だ。拳骨で済めばいいが。
「世界が滅びるだとかは、あー……その時になったら考えよう」
どうせそんなの起こりっこない。起きても大した事ないだろう。そう思って父上の部屋の戸を閉めた。




