第39話 支部長の交代
「兄さん! 何でですか! 俺が悪いのに何で兄さんが!?」
「ちっとは落ち着けよ。俺はここのトップだぞ? 責任つーのがだな……」
美月がいなくなってからのこの執務室は随分と静かになったなと何度思ったか分からない。だが今日は絶叫のような椿の声が響いていた。
「責任なら俺が取るから! だから兄さんが辞める必要なんてない、そうでしょう?」
ロシア支部から根拠のない言いがかりと、ほぼ脅しのような声明が届いてから一日が経過しようとしていた。
「支部間の争いが、お前一人でどうこうできるもんじゃねぇって分かるだろ?」
「でも彼は俺が連れて来て俺が育てたんですよ?」
「ああ、そうだな。お前はよくやったよ。今じゃアルスはお前に並ぶくらいの水のエレメントのエキスパートだ」
椿が任務中に保護した青年は金髪碧眼という異国の特徴を持っていた。話を聞いてみると椿に助けられる前の記憶が無いらしい。傷だらけだった為、ドラゴンに襲われた衝撃で頭を打ったかショックでの記憶喪失だろうということでバベルで保護することにしたのだ。
しばらくすると彼はドラゴンスレイヤーとしての訓練に参加するようになり、急速に成長していった。椿が武器の使い方からマナの操り方、延いては食事のマナーまで教え込んだ為に双子なんじゃないかと思うほど彼と椿は仕草から何までそっくりになった。
そうしてアルスがバベルで五本の指に入る程の戦士になった矢先、ロシア支部が無理矢理アルスを引き抜きにかかったのだ。
「俺らは何もしていないのにあんまりじゃないですか!?」
「そうだなぁ……美月がいなくなってちょっと油断しちまった。まぁ俺みたいにヘマすることなくやってくれよ、支部長さん?」
「俺は支部長になんてならない! 兄さん、俺が悪かったから……辞めるなんて言わないでくださいよ……」
「お前は悪くないよ。ロシア支部がここを目の敵にしてるのは今に始まったことじゃないしな。俺一人支部長の座から下りるだけで何とかなるんだから儲けもんだろ? 後任がお前なら安心だしな」
拉致問題の責任を取って俺が辞職する。勿論拉致なんてロシア支部のでっち上げだが。それだけでロシア支部からの嫌がらせ行為もなくなるし、アルスの引き渡しもなくなるんだ。ロシア支部からしたら厄介な支部長を引きずり下ろせただけで満足なのだろう。やり方は汚いが、問題が起きてしまったからには仕方が無い。
「俺はやらない! 出来ないよ……支部長なんて。兄さんや美月みたいにはなれない。俺は人の上に立つ人間じゃない。立っちゃいけないんです。知っているでしょう?」
「やめろ椿。それはお前の思い込みだ。幼いころの刷り込みで勘違いしてるだけだ。お前は優秀で素質もある。俺らの仕事を一番近くで見て来た。後任はお前しかいないんだ」
いくら言っても椿は首を横に振る。
「もう決めた事だ。後任はお前だ。あー、ほら、武器開発に専念したいってのもあったしさ。技術は俺、戦闘は美月みたいなとこあったろ? なら指揮はお前だ」
「……技術面でも美月の方が凄かったです」
「コラ、それは言わない約束だろ」
とにかくこの時にはもう俺の決心は固まっていた。誰よりも椿を信頼しているから任せたいと思った。だが頑なに椿は首縦に振ろうとしなかった。
「何で兄さんはいつもそうなんですか。一人で勝手に決めて、自分勝手で、大嫌いだ」
「おい、椿……」
「バベルを作った時も、あの子を連れて来た時も、今も! 『崩壊の日』だってそうだ! 俺には何の相談もしないで、一人で勝手にどっか行っちゃうんだ! 父様と母様を探しに行きたいって言っても行かせてくれないし、なのに兄さんは俺を置いていくじゃないですか! 俺を守る? そんなの頼んでないです! 横暴で我儘で、俺の事なんて必要としてないくせに何でそんなこと言うんですか!?」
「落ち着け椿……」
頭をかきむしる椿の瞳には薄っすらと涙の膜が張っていた。
「嫌いだ! 大嫌いだ……兄さんなんて……」
「椿、落ち着けって。父上と、母上は死んだんだ。思い出せ。探しに行ったってもうどこにもいない、分かるだろ?」
「うそ、うそだ……噓だあぁぁぁぁぁぁ!!」
「椿! 待て、今薬を持ってきてやるから」
椿のデスクの引き出しから常備薬を取り出す。崩壊の日から時折こうやって椿は不安定になることがあった。些細な事がきっかけで心の奥に隠している恐怖が、あの日の絶望が、蘇ってくることは珍しいことではない。むしろ今の世の中では完全に健康体で綻びなどないような人の方が異常だった。
「……は、はは、兄さん、冗談ですよね。そうやって騙そうったって無駄ですよ。何を言われたって支部長になんかなるもんか」
「椿……俺は噓はついてもないし、冗談も言ってない」
記憶障害なのだ。あの日の記憶を、真実を受け入れられなかった椿の脳は彼にとってダメージの少ない偽の記憶を作り出した。両親は死んでない、まだどこかで生きている。椿はそう思い込んでいるのだ。
そして今もなお、父上に取りつかれている。
「噓だ……噓だ、父様は死んでない。母様も、何処かできっと……兄さん、噓だよね……?」
震える椿をそっと抱きしめた。俺は解放してやらなければならない。この可哀想な弟を、過去の呪縛から。
「大丈夫だ。椿、ゆっくりでいい、思い出せ、現実を見ろ。何も怖くないから」
そうして俺は噓をつく。世界で一番愛している、この双子の片割れの為に。




