第34話 自我
━━こうきさま、こうきさま、朝食がご用意出来ました。
━━こうきさま、お召し物を替えさせていただきますね。
━━こうきさま、お父上がお呼びです。
━━こうきさま。
ああ、ああ、うるさいなぁ。バカのひとつ覚えみたいにこうきさまこうきさまって。お前らが呼ぶのは煌葵じゃない。こうきは高貴と変換されている。本当にくだらない。毎日毎日お前らのキーキーと煩い声を聞く俺の身にもなれ。吐き気がする。
俺は女運がないらしい。女は周りにいっぱいいた。家の従者は皆女だったからだ。だが、まともなのはいなかった。従者が女なのは決まりらしいが、男の俺の世話をなんで女に任せなきゃいけないんだと思う。正直、この環境には辟易していた。
この中からいつか妻を選び出す。この女達はそれを狙って媚びを売る。幼い俺に気に入られようとへこへこ頭を下げ、作り笑いを浮かべる。その目に映すのは俺ではなく、この家の当主の妻という肩書きだ。
東宮というのが俺の苗字だ。その名の通り、東日本を牛耳る名家である。表向きは大手建設会社だが、武器製造を生業とする裏の顔こそ本来の姿だった。父はその当主で、俺が跡取りだ。
この家のしきたりによると、当主とその跡取り以外は男をこの家に入れてはいけないらしい。その男は最後、鬼となり当主を殺すという言い伝えがあるそうだ。
そんな家に生まれた可哀想な双子。どちらも男の子だった。女の子だったらよかったのにと母は言った。男は殺さなければいけないと父は言った。
可哀想な椿。可哀想な俺の弟。望まれない忌み子。可哀想に。
「母上、母上は椿の事が嫌いなのですか?」
幼い俺は母に酷な事を聞く。
「いいえ、あなたと同じように愛していますよ」
母は困ったような顔をする。
「父上、父上は椿の事が嫌いなのですか」
幼い俺は恐れを知らない。
「忌々しい名を口にするな。あいつは女として育てるのだ。お前のためにも近寄るんじゃない」
ああ、可哀想な椿。
その名を付けたのは母だ。生まれてすぐに椿を殺そうとした父に泣きながら縋ったらしい。そして父が出した条件は、椿を女として育てることだった。女みたいな名前を付けられ、女物の着物を着せられ、戸籍も女にしてやっと生きることを許される。可哀想な男の子。
可哀想。可哀想は可愛いとは本当に言い得て妙だと思う。
可哀想で可愛い椿、俺の弟。
▽▲▽▲▽▲
S級ドラゴンは一回目の出現からそう間を開けずに現れた。こちらのトラウマなど一切気にすることなく、また全てを破壊しに来たのだ。だが、人間とてやられっぱなしではない。即座に対応し出撃したのは美月だった。その時の最高戦力だった美月はバベルを庇い、周りを庇い、そしてそのドラゴンの片目を潰し、ボロボロになりながら引きずられるようにそのドラゴンと共に亀裂へと消えた。
大きな戦力を喪失したバベルは、いつあの脅威がまた襲ってくるのかという恐怖と緊張の中で春を迎えた。
継ぎ接ぎだらけの少女だったなにかは目が覚めた途端カタカタと震えだし、そうして空っぽの胃の中身をひねり出すように嗚咽した。その様子を見ていた煌葵はそのドラゴンの情報の隠すことにしたのだった。S級と認定したことも、その名も、どれだけの被害を出したのかも。
そうして、経過観察もかねて毎日その病室に訪れていた煌葵は、アメと言う少女がここには居ないことを知る。
「じゃあ記憶はあるんだな。どれくらい覚えてるんだ?」
「訓練が終わって帰ろうとしたら、外でソラがアメのことを待っていたんだ。それから一緒に帰ろうってソラは手を伸ばした。それで、それからの事は覚えてない」
「そうか。それで? お前はアメじゃない、と」
「ああ」
「じゃあソラ、か?」
「違う。アメの記憶は所有しているがソラは記憶の中の人物で、その自我はない」
「あー、つまりアメに近い何かってことね」
どうしたもんか、と煌葵は唸った。大きな事件の後記憶が混乱するなどの例は良くあるがここまではっきり記憶があるのに本人が存在を否定している。言っていることは分からなくはない。つまり別人格、ということだろう。多くはないがない話じゃない。
「アメを守ろうとしたんだな、お前」
白く濁った右目は辛うじて光を捉えるまでにしか回復しなかった。今も、煌葵を見ているようで何も映していないそれに、吸い込まれそうだと苦笑した。
「んー……ハル。ハルにしよう。お前の名前。無いと不便だろ?」
「……ハル」
「そうだ。外を見ろ。桜が咲いてるだろ」
この部屋から出て階段の踊り場から真っ直ぐ進むと司令棟の中庭に出る。そこに咲いた大きな桜の木がここからもよく見えた。
「これ、このハルジオン。これは凛が?」
花瓶を指さし、あいつ、まだ自分の足も調整中だってのに、と言う煌葵は呆れ顔を浮かべながらも穏やかな声で笑った。
「お前の花だ」
こうきは桜を見ていた。どっちが、とはハルには聞けなかった。
「アメにとって、ソラは世界の全てだった。ソラがいないならこの世界に価値は無い。価値の無い世界に生きているのは死んでいるのと同じだ」
ハルは順調に回復していった。リハビリの最中に良く話すようになったが、アメから形成された人格にしては言う事が達観しており、アメの面影などほとんどない。同じなのは栗色の髪くらいだった。
「お前はどうなんだよ。何で生まれてきた? 何で存在している。お前にとっての価値は何だ?」
煌葵は問う。もう何回もした質問だったが、ハルは毎回違う答えをポツリと吐き出す。それは分からないというシンプルなものから、熟考して導き出したもの、誰かからの受け売りなど様々だった。
「……ソラが全てだったんだ」
「お前にとってもか?」
ハルの独り言のような呟きに煌葵は切り返す。そうするとやっとハルは意思のある顔つきで煌葵と目を合わせた。記憶の混濁と折り合いを付けられたのだろう。口調も声のトーンもかわっていっている。
「そう、だと思います。煌葵さんは俺のこと、アメとは別人だって言ったけど、俺は自身が本当はアメなんじゃないかと思う時があるんです。感情が、思いが、そのまま溢れてくるんです」
「それはあいつにの記憶であって、お前の意思じゃないんじゃないか?」
「分からないです。でも、アメの意思を守りたい、アメの為に何かしてやりたい、そう思うんです」
ハルという人格は、アメを守る為に生まれたのだろう。大きな喪失から身を守る為、現実との隔たりの為、言わば盾替わりだがそれを考えたらハルの言葉にも頷ける。
「アメの為にか、そりゃあ結構なことだな。肝心のアメが殻に閉じこもってる今、お前のそれは何の意味もなさないけど」
煌葵の言葉には棘などないが、今のはぐさりとハルに突き刺さった。
「う……そうなんですよね。何か、あの子に意志意欲があればいいんですけど」
困ったように眉をひそめるハルを見て、こうなった原因は俺にもあるし、助け舟を出してやろうかと煌葵は考えを巡らせた。
「そうだなぁ……もし、万に一つでもだぞ? ソラを生き返らせる方法があるって言ったら、お前はどうする? お前の中のアメはなんて言ってる? お前の意思はどう動くんだ?」
大きく目を見開くハルのその瞳の中には、確かにアメがいるような気がした。




