第20話 消せない傷と消えない炎
もっと強く。
もっともっと強く。
━━次は、失わないように
━━怖い。怖いよ……助けて。助けてよ━━姉さん。
父さんが、母さんを……ううん、俺は大丈夫、姉さんが居るから。
━━姉さんが守ってくれるから。
「……キ君、ナツキ君!」
「……せんせ、……っ……?」
ナツキはゆっくりと辺りを見回した。
きちんと整理整頓された部屋。大きな本棚には難しそうな分厚い本がいくつも並んでいる。
ナツキの向かい側に座るのは栗色でふわふわの髪をした、優しそうな眼鏡の男性。
今は心配そうにナツキの顔を覗きこんでいた。
「……そうだ、俺……先生にカウンセリング頼んでて、それで……」
ズキンと頭が痛む。嫌な記憶に蓋をしようとしているのだろうか。
「ゆっくりで大丈夫だからね」
優しい声だ。
バベルの訓練兵に座学を教えている気浮という男。カウンセラーとしても働く司令部の職員だ。
気浮に促されるままに、ナツキはそっと口を開いた。
「━━もう、あまり覚えていないけど『崩壊の日』よりも前は一般的な家庭で育ったと思う」
ボソボソと呟くように語り出すナツキ。それは気浮に向けてでは無く、記憶をそのまま取り出すかのような独白だった。
「父さんと、母さんと、姉さんと俺の四人家族。姉さんとは少し歳が離れてて、喧嘩とかは全然なかったと思う。父さんは、少し酒癖が悪くて、酔うといつも暴力を振るった。母さんは父さんの事を愛していたから……いつも姉さんが守ってくれてた。でも、お酒が入ってない父さんは優しい人だったし、好きだった」
懐かしき家族の顔を思い浮かべ、ナツキは柔らかく微笑む。幼いながらに家族のことで悩んだ事もある。だが、やはり幸せな思い出も多いのだった。
「『崩壊の日』の事は、思い出せなくて━━走ってたような気がするけど、靄がかったように曖昧なんだ。あぁ、でも、姉さんが俺の手を握ってくれてた。温かくて、離したくなかった……守られてるって安心できた」
ナツキがそっと手を擦り合わせた。
「そこからは、姉さんと二人きりだった。地下のシェルターで暮らした。姉さんが取ってきてくれる食べ物を食べて、親切な人が助けてくれたりもして、大変だったけど何とかやってた」
「いいシェルターに辿り着けたんだね。ほら、争いが絶えない所もあるって聞くから……」
バベルの外で暮らす人々は、地下のシェルターか、ドラゴンに見つからないような廃墟に身を寄せ合って暮らしている。
助け合わなければ生きていけないご時世だが、食糧を巡っての争いは無くならなかった。
「……うん。幸せと呼ぶには程遠い生活だったけど、姉さんがいれば十分だった。十分、だったんだけどなぁ……」
カタカタと小さくナツキの手が震えだす。堪えるように引き結んだ唇。手足だけに雪が降っているかのように痺れ始め、口の中は乾いていく。
そんなナツキの様子を見た気浮は、無理しなくて良いよと、安心させるように笑いかけた。
ナツキは気浮が入れたハーブティーにやっと口をつけた。もう湯気などとうに消えたそれは、ただ優しく僅かに甘い香りがした。
カップをテーブルに戻し、一息つくナツキ。どうやらリラックスできたようで、ソファー深くに座り直し続ける。
「……俺は、子供だったんだ。確かに今もまだガキだけど、昔はもっと、馬鹿だった」
先生、俺は間違ってたんだ━━そう言うナツキの表情は、俯いていたせいで伺えなかった。
「━━姉さんが守ってくれる。そう、ずっと思ってた。馬鹿みたいに疑わなかった。姉さんはこれからも俺の傍に居てくれるんだって、姉さんは居なくならないんだって。信じてた━━あの日までは」
━━暑い夏の日だった。焦げるような、嫌な臭いが漂う中、姉さんとシェルターから地上に出ていた。
確か、駄目だと言う姉さんに無理矢理着いて行ったんだ。食糧を探すのも二人の方が効率が良いからと。
そしてその日、初めて知ったのだ。
━━失うのは一瞬だと。
「……ドラゴンが目の前に現れても、姉さんは怯まなかった。俺を庇ってくれた。俺はずっと姉さんに守られていたんだ。でも━━姉さんを守ってくれる人は、誰もいなかったんだ」
ナツキの瞳が燃えていた。後悔の炎だ。
今もその炎はナツキの身を焼き続け、消えることは無い。そしてそれはさらに大きく熱くなり続けていた。
「俺はその後、拓哉さんに━━今のタウラスの隊長に助けられたんだ。あの時は隊長でもなんでもない下位部隊の隊員だったらしいけど、凄く頼もしく見えた」
「ああ、彼か。かっこいいよね」
「うん……あの人が救ってくれなかったら、俺は死んでいた。拓哉さんのおかげで今の俺があるんだ」
にっと笑うナツキ。
確かに彼の生き様は、強さにひたむきな姿勢は、拓哉に似ているかもしれない。
「自分が守らなければならないものがある事を知った。だから、そのために、俺は強くならなきゃいけないんだ」
「……君は、もう十分強いよ」
気浮は困った顔をする。強さに固執するまだ幼い彼を憐れむような、案じるような、そんな表情だ。
自分の半分しか生きてない少年が、これほどまでに強く生きて、さらに強さを追い求めている。
そんな状況を、おかしいと思わなくなっているのは、既にこの時代に侵されているということだろうか。
「まだ足りないんだよ、先生。俺はまた失ってしまった……まだ足りない」
━━今度は守れるように。
━━次は失わないように。
もっと力がいるんだ。
大切な人達を守れるだけの━━二度と失わないようにするためだけの力が。
「━━ナツキ君……」
気浮が何か言いたげに口を動かす。だが、言葉が放たれる前にナツキが立ち上がった。
「先生、話聞いてくれてありがとう。スッキリした!」
自分の弱さを燃料として、より大きな炎を帯びる彼は誰の目から見ても強く逞しいのに。
━━手を振り部屋を出ようとするナツキの背中に、気浮は慌てて声をかけた。
「あ、あの! ハル君にも声をかけて欲しいんだ。カウンセリングに来るようにって」
「いいけど……俺が言うより先生が直接言った方がいいんじゃないの?」
「いやぁ……僕、嫌われてるみたいだからさ。でも、僕は一応先生だからって伝えてくれる?」
ナツキは、その言葉に頷きはするものの、腑に落ちない表情を浮かべる。
━━ハルさんが先生の事を嫌っている様子なんてなかったと思うが……そもそも言葉の意味が分からない、とナツキは首を傾げたのだった。
気浮
二十代前半、下手したら十代にも見えるが実は二十九歳。
優しく穏やかで、「きょう先生」という愛称で子供に慕われている。
ナツキだけでなく、ハルにも座学を教えていたベテラン先生




